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ナポレオン帝国

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ジェフリー・エリス、 出版 岩波書店
 ナポレオンは9歳で陸軍幼年学校に入学し、パリの陸軍士官大学校を16歳で修了して砲兵少尉に任官した。砲兵中尉となったあと、大佐としてフランス正規軍に復帰し、トゥーロン攻囲戦で活躍して、24歳にして准将に昇進した。そして、准将のとき、1795年10月の王党派蜂起事件を鎮圧して名をあげた。
 この事件は、一般市民を鎮圧するためフランス大革命以降初めてパリ市中に公然と正規軍が投入されたという点で重要であり、先例となった。
 1796年3月、未亡人ジョゼフィーヌ32歳と結婚したとき、ナポレオンは26歳だった。彼女には前夫との間に子どもが2人いた。
 第一統領となったナポレオンは、秘密警察を配置して警察事態をひそかに監視しようと考えた。この業務をおもに担当したのがパリ警視庁である。警視総監は、名目上フーシェの指揮下に置かれていたが、実際にはナポレオンに対してのみ責任を負った。つまり、パリ警視庁は警察省から事実上独立して動いていた。
 ナポレオンは革命期の党派抗争を非建設的なものだったと考え、抗争を超越する立場に自身を置き、抗争が政治に及ぼしかねない衝撃を解消しようとした。
 1800年12月、ナポレオンを爆弾で暗殺しようとした企ては失敗に終わったが、わずか数秒差のことだった。犯人は王党派であったが、ナポレオンは事実を捻じ曲げてジャコバン派やバブーフ主義者130人を国外追放する口実に利用した。
 1810年までにパリで刊行を許された新聞は4紙のみとなり、いずれも政府の代弁機関であって、ナポレオンの戦勝を念入りに賞揚した。そのプロパガンダの狙いは、市民兵の士気を高揚せることにあった。
 ナポレオンは、信心深いわけでなく、カトリックの教義に好感を抱いてはいなかったが、その有用性をはっきり認識していた。社会の基盤をなし、イデオロギーによる鎮痛剤として有用なものとみ、教会に対して和解を持ちかけた。
 ナポレオンは民法典をつくる4人の委員会に頻繁に出席し、議長をつとめ、陣頭に立って草案内容に指示を与えた。これによって妻は法律上、夫に従属する存在となった。つまり、民法典の成立によってもっとも不遇をかこったのは、間違いなく女性であった。
 ナポレオンに仕える軍の将官の大部分は、さまざまなブルジョワ階層出身者であった。
 ナポレオンの大陸軍の将校集団は、旧貴族と有能なブルジョワジーを混ぜ合わせ、帝政名士という新改装を生み出そうという構想だった。
 普通の兵士のほとんどは、貧困層出身、とくに小作農階層出身の青年男子であった。
 金銭にゆとりのある者は、代理人を立てて徴兵を遁れることができた。
 脱走兵は年平均で9600人にも及ぶと推計されている。徴兵は各地で抵抗運動を引き起こし、不正行為も誘発したが、山賊との戦いについてはナポレオンの憲兵隊に有産階級から期待が集まっていた。
 ナポレオンは、白紙から出発した変革者というより、既に知られ実践されてもいた軍事手法を整理し、一つにまとめあげた人物であった。そして、ナポレオンは天賦の即興の才を発揮した。しかし、ナポレオンは自分の大権を他人と共有することをひどく嫌った。ナポレオンが戦場で手にした成功は、その場しのぎの結果だった。
 以下、省略しますが、大変興味深い記述が続いており、ナポレオンそのものとナポレオン帝国の実相がよく分かる本でした。
 チューリップ500本が見事に咲きそろいました。一番に咲いていたものは花びらが落ち始めています。
 今年はじめて、玄関わきの植え込みにチューリップを植えてみました。ピンク・白・黄色の大きな花です。朝、出るときにそのカラフルな花を眺めると、さあ、行ってくるよ、と足取りが軽くなります。
 チューリップのほか、フリージアが咲き始めました。赤や黄色の小さい花をたくさんつけ、とても甘い香りをふりまいています。
 ボタンのつぼみが大きくなってきました。5月を待たずに4月のうちに咲いてくれるかもしれません。楽しみです。隣家の玄関脇にライトブルーのアイリスの花も見えます。我が家の庭は、春真っ盛りです。
(2008年12月刊。2600円+税)

