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ガーナ流・家族のつくり方

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 小佐野アコシヤ有紀 、 出版 東京外国語大学出版会
 アフリカのガーナ大学に留学した20歳の日本人女性がガーナで見たものは…。
 血縁を超えた家族関係を結ぶ人々だった。
 私にとってガーナは、エンクルマ大統領です。無残にもアメリカ(CIA)に暗殺されましたが、アフリカ独立の英雄でした。
 ガーナは西アフリカにあり、人口は日本の4分の1、国土は日本の3分の2。サハラ以南では最初に植民地支配から独立した。1960年だったのではないでしょうか。
 ガーナはチョコレートの原料となるカカオを栽培する国。
 ガーナの7割がキリスト教、2割がイスラム教。南部はキリスト教人口が多数を占め、北部にはムスリムが多い。ガーナの人口の4割を占めるアカンの言葉がチュイ語。
 列車の代わりに「トロトロ」という乗り合いバスが走っている。
著者がガーナに留学したのは2017年2月のこと。
 ガーナには性別と生まれた曜日によるデイネームがある。著者の「アコシヤ」は日曜日。そして「機敏さ」を意味している。
 日本にいるガーナ人は、2万5千人ほど。埼玉県草加市と川口市、八潮市に多い。
 ガーナでは祖母が主力となって子育てするのは一般的なこと。そして、子育てはみんなでするものである。
 「あなたは何人家族ですか?」。この質問に対して、日本人なら迷うことなく、「核家族」の現状の人数を答えるに決まっている。しかし、ガーナは違う。
 「ふだんの生活のなかで、家族として接している人の数」を訊いていると説明すると、その答えは、「105人」、「18人」、「50人」と、日本人の私たちからすると、とんでもない人数の答えが返ってくる。ガーナでは、血のつながりがなくても家族だから…。
 ガーナでは、子どもが生みの親(生親)のもとを離れて育つのは決して珍しいことではない。
 日本では「核家族」というのがあたり前になっていますが、これは日本の「特殊現象」であって、「家族」とはいったい何なんだというのを、ガーナの「家族」との関係で改めて考えさせられました。
それにしても20歳でガーナの現地社会に溶け込むって、すばらしいですね。私には20歳のころ、そんな勇気はまったくありませんでした…。
 あなたにも、視野を広げるため、ご一読をおすすめします。
(2023年12月刊。2200円+税)

スーザン・ソンタグ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 波戸岡 景太 、 出版 集英社新書
 2004年に71歳で亡くなったスーザン・ソンタグは、現代アメリカを代表する知識人の一人。
 写真や映画といった映像文化に造詣(ぞうけい)が深く、ジェンダーやセクシュアリティの問題にも敏感。結核やガンといった病気についても熱心に議論した。そして、ベトナム戦争以来、9.11に至るまで、ずっと社会問題に反応し、政治的な発言を続けた。
 私にとっては、ベトナム戦争反対の声を上げていたアメリカの知識人の一人という印象です。
 評論家、映画監督、活動家という肩書きをもっていた。
知性には具体的なかたちがない。知性というのは、本質的に、見たり触ったりすることができない。
 物書きたるもの、意見製造機になってはならない。私はモノカキを自称していますが、「意見製造機」にはなっていませんし、なるのは無理だと考えています。この世の中は私にとって、あまりに理解困難なことが多すぎます。
 たとえば私は、なぜ鉄下鉄の中で携帯電話で話が出来るのか、まったく理解できません。
 ヴァルネラブルというコトバが何回も本書に登場します。脆弱性、被傷性、可傷性、攻撃誘発性など、さまざまに訳されている、難しいコトバです。
 「人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆(もろ)いものですね。いつ、どんなことで、どんな死にようをしないとも限らないから」(漱石の『こころ』)
 カメラは銃を理想化したもの。誰かを撮影することは、理想化された殺人、悲しく、怯えた時代にぴったりの、ソフトな殺人を犯すこと。これはソンタダの「写真論」の一節。
 カメラには「暴力性」があるというのです。うむむ、よく分かりませんよね…。
 愚か者たちの村、その名はアメリカ…。これはよく分かる気がします。
 だってバイデンは80代で、記憶喪失が心配されているのに、代わりの候補者がいない。トランプに至っては、私には大金持ちで、一般人を見下している、狂気の人としか言いようがありませんが、にもかかわらず、大勢の一般人が信者として存在するというマカ不思議さ。
 ソンタグは何人かの男性を愛し、何人かの女性を愛した。
 結婚して、子(息子)をもうけたソンタグはレズビアンでもあったようです。
 人間には、いろんな側面があるものなんですよね…。
(2023年10月刊。1210円)

