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老いの地平線

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 樋口 惠子 、 出版 主婦の友社
 91歳で、今なお元気一杯の著者の本です。
 「91歳、自信をもってボケてます」とためらうことなく言い切る著者の言葉は、読む人に安心感を与え、生きる励ましを恵んでくれます。
 老いは多様。十把一絡(ひとから)げのように思われるけど、本当は、その人が使える残された感覚と能力は非常に個性的。いろいろな老い方がある。
年齢であきらめることはないが、次の6つが大切。①運動、②趣味と好奇心③会話、④食事、⑤睡眠、⑥主観的幸福感、幸せを感じる。
 過去を振り返って懐(なつ)かしさを感じることには、4つの効果がある。①脳の健康を維持し、認知症の進行を抑える。②未来に向かって生きる力をつける。③ストレスを解消し、気分転換を助ける。④主観的幸福感が得られる。
 脳の中では、過去のことを思い出しつつ、同時に未来のことも考えている。
 幸せや楽しさを分かち合う相手がいない社会的孤立は、脳にとっても良くない。
 認知症の予防にはモノを捨てないほうがいいと言われている。私は、これまで、たくさんの本を書庫から取り出し、捨てました。そして、書庫に置いた本はジャンル毎にまとめています(現在進行形です)。すると、意外な掘り出し物に出会うことが多々あります。
 そんな出会いは、それこそ心ときめく瞬間をもたらしてくれます。
 一般に視力よりも早くダメになるのが聴力。本当にそうです。私は、今でも新聞も本も裸眼で読みます。メガネをかけては読めません。ところが耳は遠くなりました。法廷で裁判官が小さな声でボソボソッと言うとほとんど聴きとれません。補聴器は使っていませんが、いいのは60万円もするようです。
 著者は、自分の財布は自分で管理したいと言っていますが、弁護士としての経験から、まったく正しいと思います。相続で子ども同士がもめるのは、親の育て方に問題があったと感じることが大半です。
 著者は山本周五郎、そして藤沢周平が大好きだとのこと。私も同じです。しみじみとした情感に心が惹かれます。
 著者は、大手メディアが世代間対立をあおっているのを厳しく弾劾(だんがい)しています。まったく同感です。
 トマホークやらオスプレイなんて百害あって一利ないものをアメリカからどんどん爆買いしていながら、福祉予算を削り続け、若い世代に高齢者の年金負担は過重だなんてウソ八百を並べ立てるのは絶対に許せません。
 91歳でなお元気いっぱいの著者からの心温まるメッセージを読んで心が熱くなりました。
(2023年10月刊。1500円+税)
 タラの芽をたくさんいただきました。テンプラと塩ゆでの両方で食べましたが、ちょっぴりホロにがさのある、まさしく春そのものの味わいでした。春到来を実感することが出来て、豪勢な気分に浸りました。
 庭のあちこちに植えているチューリップがぐんぐん伸びて、もう少しで花が咲きそうです。楽しみです。おっと、その前に雑草とりをしなくてはいけません。雑草に埋もれてしまったら、可哀想です。
 通勤途上の電柱にカササギの巣が4個もあります。本当に高いところによくも巣をつくれるものです。
 そして、歩道にはハクモクレンが咲いていて、やがてコブシの白い花も咲きだします。
 花粉症さえなかったら、春は最高なんですが…。

父がしたこと

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 青山 文平 、 出版 角川書店
 ちょっと前、久しぶりに山本周五郎の『赤ひげ』を読みました。江戸時代の医療を扱っています。さすがに周五郎です。味わい深くて、本当に読みごたえがありました。
 この本も同じく江戸時代の医療を扱っていて、共通点があります。ただし、その対象は主人公の息子であり、藩主なのです。
 息子のほうは、肛門がない状態で生まれました。なので、肛門をつくり、排便させるために、毎日、朝夕2回、指を入れ、浣腸をしなくてはいけないのです。それを2年間ほど続ける必要があります。
 いやはや大変なことです。でも、可愛い我が子のためならやるしかありません。
では、藩主のほうは…。
 こちらは痔漏の手術。全身麻酔で手術するのです。江戸時代にも高名な華岡青洲のように麻酔して乳ガン手術した医者がいたのですよね。
 この本にはシーボルトがもたらした『薬品応手録』をはじめとする医書がたくさん紹介されています。よくぞ調べあげたものだと驚嘆しながら読みすすめていきました。
藩主の手術をする医師は失敗したら生命の保証はないし、その医師を世話した武士も同罪とされかねない状況が描かれています。
 しっとりとした展開の医療時代小説でした。
 著者は私と同じ団塊世代であり、医療畑の出身ではありません。たいした筆力です。
(2023年12月刊。1800円+税)