アメリカで死刑を見た

カテゴリー:アメリカ

著者 布施 勇如、 出版 現代人文社
 アメリカで死刑囚が処刑される場面に立ち会った日本人の新聞記者がいたなんて、驚きです。アメリカでは、死刑囚の家族だけでなく、被害者の遺族の立ち会いも認められています。窓を通して、死刑囚が死んでいく様子の一部始終を見守るのです。
 著者は、テネシー州のナッシュビルに行き、死刑囚の収容されている最高度警備刑務所を見学します。私もナッシュビルには行ったことがあります。エルヴィス・プレスリーの家も見学しました。
 この刑務所には、90人の男性死刑囚がいる。執行の72時間前になると、正常の監房から執行室に近い房に移される。ここでは執行開始は午前1時と決まっていて、最後の食事は20ドル(2000円)以内なら、何でも好きな物を選ぶことができる。
 電気椅子による処刑だと死ぬまで45分かかるが、薬物注射だと2分半。担当する職員は3人か4人で、誰が注入した薬物で死んだのか、誰にも分からない仕組みになっている。日本の絞首刑のときも同じような仕組みになっているそうです。
 アメリカでは1968年から1977年まで死刑執行はゼロとなっていたが、1977年に再開されてから、2007年末までに1099人が処刑された。
 そして、死刑判決が確定しながら、あとで無実とされて釈放された「死刑囚」が1973年以降で129人にのぼる(2008年5月現在)。むむむ、こ、これは、多すぎ、多すぎます。
 受刑者への暴力は、アメリカの刑務所では珍しいことではない。刑務所では、殺人事件も起きている。
 死刑囚の3分の2以上は黒人。160人の死刑囚のうち、35人の黒人死刑囚は、陪審員全員が白人から成る法廷で有罪・死刑の判決を受けた。アメリカでの殺人の50%は黒人が被害者である。アメリカで執行される死刑のうち80%以上は、被害者が白人である。死刑囚のうち33人は、あとで資格を剥奪されたか停職処分を受けた弁護士が弁護人となっていた。
 死刑の制度があることによって犯罪が減ったことを実証した調査・研究はほとんどなく、死刑による犯罪抑止効果は期待できない。殺人の防止について言うと、死刑を廃止した州の方がうまくいっている。死刑を執行している州と、死刑を廃止した州との殺人発生率の格差は、この10年間に広がっている。死刑執行数が上位の州は、執行しない州に比べて殺人発生率が2倍も多い。死刑は犯罪抑止とは関係ない。それは、政治的なものにすぎない。
 テキサス州では、死刑執行まで刑務所で過ごす期間は平均して10年あまり。死刑1件あたりの費用は230万ドル(2億3000万円)で、最高度警備の独房で40年間も服役した場合よりコストは3倍になる。
 アメリカでも死刑制度を存置するのは、50州のうち37州である。
 今の日本では、なんでも死刑にしろと声高に叫びたてる風潮がますます強くなり、気の弱い私なんか恐ろしい気がします。
 先週の金曜日に日比谷公園に行くと、快晴の下で桜が満開でした。我が家のほうは、先週の日曜日に見事に満開となりました。そのあと寒い日が続いたせいで、満開状態が1週間ほど続きましたが、土曜日に雨が降り、日曜日にはかなり花が散っていました。
 北海道の弁護士に訊くと、桜は連休明けだよと言われてしまいました。
(2008年7月刊。1500円+税)

