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破天荒、新堂幸司の人生行路

(霧山昴)

著者 新堂幸司 、 出版 弘文堂

 新堂幸司といえば、今の若い弁護士にとっては日弁連債務研究財団の理事長かもしれません。でも、私にとっては争点効です。それまでの日本の既判力論ではうなくいかないところを埋める新しいアイデアとして争点効というものを新堂幸司は提唱したのでした。私は、授業でそれを学びました。

既判力は判決主文中の判断にのみ生じるものであって、判決理由中の判断には既判力は働かない。しかし、前訴で主要な争点として争われ、理由中で判断されていることについては、後訴で同一の争点が争われたときには、前訴の判断と矛盾する判断を禁止するというのが争点効だ。つまり、判決理由中の判断に何らかの形で拘束力を認めようという点に争点効の理論の特徴がある。紛争解決の一同性を徹底させるものとして新訴訟物理論と考えが共通する。

司法試験で争点効が出題されるのではないかという予想が学生のあいだで広く流布しました。そして実際に出題されたのです。もちろん、ずばり争点効が出たのではありません。出題されたのは「判決理由中の判断について説明せよ」という設問。判決の既判力を論じ、一事不再理の思念のあらわれとして紛争の最終解決の必要性から来る失権的効果をともなうものとして失権効がある。新堂幸司の授業を熱心に開いて必死にノートをとっていた私は自信をもって答案を書き上げたのでした。

 この年(1971年)の司法試験は東大生(在学中)が90人も合格しました。新堂幸司の争点効のおかげというつもりはありません。東大闘争で1年半ほど授業(講義)がなかったので、再開されるや大勢の法学部生が、全共闘支持でバリケード封鎖を支持し、授業再開粉砕を叫んでいた学生を含めて、一斉に猛烈勉強に突入したことの成果なのです。

 新堂幸司は、東大法学部を卒業したあと、会社に入った。ところが、1週間で辞めた。毎朝8時にタイムレコーダーを押すのが、自分の時間を切り刻んでいるようで耐えられなかった。ここは、自分がいるところではないと思った。いやあ、会社に入ったことが一度もない私(就職面接を受けたことが一度だけあります。丸の内の重厚そうなビルにある会社でした。こんなところに入ったら、それこそ息が詰まってしまうと実感しました。今でも、会社に入らずに良かったと考えています。上下関係の厳しさに耐えられそうもありません)ですが、その気分はよく分かります。

 新堂幸司が私の尊敬する映画監督の山田洋次と同期同クラスだったというのを初めて知りました。といっても、山田洋次は大学に来ていなかったから、個人的に話したことはなかったとのこと。

今の学生に対するアドバイスとして、いろんな体験をしたほうがいい。世の中の動きをよく見る。法律家になるなら世間のどうこうというものをつぶさに理解して、立法の必要性を常時考えなきゃダメだと思う。これはまったく同感です。弁護士たるもの、新聞をよく読んで、世の中の動きをいろんな角度から考えてみる必要があります。

 新堂幸司は学徒動員で、戦場ではなく勤労動員として軍事工場で動かされた。そして米軍B29の大爆撃を工場が受けたとき、危機一髪で命びろいした。それで、自分は運が強いと思うようになった。

 人生なるようにしかならない。先のことを心配したって仕方ない。何とかなるだろう。戦争を生きのびたことで、そのころから自分は幸運な人間だと思うようになった。その代わり、努力しなきゃダメだとも思った。努力していれば必ず幸運がまわってくると信じた。なーるほど、ですね。

(2025年10月刊。3740円)

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