著者 石島 紀之 、 出版 研文出版
日本軍が中国編侵略して、大陸で何をやったのか。その事実に、現代日本人の私たちが目をふさぐわけにはいきません。それは自虐史観でも何でもなく、過去の歴史に向きあうのは当然のことです。過去に目をふさぐ者には、将来への展望を語る資格はありません。
この本は、日本軍が中国で何をしたかについて、現地の中国民衆の声を拾い集め、その置かれた状況を明らかにした貴重な本です。
当時の中国では、とくに農村部では、ほとんどの民衆が文字を読めず、記録することができなかった。民衆は、自分の生活にしか関心がなく、どこの国と戦っているのか知らない民衆も多かった。
日本軍は抗日根拠地を飢餓状態にして壊滅するため、根拠地の食糧を焼却し、あるいは略奪した。日本軍は「放火隊」を組織して、家屋や食料を焼き払った。
民衆にとって、食糧問題こそ、戦時生活のもっとも重要なカギだった。
多くの中国農民は日本軍が来るまで、それほど恐怖心をもっていなかった。ところが、日本軍の残酷さは、民衆の思いもよらないものだった。この日本の残酷さは、民衆に二通りの反応をもたらした。
その一は、怒りと憎しみである。
その二は、恐怖と混乱である。
このように、日本軍の侵略に直面した民衆の反応は複雑だった。
民衆を八路軍(共産党の軍隊)に動員するのは容易なことではなかった。民衆には「まともな人間は兵隊にならない」という伝統的観念が存在していたし、日本軍との苛烈な戦いに対する恐怖心もあった。
八路軍は1940年8月から百団大戦を始めた。
八路軍が一定の成果をあげたあと、日本軍が報復のため反攻に転じた。徹底した掃蕩と三光政策を実施し、抗日根拠地の中心地域の民衆は重大な損害を蒙った。この日本軍の「三光政策」は共産党と八路軍にとって予想外だった。
百団大戦は日本軍の華北支配に大きな打撃を与え、共産党と八路軍の威信を内外で高めた。しかし、共産党と八路軍が百団大戦で支払った代価も多大だった。日本軍の強力で残酷な反撃によって、抗日根拠地は大きな試練をむかえた。
1942年は、日本軍との武装闘争と経済闘争とが、もっとも激烈な年であり、抗日根拠地にとって、もっとも困難な年だった。
百団大戦のあと、日本軍が三光作戦のような残虐で徹底した掃蕩を実施すると、民衆のなかには恐日病・悲観・失望の心理がひろがり、掃蕩は八路軍の日本軍への攻撃のせいであると考え、怒りを八路軍や共産党に向ける者もいた。したがって、日本軍の残虐行為が民衆(農民)のナショナリズムの形成と直接結びついていたわけでもなかった。
なるほど、そういうことだったのですね。しかし、結局のところ、このような困難を次第に克服し、中国の民衆と結びついて、共産党軍(紅軍)は、日本軍を圧倒していったわけです。
日本軍が中国で何をしたのか、それはどんな問題を引きおこしたのかがよく分析されている本です。
(2014年7月刊。2700円+税)
中国民衆にとっての日中戦争