レッドムーン・ショック

カテゴリー:アメリカ

著者 マシュー・ブレジンスキー、 出版 NHK出版
 1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたと聞いたとき、アメリカ軍のメダリス少将は言った。
 「ロシア人にそんなことができるわけがない。衛星をつくって打ち上げるのが、どれほど難しいか、十分わかってるはずだ」
 メダリスはソ連の技術力を見くびっていた。共産主義は良質な日用品をつくるのには向かないが、科学における画期的な偉業を成し遂げるには理想的な環境だということを多くのアメリカ人は分かっていなかった。
 スプートニクの重さが83キロもあると聞いて、アメリカ軍の関係者は信じられない、間違いじゃないのかと思った。このとき、アメリカ軍で打ち上げが可能なのは、せいぜい1.6キロ程度でしかなかった。
 ホワイトハウスの公式見解は、スプートニクは騒ぎ立てるほどのものではない。しいて言えば、ナチスの技術の功績であり、ソ連の専門知識によるものではない、というものだった。
 しかし、アメリカ政府が共産主義国家の飛躍的進歩をどれほど軽んじようとしても、メディアの判断は違った。スプートニクは、大ニュース、それもショッキングで恐ろしい超ビッグニュースだった。
 アメリカ人は恐怖におののいた。スプートニクを宇宙へと打ち上げたミサイルは、アメリカは絶対に安全だという人々意識を粉々に砕いた。スプートニクに対するアメリカ国民の反応は、無関心から恐れに変わった。国中の人が屋根の上にのぼって夜通し空を見上げ、忌まわしい球体を一目見ようと待ち構えた。夜中の3時に隣近所が勢ぞろいし、心配そうに夜空を見上げていることが珍しくなかった。
 アメリカの記者はアイゼンハワー大統領に質問した。
 「ソ連は人工衛星を打ち上げました。彼らは大陸間弾道ミサイルの打ち上げにも成功したと言っています。どちらも我が国は所有していません。どうなさるおつもりですか?」
 これに対するアイゼンハワーの言葉はあまりによそよそしく、国中を覆っている不安とはかけ離れていた。
 ソ連のフルシチョフも、はじめ、スプートニクが政治の世界にこれほど大きな影響を及ぼすとは思っていなかった。
 10月5日の晩になって、ようやくアメリカに対して大勝利をおさめたことを理解しはじめた。一夜にして、世界にとってソ連が真の超大国となった。金属のボール一個で、ソ連は何十年と言葉を連ねても得られなかった名声を得た。
 スプートニクは、アメリカの同盟国に有形無形の衝撃を与えた。大陸間ロケット(ICBM)は、最終兵器と呼ぶには重大な欠陥があった。それをごまかすためのはったりがつかわれた。
 ソ連のミサイル(ICBM)は先制攻撃に弱く、発射台上にあるとき、アメリカの爆撃機に攻撃されたら、ひとたまりもない。しかし、示威効果は抜群だった。
 1957年11月4日、スプートニクは犬を乗せて宇宙へ飛んだ。生きた犬を乗せていたのだ。実のところ、テリアの雑種犬ライカは、打ち上げ直後に焼き殺されるようにして死んでいた。しかし、ソ連の公式発表では、犬は生きて地球を回っているということになっていた。
アメリカが人工衛星エクスプローラーを打ち上げたのは、1958年1月31日夜のことだった。そして、ソ連は、1961年4月12日、宇宙飛行士ガガーリンが軌道を周回した。ガガーリンの宇宙飛行の成功は、発展途上国に大きな反響を与えた。
 ところが、宇宙で大きな勝利をおさめたソ連は、軍事面で高い代償を支払うことになった。つまり、ICBMは失敗作だったのだ。というのも、アメリカが実用的なICBMを160機ももっているのに、ソ連はわずか4機しかもっていなかった。スプートニクの成功のかげでICBMの開発が遅れていたのだった。
 当時、小学生だった私もスプートニクとかライカ犬とか、ガガーリン少佐の宇宙旅行というのを聞いて胸躍らせた覚えがあります。ソ連って、すごい国なんだと思ったわけです。
 ところが、この本を読むと、アメリカもてんやわんやだったようですが、ソ連のほうは、もっとひどかったようです。それでも、いわゆる一点突破、一点豪華主義でスプートニクの打ち上げ、そしてガガーリン少佐の宇宙飛行には成功したということになります。
 宇宙競争の内実を知り、これって想像以上に政治と生々しく密接な関わりをもっている問題なんだ、と改めて認識させられました。430頁もの大部な本ですが、面白く読み通すことができます。
(2009年1月刊。2500円+税)