ゴキブリマイウェイ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 大崎 遥花 、 出版 山と渓谷社
 この出版社がなぜ、ゴキブリを扱った本を出すのかな…。そんな疑問に引きずられながら読み進めました。
 ゴキブリをめぐる、とても面白い本です。ホッコリしながら、学者の厳しさと楽しさが伝わってくる本でもあります。
 ゴキブリといっても、わが家に出てくるような、憎き「敵」のゴキブリではありません。森の中の朽ち木に潜んでいて、「害虫」とは無縁です。それどころか、森の中の第一次清掃人の仕事をしている、いわば益虫です。
 私は著者をてっきり男性と思って読んでいたのですが、途中で女性だと知りました。若い女性が沖縄の森の中で、ハブを心配しながらゴキブリを採集し、リュック一杯にゴキブリを入れて飛行機に乗せて運び、研究室で大量に飼育・繁殖させ、その生態をビデオ撮影しながら観察し、分析するというのです。
 もちろん、学者に性差はありえません。でも、うちの女性陣はゴキブリを見たら、まずは何よりキャーッと叫び、次には「叩き殺せ!」という大合唱です。どこも同じではないでしょうか。
 著者の研究の対象は、クチキゴキブリ。森林の奥でひっそりと暮らす、害虫ではないゴキブリ。クチキゴキブリは、朽木(くちき)を食べながらトンネルを作り、そこで家族生活を営んでいる。父と母は生涯つがいを形成し、一切浮気をしない。
 これって本当でしょうか…、信じられません。かの有名なオシドリが、実は浮気する鳥だということは既に実証されています。
 クチキゴキブリは「卵胎生」。卵は母親の体内で孵化(ふか)して子が直接母体(腹)から出てくる。
 クチキゴキブリは、交尾後2ヶ月ほどすると子が生まれ、両親ともに口移しでエサを与えて、子育てする。この両親そろっての子育てというのは、とても珍しいこと。そうですよね。
 ゴキブリ研究の第一人者である著者は、実はゴキブリアレルギーの持ち主。クチキゴキブリを素手で触ると、無数の水ぶくれが出来てしまう。
 著者は、九州大学理学部を卒業し、クチキゴキブリ研究を現在進行しているのは全世界広くといえども著者だけ。まさしくあっぱれ、です。今はアメリカの大学で研究を続けています。
 全世界のゴキブリは4500種。日本には64種類いる。そのうち害虫と認識されているのは5種類だけ。1%にも満たない。
 クチキゴキブリは雑食性で朽木、落ち葉のほか、昆虫の死骸や動物のフン・キノコなど、全部、何でも食べる。分解の第一段階、物理的な分解を担っている。クチキゴキブリの寿命は3年ほど。メスは生涯に複数回、子を産む。
卵胎生の長所は、子どもが母親の体内で守られ、天敵の襲撃を避けられるし、メス親とともに逃げることができる。
クチキゴキブリのオスとメスは、配偶時に互いの翅を食べ合う。
いったい、なぜこんなことをしているのか、どんな意味があるのかを著者はじっくり観察し、記録しながら、学者として考察するのです。実にすばらしい。でも、根気がいりますよね。
そして、その行動(生態)を撮影して記録するため、暗室をつくり赤色LEDでクチキゴキブリをじっくり観察し、その成果物を学界(会)で発表したのです。一大センセーションをまき起こしました。
クチキゴキブリのオスとメスは配偶時にお互いの翅を食べあう。翅は付け根付近まできっちり食われている。昆虫の翅は再生しないので、食べられたが最後、一生飛べなくなる。
クチキゴキブリの後尾体勢は、互いに反対方向を向いて、お尻とお尻をくっつけるようなポーズなので、カマキリのように、交尾しながらメスがオスを食べることはできない。
ゴキブリを含め、昆虫の視覚は赤色光は見えず、紫外線は見える。
翅の食い合いは、オスとメスの協力行動。相手個体が嫌がって抵抗したり、逃げ出すことはない。食べるのに時間をかけている。非常に遅い。なぜなのか…。いったい何が起きているのか、互いの翅を食べて、飛べなくすることに、何の意味があるのか…。謎は深まります。
とても読みやすい文章なので、すらすらと読めました。ゴキブリの生態とあわせて学者(研究者)の生態までも深く掘り下げられていますから、とても面白いのです。
ご一読をおすすめします。なお、「関わらず」という、「不拘」と書くべきところの誤字が何回も出てきました。著者だけでなく、出版社(編集者)の責任です。ぜひ訂正してください。
(2023年12月刊。1760円)