ともぐい

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 河﨑 秋子 、 出版 新潮社
 ときは明治のころ。ところは北海道の東部。山に犬1頭だけを連れて、愛用の村田銃をひっさげて入っていく猟師の話です。
 出だしの猟は鹿。一発で仕止めると、すぐに鹿の腹を裂き始める。開かれた腹の中には、むき出しの鹿の内臓がつやつやと横たわっている。腸は汗で粘ついた白粉(おしろい)のような白さを晒(さら)している。その白さが肝臓の鮮やかな赤紫色を引き立たせていた。
 赤紫色した肝臓に手を伸ばし、持ち上げると、ずしりと重い。これが綺麗でないと健康な個体とはいえない。胆管の若い汁がつかないように丁寧に切り取ると、朝の日光を反射してつやつやと輝いている。肝臓の端を親指の幅1本分くらいの大きさに切り取る。切った断面がしっかりと形を保ち、内臓に巣食う虫の痕跡がないことを確認して、勢いよく口の中に放り込む。
 鹿の温もりがほのかに残っている。歯を立てると、さくりと心地よい音がしそうなほどに張りがある。そして、甘い。血と肉の旨味を凝縮したような濃厚な味わいがかみしめるごとに口腔に広がり、滋味が鼻から抜けていく。肉ももちろん美味いが、仕留めたばかりの鹿の肝臓は格別なものだ。
 猟師(熊爪)は地面に両膝をついた状態で村田銃を構えた。銃口の先で、赤毛(ヒグマ)が猛烈な勢いで近づく。冷静に、呼吸を止めることなく、銃口を赤毛へと向ける。頭ではない。あれだけ成長した熊ならば、分厚い頭蓋骨が弾をはじく。狙うべきは、地面をかく両前脚の付け根の間。その奥にある心臓だ。万が一、心臓を貫けなくても、肺が損傷すれば勢いは削れる。距離にして、熊の体三つ分、十分に引き付けてから猟師は引き金を引いた。一瞬、赤毛の体が止まって見える。
 赤毛は横に跳んでいた。悪いことに猟師の左側、狙いづらい方へと跳んで、渾身の一発を避けている。遅かった。赤毛は後脚で立ち上がり、前脚を大きく振る。
 猟師はかろうじて銃身を盾として爪の直撃を避けたが、とてつもない衝撃に文字どおりぶっ飛ばされた。
 そして、また、もう一歩、赤毛が近づいてくる。猟師の全身の毛が逆立ち、まぶたは見開かれたままで、眼球の表面が乾く。村田銃の引き金にかけた指の感覚がない。
 緊張から呼吸が止まっている。あと5歩ほどまで赤毛が迫ったとき、引き金を引いた。
 銃口からの距離、当たった場所、熊の反応。経験から、猟師は赤毛の心臓をとらえたと確信した。
 赤毛は立ち上がったまま、左の前脚を上げた。そして前脚を空振りさせて自らの体に巻き付かせ、その勢いのまま横向きに倒れた。
いやあ、すごいものです。北海道の別海町生まれの著者による描写ではありますが、まさしく熊(ヒグマ)撃ちの実際をド迫力をもって再現しています(しているのだと思います)。
 直木賞を受賞した作品ですが、その発表前から読みたいと思っていた本でした。人間関係のところは、いささかひっかかりましたが、狩りの場合はすごい描写です。
(2024年1月刊。1750円+税)

