著者 桜 井 英 治 、 出版 中公新書
年貢契約説というのを初めて知りました。
領主には百姓を保護する義務がある。それに対して、年貢は百姓がその御恩に対する忠節・奉公として納入したもの。だから、年貢の減免要求はあっても、年貢そのものを廃棄しようという動きはまったく見られなかった。
調(ちょう)の本質は、氏族や官人に分配することではなく、神に対する贈与にあった。
初穂を特徴づけるのは額の少なさだった。まさしく寸志だった。収穫の3%という低率だった。古代の税は人への課税から土地への課税へと大きく変化した。そのとき、神への捧げ物としての本来的性格は失われた。
室町幕府の意思決定は、評定会議にせよ、大名意見制にせよ、有力大名の全会一致を原則としていた。専制的な将軍として知られた足利義教でさえ、この原則は無視できなかった。
有徳銭(うとくせん)は、金持ちにのみ賦課された富裕税のこと。一定以上の財産をもつ者にのみ賦課された。
いま、アメリカでオバマ大統領が試みている金持ちへの課税ですね。日本でも共産党が提唱していますが、民主党も自民党も強く反対しています。私は必要だと考えています。
有徳人に徳行を求める民衆意識こそ、中世後期において有徳銭を支えていた主要な倫理的基盤であった。
有徳銭が民衆に対する間接的贈与であったとすれば、土倉・酒屋などの金融業者に責務の破棄を求めた徳政一揆は、いわば民衆に対する直接的贈与を求めた運動に位置づけられる。富める者は、その富を社会に還元しなければならない。本当に、そのとおりです。アメリカでは大金持ちが自分たちに適正な課税(税率アップ)を求めていますが、日本の超大金持ちから、そんな声は聞けません。残念です。
中世の日本は、文書の発給や訴訟など、さまざまな場面で、礼銭(非公式の手数料)が求められた社会だった。このような非公式の礼銭収入が実質的に役職に付随する唯一の収入源となっていた。
中世の人々は、損得勘定、釣りあいということに非常に敏感だった。損得が釣りあっている状態を「相当」、釣りあっていない状態を「不足」と呼ぶ。
手紙の末尾は、相手の身分に応じて書き分けねばならなかった。謹言、恐々謹言、恐惶謹言、誠恐謹言。ちなみに、拝啓とか前略という書き出し文言は中世日本にはない。
13世紀後半、それまで米で納められていた年貢が、銭で納める形態に変化した。これを年貢の代銭納制という。この出来事は、中世日本の経済にとって、最大の事件だった。
年貢の代銭納制は、日本列島に膨大な商品の流れを発生させ、本格的な市場経済が展開するようになった。
中世後期の日本では、銭を贈答に用いることに抵抗を示さなかった。今日の日本でも現金が平気で贈答されるが、これは日本の特殊性だ。
ええーっ、そうなんですか。たしかに、結婚式その他で、私たち日本人は全く平気でお金を包んでいますよね。そして、その相場表がマナーの本にのっています。
中世とは、年始から歳暮に至るまで、一年を通じて際限なく贈答儀礼がくり返されていた時代である。
私たちが、今日、平気でしていることって、意外にも世界的には珍しいことのようです。しかし、それは中世以来の伝統でもあるというのです。いろいろ知らないことって多いですよね。
(2011年11月刊。800円+税)
贈与の歴史学