西部戦線、異状なし

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 レマルク 、 出版 新潮文庫
 ご承知のとおり、戦争文学の古典です。昨年(2023年)9月に75刷になっています。初版は昭和30年(1955年)9月ですから、私が小学生のころに刊行されています。前に一度読んだことがあると思うのですが、最近誰かが紹介していましたので、改めて読んでみました。
 ウクライナへのロシアの侵攻が止まらないうえに、イスラエルによるガザ地区ジェノサイドも現在進行形です。毎日、小さい胸を本当に痛めています。
 地震災害は天然自然が起こすものなので、根本的には止められず、対処法を考えるしかありません。でも、戦争は人間が始めたものですから、必ず止めることができるはずです。
 武力には武力で対抗するという考えに取りつかれている人のなんと多いことでしょう。日本の軍事予算は5兆円でも多すぎるのに、8兆円へとふくれあがってしまいました。5年間で43兆円、しかも、その内容はかの不要不急かつ未完成というか危険なオスプレイを大量購入するだけでなく、トマホークを400発もアメリカから買わされます。とんでもない税金のムダづかいです。
 戦争が始まったら、前途ある青年が大量に殺し、殺され、容易に終わらせることが出来ません。そして、戦争のかげで軍需産業とそれに結びついた自民党などの「政治屋」たちがぬれ手にアワでもうけるのです。嫌ですね、嫌ですよ…。
 兵隊がもっとも喜ぶのは、うまい食事と、休息。
 戦線に背を向けて帰ってくると、戦線の恐ろしさは消えてしまう。僕らは、戦線の恐ろしさを下等な残酷なシャレ(洒落)で茶化してしまう。軍隊新聞にも出ているような兵隊の面白いユーモアなるものは、みんな大嘘だ。ユーモアを持っていなければ、生きていられないからだ。ユーモアがなければ、僕らの体は長続きしない。
 「考えてもみろよ。俺たち、みんな貧乏人ばかりだ。敵のフランス兵だって、たいてい労働者や職人、下っぱの勤め人だ。俺は前線に来るまで、フランス人なんか一度だって見たことがない。向こうのフランス兵だって、俺たちと同じことだろう。奴らだって、俺たちと同じように、何がなんだかさっぱり知りゃしねえんだ。つまり、無我夢中で俺たちも奴らも戦争に引っぱり出された」
 「これは、戦争でトクをする人間がいるからにう違えねえな」
 「それに、将軍たちだって有名になる。戦争のおかげだ」
 「そうか、戦争の裏には、戦争でトクしようと思ってる奴が隠れてるんだな」
 僕らが兵士になったのは、感激と善良なる意思によってだ。けれども、兵士になって受けた訓練によって、僕らは心の中から、そんなものを追い出すように、あらゆる迫害を受けた。
 僕らは、戦争のおかげで、何をやろうとしてもダメにされちゃった。僕らは、もう青年ではなくなった。世界を席巻しようという意思はなくなった。僕らは世界から逃避しようとしている。
僕らは18歳だった。僕らは、仕事と努力と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らは、もうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ。
 僕らは波に圧倒された。この波は、僕らを乗せて、僕らを残酷にし、追いはぎをさせ、人殺しをさせ、悪魔にする。
 僕らはお互いに対する感情を一切失ってしまった。僕らは他人から見ると、誰がなんだか分からなくなっている。僕らは、まったく感情のない死人になっていた。それが魔術によって、危険な魔法によって、なお走り、かつ人を殺すことが出来るのだ。
 レマルクがこの本をドイツで出版したのは1929(昭和4)年1月のこと。そして、同年のうちに日本で訳書が刊行された。これって、すごいですよね。でも、残念なことに日本は軍部ファシズム体制をつきすすんでいって破滅を迎えてしまいました。
 400頁ほどの文庫本ですが、訳文がとても読みやすくて、スイスイと、重たい内容の割には読めました。戦争の非人間的な本質を分かりやすく暴いている古典小説です。改めての一読をおすすめします。
(2023年9月刊。850円+税)