暴雪圏

カテゴリー:警察

著者 佐々木 譲、 出版 新潮社
 うまいものです。いつ読んでも、この著者の警察小説は迫真の出来で、ぐいぐいと読む者を惹きつけてやみません。
 咆哮する雪嵐、次々と麻痺する交通網。氷点下の密室と化したペンションに逃亡者たちが吹き寄せられた。
 最大瞬間風速32メートル。十勝平野が10年ぶりの超大型爆弾低気圧に覆われた日の午後、帯広近郊の小さな町では、いくつかの悪意がうごめいていた。暴力団組長宅襲撃犯、不倫の清算を決意した人妻、冴えない人生の終着点で職場の金を持ち出すサラリーマン……。それぞれの事情を隠した逃亡者たちがたどり着いたペンションで、恐怖の一夜の幕が開く。
 すべての交通が遮断された街に、警察官は川久保巡査部長のほかはいない。
 以上は、この本の粗筋を紹介するオビの文句です。すごいものですよ。同じ時刻に、バラバラに進行していた事件が、ついには一つにまとまり、緊迫感がつのるのです。読み始めたら、もう目を離せません。
 冬でも太陽光線の温かいなかでぬくぬくと育った九州育ちの私なんか、冬の北海道の寒さを体験したことがない身として、次のような記述は想像を絶します。
 吹雪の中で自動車が路外転落、ケガをしたドライバーがそのまま凍死したケースが10年間に3件あった。吹き溜まりで動けなくなったドライバーが車のヒーターをつけたまま夜を過ごして、一酸化中毒死というケースが2件。地吹雪の中で立ち往生した車に除雪車が突っ込んでドライバーたちが死んだという事故も1件あった。
 雪おろしなど経験したことがありませんが、これも大変きつくて危険な作業のようですね。南国に生まれ育ち、今も生活している私は、単純に考えて、南国っていいなと思います。もっとも、北国の人はスキーなどのウィンタースポーツを楽しんでいるのでしょうね。
 出会い系サイトに登録する女は、どこか歪んでいるか、病んでいるか、何かに餓えているか、どれかだ。
 そうなんでしょうね、きっと。ケータイも十分に使いこなせない私など、指をくわえて眺めるばかりの世界です。
 不倫中の人妻ならば、むしろ堂々としていた方が注意をひかない。顔を隠すから不倫なのだと分かるし、かえって顔も気になる。
 うむむ、なるほど、なるほど、そういうことですね。
これまでの著者の警察小説とは違って、警察内部の葛藤は少なく、犯人とされた、されつつある人々の内心のかっとうなどが中心に描かれています。
 
(2009年3月刊。1700円+税)

最後の証人(上)

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 金 聖鐘、 出版 論創社
 これはとても面白いし、考えさせられるミステリー小説です。韓国では開戦日にちなんで6.25と呼ばれるそうですが、日本でいう朝鮮戦争の起きたころ、韓国における激しいパルチザン闘争を背景とした、重厚な小説でもあります。
 朝鮮半島に住む同じ民族が、親共・反共に分かれて殺し合い、憎しみ合ったことがあること、それが今日なお水面下で奥深く尾を引いていることを感じさせる内容です。
 ミステリー小説ですから、ここでアラスジをバラすわけにはいきません。ともかく、読んで絶対に損はしない、面白い本だということを保証します。
 この本は、韓国では1974年から1年にわたって新聞に連載されていたものですが、なんと50万部も売れたベストセラーだそうです。いやあ、実にすごいものです。でも、この本を読むと、それもなるほどと納得できます。
 著者によると、まったくのフィクションということではなく、一部は事実にもとづいているとのことです。『南部軍』という、やはり韓国南部にある智異山を舞台としたパルチザンが壊滅していくまでを描いた本を前に読み、ここで紹介しました。(韓国では映画にもなったそうですが、残念ながら日本語版はないようで、私は見ていません)。その知識があると、さらに時代背景が理解しやすいと思います。
 私は、この本を東京行の飛行機の中で時間の経つのも忘れて一心不乱に読みふけり、いつのまにか東京についていたことを知りました。
 ソウルの有力弁護士が殺され、5ヶ月後に田舎で金持ちの男が惨殺されます。この2つの殺人事件が、実は深いところでつながっているのです。それを田舎の警察署にくすぶっている刑事が足でたずね歩いて、一つ一つ核心に迫っていくという話です。読んで損はしないミステリー小説です。一読を強くお勧めします。
 
(2009年2月刊。1800円+税)

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