自衛隊違憲論の原点

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 内藤 功 、 出版 日本評論社
 戦争とは国家による人殺し。これは、ごく単純な真実。まったく同感です。ロシアによるウクライナへの侵攻が始まって2年がたち、残念なことに、まったく終息のきざしがありません。イスラエルによるガザ侵攻では既に3万人が亡くなったとのこと。胸がつぶれそうです。大勢の子どもたちが飢えに苦しみ、餓死しそうだというニュースに接して、涙が出てきそうになります。
 この本では、恵庭事件の裁判が語られています。1962年に起きた事件です。60年以上も前の事件、そんな古い裁判を今どき語ることに何の意味があるのか…。そう思う人が多いと思います。でも、読んでみると、大ありなのです。
当時、27歳と26歳の若い兄弟が、牧場を営んでいて、隣接する陸上自衛隊の演習場における大砲の実弾射撃の轟音(ごうおん)・騒音・振動に抗議して通信線をペンチで切断したのが、自衛隊法違反として起訴されました。その判決は無罪でしたが、とんでもないカラクリがあったのです。
 今の私にはまったくもって信じられませんが、判決前の論告・求刑公判において裁判官が検察側に対して、情状と求刑の削除を求めたのです。つまり、裁判所は無罪判決を書くから、余計なことは言うなと言ったというのです。言われた検察官が「なぜか」と訊くと、裁判長は、「検察官は分かっているはずだから、自分からは言えない」と答えたのでした。それでも納得できない検察官が異議申立すると、裁判官は却下しました。
 こんなやりとりは、まったく考えられないところです。つまり、法廷に出席している立会検察官より上の検察官と裁判官の上のほうで何らかの合意が秘密のうちに(少なくとも弁護人の関与しないところで)成立していたということです。
 「上のほう」というのは最高裁を指しているようです。では、誰がどのようにして、憲法に触れないで決着するようにと指示したのか…、これは明らかにされていません。
 でも、最高裁長官の田中耕太郎が裁判の一方当事者である駐日アメリカ大使と密接に連絡をとっていて、その指示を受けて判決を書いた砂川事件最高裁判に照らして、大いにありうることです。そこには、裁判官、そして司法の独立という理念はまったく没却されています。
 そして、もう一つ。この恵庭事件の裁判では次に紹介する三矢(みつや)研究の統裁官の証人尋問を延々35時間もやったというのです。私も一般刑事事件の公判で「被害者」尋問を延々3開廷もしたことがありますが、35時間とは恐れいります。もちろん、真相究明に必要だったということなんですが、今どきの裁判では、そんな長時間など、これまた、まったく考えられません。事変の真相究明のためにじっくり尋問しようというゆとり・姿勢が今の裁判所には全然ありません。残念です。
 この恵庭事件については最近、映画になっています。『憲法を武器にして』というドキュメンタリー映画です。そして、この映画の法廷場面は実際の法廷で正式に録音が認められていて、それをテープ起こしして、役者が再現したというのです。ぜひ一度みてみたい映画です。
 そして、次は三矢研究です。三矢研究は、1965(昭和40)年2月に国会で暴露された自衛隊の図上演習です。この図上演習は8日間、53人もの自衛隊幹部が集まって行われました。
 その結果は、極秘とされた5分冊、1419頁もの大作としてまとめられました。対ソ戦を想定し、核戦争に備えた演習となっています。今ではほとんど現実のものになっていて、マスコミも世論も慣れさせられている自衛隊はアメリカの指揮下に組み込まれることになっていました。当時はこれが大問題でした。自衛隊とアメリカ軍の合同演習も、今や見慣れた光景です。なので、自衛隊をアメリカ軍が指揮・命令するというのも当たり前という感覚になっていて、誰も驚きません。
 でも、よくよく考えてみればアメリカ軍の本来的使命はアメリカを守ることであって、日本を守るなんて、ハナから考えていません。アメリカ軍の基地を守るために自衛隊を直接に指揮・監督はアメリカ軍がするものだと思い込まされています。
 著者は1931年生まれといいますから、今93歳です。そんな高齢なのに本を刊行するなんて、実にすばらしいことです。ところで、著者は中学生のころから職業軍人にあこがれ、ついに親の反対を押し切って海軍経理学校に入りました。軍人であるのには変わりません。ところが、幸いなことに経理学校の生徒であるうちに日本敗戦となり、命拾いしたのです。
 安保三文書によって戦争のできる軍事国家を目ざして突っ走ろうとする日本を制止したいと願う人は、本書を読んで、ぜひ周囲の「眠れる人たち」に語り伝えてほしいと切に願います。
 著者から、サイン入りで贈呈していただきました。ありがとうございます。今後ともお元気にご活躍されますよう祈念します。
(2023年8月刊。2200円)