戦国日本と大航海時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平川 新 、 出版 中公新書
 本のオビに日本はなぜ「世界最強」スペインの植民地にならなかったのか、という問いかけがなされています。日本もフィリピンのようにヨーロッパ列強のどこかの植民地になる可能性(危険)はあった。なるほど、考えてみれば、そうですよね。
 1608年、フィリピン総督としてロドリゴ・デ・ビベロが着任した。ビベロは、着任早々、江戸湾の浦賀にスペイン船を渡航させ、将軍秀忠と大御所家康に書状を送った。
 ビベロは、日本征服を企国していた。そのためにはキリスト教の布教が必要であり、その布教のためには貿易が必要だと考えていた。
 家康はビベロに対して銀の精錬技術をもった鉱山技師50人をメキシコから派遣してほしいと要請した。これに対して、ビベロは、スペイン船とスペイン人を保護せよというだけでなく、スペイン人が発見して採掘した鉱石の4分の3はスペインのものにする、スペイン人に治外法権を与えよと要求した。うむむ、すごい要求です。家康は応じませんでした。
 日本に武力によって進入するのは困難だとビベロは考えた。なぜなら、住民が多数いて、城郭も堅固。日本人は弓・矢・槍や刀を有し、長銃を巧妙に使う。そのうえ、スペイン人と同じように勇敢なだけでなく、議論と理解の能力においてもこれに劣ることはない。
 メキシコ先住民はいとも簡単に屈服させることができたが、日本人には知性もあり軍事力もあるので征服は困難だと判断した。このフィリピン総督(ビベロ)は、日本滞在中に江戸、駿府、京都、大阪、豊後臼杵などを見てまわっており、要害堅固な城郭に驚嘆していたし、日本が秀吉時代に2度も朝鮮出兵していたことも知っていた。
 その前、イエズス会士(ヴァリニャーノ)の報告書(1582年)にも、日本人は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だとしていた。織田信長と大名たちとの実際の戦闘も見て、日本人の戦闘力の高さを認識していたと思われる。
 イエズス会宣教師は、日本人を奴隷として海外に送り出す奴隷貿易に関与していた。ポルトガル商人の購入した日本人が合法的に奴隷身分とされることを保証するために、宣教師は奴隷交易許可状を発給していた。
 奴隷商人とイエズス会は明らかになれあっていた。何度も奴隷禁止令が出されているが、このことは、逆に言うと奴隷貿易が続いていたことを意味している。日本の奴隷市場は、ポルトガル商人にとってきわめて巨利をもたらすものだった。
 秀吉による朝鮮出兵は、失敗したとはいえ、スペイン勢力に対して日本の軍事力の強大さを否応なく知らせることになった。早く日本を征服してしまえと威勢のよかったフィリピン総督や宣教師たち、世界最強を自負するスペイン人の心胆を寒からしめる効果を発揮した。
 1617年に平戸から出帆したオランダ船の積み荷の88%は中国船等からの捕獲品であり、日本調達は12%にすぎない。オランダは洋上で略奪した物資を平戸へ搬入して日本へ売り込み、また東南アジアへも転送して巨利をあげていた。オランダは海賊をもって交易を成り立たせていた。いやはや、そうだったのですか…。知りませんでした。
 1611(慶長16)年5月、ビスカイノは長銃・小銃、国旗・王旗と太鼓をもった30人の部下を従えて浦賀から江戸に向かった。そして、このスペイン使節の前後には4000人の日本兵が護衛した。このようにして世界最強の国スペインから派遣された国王使節として将軍秀忠と会見した。
スペインと家康・秀忠との関係など、まったく知らないことがたくさん書かれていました。
(2022年12月刊。990円)

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