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気象学者・増田義信

(霧山昴)

著者 小山 美砂 、 出版 本の泉社

 101歳で亡くなられた気象学者である増田義信氏(以下、「増田」)の一生をたどった本です。

 広島原爆の被爆者たちが直後の黒い雨を浴びたと訴えているのに、国はずっとそれを否定していました。そこで、増田は現地に出かけ、被爆者の聞き取り調査を始めたのです。気象庁を定年退職したあとのことです。

 原爆投下後は、街が焼き尽くされたことから、積乱雲が発達した。激しい積乱雲からは非常に不規則な形で雨が降る。なので、「きれいな卵形」に雨が降るとは考えられない。そのことを増田は現地で指摘された。このとき、頭をガーンと殴られたようなショックを増田は受けた。そこで、現地に出かけ被爆者から聞きとって「増田雨域」を完成させたのでした。さすがですね。執念を感じました。

 増田は1923年9月、京丹後市で生まれた。貧乏な農家の次男として…。お金がないので、本当なら中学校に進学できなかったところ、父親が小作人となって、その小作費を学資に充ててくれた。当時、地主に納付する小作料は高かった。収穫した33俵のうち25俵を地主に年貢として納めた。

 中学を出たあと、増田は体格不良のため、軍人にはなれず、測候所に「雇員」として働くようになりました。

 戦争が始まると、天気予報まで国家機密とされました。報道できないのです。そして海軍に入り、いじめられるのです。ところが、海軍ではテンプラとも呼ぶインチキが横行していた。最後の最後まで海軍は腐っていたと、増田は怒りを込めて告発しています。要するに、上官の私的な官品持ち出しが公然となされていたのです。

右翼青年だった増田は終戦後に労働組合に入り、また共産党にも入党して活動を始めたのです。

 増田は、どんなに忙しくても研究の心を忘れなかった。研究の基礎にあるものは、自然現象の観察とアイデアだ。なーるほど、きっとそうでしょうね…。

 そこで、増田は時間をひねり出すため、自宅での晩酌を一切やめた。大したものです。

 全気象労組の執行委員長をしていたときには、労働現場に出かけていった。そして、トイレの落とし紙に何が使われているかに注目した。それによって、暮らしぶりが分かるのです。

 増田は昨年(2025年)6月9日に、101歳で亡くなりました。増田の温かい人柄のにじみ出てくる、いい本でした。

 

(2025年12月刊。2200円+税)

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