古代アメリカ文明

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 講談社現代新書
 「世界四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)というのが、実のところ、学説でもなんでもなく、ヨーロッパやアメリカにはない、特異な文明観だというのを初めて知り、ショックを受けました。有名な考古学者である江上波夫が口調がいいというので教科書に書いたのが日本で広まり、定着しただけなんだそうです。ええっ、一杯くわされたのか…、そう思いました(プンプンプン)。
この本は、それに代わって「世界四大一次文明」を提唱しています。メソポタミア文明と中国(黄河)文明のほか、メソアメリカ文明(マヤ文明とアスデカ王国)とアンデス文明(インカ国家)です。
マヤ文明は、政治的に統一されていないネットワーク型文明。統一王朝が形成されることはなかった。そして、マヤでは鉄はまったく使用されず、16世紀まで石器を主要利器として使い続けた。マヤ文明は、機械に頼らない「手作りの文明」だった。家畜は七面鳥とイヌだけで、牧畜はなかった。大型家畜がいなかったので、荷車なども発達しなかった。牛や鳥もなしで、人力だけで大型建築物を建設した。
そして、マヤ人はゼロの文字を独自に発明した。
マヤ文字は、漢字のように意味を表わす表語文字と、仮名文字のように音節を表わす音節文字から成る。なので、マヤ文字は漢字仮名まじりの日本語とよく似ている。
マヤ文字は話し言葉を体系的に表す文字だったが、支配層だけが使う宮廷言葉だった(可能性が高い)。
マヤ人は、叩き石を用いて、イチジク科の木の樹皮から紙を製造した。
マヤの数字は20進法で、貝の形がゼロを表わした。
マヤ文明は多神教だった。
アステカ王国は、インカ帝国とほぼ同じ15~16世紀に、メキシコから中米北部にかけてのメソアメリカに栄えた。
アステカ王国は、今のメキシコあたりに、それぞれに王を戴(いただ)く三つの都市国家が連合し、主に貢納を課すことで支配領域を広げていった。
 三つの都市国家はお互いに戦争しあうものであって、そもそも一枚岩ではなかった。
 アステカ王国では宗教儀礼としての人身御供(生贄)が長らく実践された。
インカ王国のナスカとは何者なのか…。
 ナスカの地上絵は、ナスカ台地に1500点、北部に600点が確認されている。地上絵は、ナスカ台地に広がる黒い石を線状に取り除いて、その下の白い地面を露出する手法で制作されている。
 地上絵には三つのタイプがある。直線の地上絵、幾何学的な地上絵、そして印象的な地上絵。線タイプ(全長90メートル)と、面タイプ(同9メートル)の二つがある。
 当時の人々は、地上絵を歩きながら見る行為を繰り返しながら、人間と動物をめぐる分類を共有していたのだろう。地上絵を見ながら歩く行為は、社会的に重要な価値観や秩序を共有し、記憶するための必要不可欠な活動であった。
 このように著者は考えています。なるほど、上空から眺めるわけにはいかなかったでしょうからね…。
 インカ王は絶対的な支配者・権力者ではなかった。彼らは山の神々を怖れ敬い、その超大な力との関係を維持しながら統治した。
 古代アメリカ文明は、今の私たちが体験にもとづいて想像するような統一王国ではなかったようです。そのことを知っただけでも、本書を読んだ意味がありました。
(2023年12月刊。1200円+税)

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