(霧山昴)
著者 北野 隆一 、 出版 幻冬舎新書
昭和天皇は戦争責任を追及され、退位を迫られることが何より心配だったし、嫌だったようです。
1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が調印されたあと、昭和天皇はメッセージに「反省」という文句を入れたかった。しかし、それは自分だけが悪かったのではなく、「軍も政府も国民も皆わるい」として、広くみなに反省を促したいということだった。昭和天皇は、「私のした悪いことは、国務大臣の輔弼(ほひつ)が悪かったということにならなければならんと思う」と語った。つまり、天皇の戦争責任ばかりが問われるのに納得できないということ。
「責任転嫁の戦争観」だと評されていますが、私もまったく同感です。
開戦は昭和天皇の本意ではなかった周囲、とくに軍部から押し切られたのだ。終戦は昭和天皇の本意から決断された。だから昭和天皇は平和主義者であって戦争責任はないと、今も真面目にそう考えている人がいるようですが、とんでもない間違いです。
この本でも、昭和天皇がだんだん開戦論に傾いている状況が側近の記録から明らかにされています。
二・二六事件(1936年)が起きたときは、昭和天皇のもっとも信頼していた老臣が殺傷されたことから、昭和天皇は事件を起こした将校らを「凶暴」と強く非難し、自ら近衛師団を率いて鎮定(鎮圧)にあたるとまで言っていた。そりゃあそうでしょうね。この事件で宮中勢力はすっかり威信を損なってしまったのですから…。
昭和天皇がGHQのマッカーサー司令官11回も会見したというのに驚きました。すっかりマッカーサーの言いなりになったようです。たとえば、沖縄については、50年間、アメリカ軍の占領下におくことを昭和天皇が提案しただなんて、信じられません。仮に、それが良いと思っていたとしても、言ってはいけないことの典型ではないでしょうか…。
そして、昭和天皇は大の「共産党嫌い」でした。学生が学業よりも政治に興味をもつことについて、「どうも困る」「若いものが政治に興味をもちだすのは、困ったことだ」と言っていたようです。
靖国神社への参拝は、A級戦犯まで合祀(ごうし)されたのを嫌い、それ以来は昭和天皇は参拝していない。
戦後も、憲法上、象徴天皇になったことを昭和天皇はまったく理解せず、政治的発言をして、政治に介入しようとしたという実情がリアルで紹介されています。
昭和天皇の肉声が聞こえてくる気配のする貴重な新書です。日本の敗戦前後の状況に関心ある方には、強く一読をおすすめします。
(2025年7月刊。940円+税)


