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渡辺昇伝

(霧山昴)

著者 稲富 裕和 、 出版 のぶ工房

 江戸時代の末、大村藩士・渡辺昇(のぼり)は剣の達人でもあり、また幕末の政界でおおいに活躍した。そして明治維新のあとは国の要職を歴任していった。

私の子どものころ、鞍馬(くらま)天狗の登場する映画が大人気でした。嵐寛寿郎が白馬にまたがって悪漢どもに捕まった杉作(すぎさく)少年を救出に行く場面になると、映画館の中は全員総立ちで、拍手とかけ声で騒然となりました。今も、その熱気のすさまじさを身体ごと覚えています。渡辺昇はその、鞍馬天狗のモデルだというのです。驚きました。

幕末のころ、各藩のなかは勤王派と佐幕派に分かれて激しく争っていました。大村藩でも、一方の派の要人が暗殺されています。そして、反対派が捕まり、大量に処刑されました。このあと、大村藩はなんとか勤王派で統一され、行動し、戊辰戦争で活躍します。

同じことは久留米藩でも起きています。久留米藩では、佐幕派の要人が暗殺されると藩内は一気に勤王派にまとまりました。藩主が決断したのです。

ところが、福岡藩は勤王派を処刑したため、結局、維新の流れに乗るのが遅れました。水戸藩の場合は、もっと深刻です。勤王派が脱藩したあげく、越前の地で大量処刑されてしまいました。その遺恨はずっと後世まで引き継がれたようです。

大村藩はわずか2万7千石という小藩であったが、藩主が主導して勤王をかかげて活躍していったことから、京都では、それなりに注目された。

アメリカのペリー艦隊が江戸湾に出現したのは嘉永6(1853)年のこと。泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず。この狂歌は当時の世相をよく表現している。

勤王派の要人を暗殺した大村騒動で罰せられた者は30人をこえる。この大村騒動を乗りこえ、大村藩は官軍の一員として、戊辰戦争に徒軍し、東北地方を転戦し、北海道にまで達した。この戊辰戦争に徒軍した功績から、終結したあと、3万石という賞典禄を大村藩は政府から授与されている。

渡辺昇は、その後、大阪府知事、会計検査院長を歴任した。

幕末の難しい動きについて、さらに深い知見を得ることができました。

(2025年3月刊。3960円+税)

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