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分断八〇年

徐 台教(集英社)

韓国で非常戒厳令が突然宣布されたのには驚かされました。

2024年12月3日夜10時27分、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が発したものです。そして、その理由として、国会議員の多くが北朝鮮の意向を受けて動いているというのに呆気にとられました。北朝鮮の影響力が韓国の国会議員を牛耳るほど強いなんて、ありえません。尹大統領は、悪い夢でもみている、正気ではありえないと感じました。

幸い、この非常戒厳令は翌4日午前1時3分に、国会議員190人が解除要求を決議したことで解除されました。その解除に至るまでに、当時の与党の一部議員と野党議員が勇気をもって国会内に入りこみ、また、大勢の市民が国会を取り巻いて、それを支援しました。実にすばらしいことです。

このとき、動員された軍の精鋭部隊も国会内への突入・占拠を命令されたのにもかかわらず実行しませんでした。たとえ、上からの命令であっても、理不尽な命令には無条件に従うことはないという、理性が発揮されたのです。

今、尹元大統領は裁判にかけられていますが、懲役10年の求刑がなされたと報道されました。ところが、今もなお、尹元大統領を支持する韓国人も少なくないとのこと。その人たちは、非常戒厳令の動きをことさら矮小(わいしょう)化する。一連の経過のなかで、死傷者が出なかったんだし、何もたいしたことではないと、軽く考えているそうです。

いやいや、非常戒厳令が本当に施行されていたら、国会機能が停止して、かつての朴大統領の軍部独裁政治が復活するのです。まさしく民主主義が一時的にせよ死滅します。

この非常戒厳令のときに動員された韓国軍は、陸軍の特殊戦司令部所属の第707特殊任務団280人。完全武装でヘリコプターに乗って、国会に乗りつけていた。国会を力ずくで掌握しろというのが尹大統領の命令だった。しかし、現場指揮官は従わなかった。

この本によると、陸軍特殊戦司令官(郭種根中将)は非常戒厳令の2日前に国防長官から行動指示を受けていた。まさしく計画的だったのです。偶発的なものではありません。

韓国軍は、これまで光州事件のときのように、何度も国民に対して銃を向け、発砲したという、怖い実情があります。

韓国と北朝鮮の体制競争は1980年に決着がついている。1945年8月の日本終戦後まもなくは、北朝鮮のほうが韓国より進んでいたことがありました。でも朝鮮戦争のあとは、韓国の躍進ぶりには目を見張るものがあり、今では北朝鮮では、腹一杯食べたい、飢餓したくないなんてことを真剣にまだ議論しているのですから、話になりません。それで、韓国進歩派の主流は北朝鮮に優越感を抱いているのです。

韓国ではキリスト教の信者が多く、教会の牧師たちが、反共を煽りたたせている。韓国は、見違えるほど、成長した。しかし、この80年間、「分断」だけは一貫

して続いている。

北緯38度線での分断をもちかけたのはアメリカであって、ソ連ではない。アメリカはソ連が朝鮮半島を全部とるのは許せなかったし、日本を丸ごとに手に入れたかったから。ソ連としても、満州を獲得できるのならと、アメリカの提案に同意した。

朝鮮戦争は北朝鮮の金日成がスターリンの了解を得て始めたことが明らかになっています。毛沢東はスターリンから押しつけられたようです。中国で国内線に従事した精強な3万7千人もの朝鮮人兵士が北朝鮮にいたこともあって自信満々で韓国に攻め込んだのでした。また、アメリカ軍も500人の軍事訪問国がいるだけで、撤退を完了していたのです。

それでも、国連軍を名乗るアメリカ軍が仁川上陸作戦を成功させてからは、一気に挽回され、北朝鮮軍の特色が濃厚となったとき、毛沢東が参戦を決意したのです。朝鮮戦争の軍人の戦死者は韓国軍14万人、朝鮮人民軍50万人。ところが民間人も莫大な死傷者を出していて、北朝鮮の人口の12%が亡くなったとのこと。大変な数字です。

肝心なことは、武力によっては朝鮮半島は統一できないことが分かった戦争だということです。これこそ日本人も学ぶべき教訓だと思います。いま、「中国脅威」論をあおりたてて大軍拡予算(なんと9兆円)が組まれていますが、あの強大な中国の軍事力に対して、日本が軍事で対抗しようなんて、そもそも発想が間違っています。韓国の「分断80年」から日本も大いに学ぶところがあると思わせる本です。

025年12月刊。2420円)

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