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刻印

(霧山昴)

著者 松原 文枝 、 出版 角川書店

 満蒙開拓団、黒川村の女性たち。これがサブタイトルの本です。開拓団を守るため、彼女たちはソ連軍に差し出された。だが、それは、なかったことにされてきた―。

声を上げることで封印は解かれ、史実が刻まれる。自分を取り戻した女性たちの長き歩み。オビにはこう書かれています。

あまりに可哀想な女性たちの話ですので、購入したものの、積ん読にしておこうかなとも思ったのですが、意を決して読み始めました。そして最後まで読み通して、少しばかり救われた気持ちにもなりました。というのは、20歳前の若い女性がとんでもない人身御供の身になった事実を、本人が氏名を明らかにし、顔も出し、大勢の人の前で事実を語ったのですが、それを通して笑いのなかった生活から、孫と屈託ない笑顔で接するように変わったことが紹介されているからです。

黒川村というのは今はなく、今は岐阜県白川町の黒川地区です。有名な飛騨・高山より南側になります。

黒川開拓団は近くの村の人々もあわせて総勢129世帯、662人から成る。1940年当時の黒川村は人口4千人で、貧しい山村。

「貧乏人は満州に行け。次男坊・三男坊は満州に行け」と呼びかけられた。ところが行った先は、中国の農民が開墾した農地であり、そこに住んでいた。つまり、開拓団といっても、実は開拓者でも開墾者でもなかった。地区内に1000人の中国人と80人の朝鮮人が住んでいた。広い農地を開拓団だけではまかなえず、水田は朝鮮人に、畑は現地の中国人に貸し付けた。そして、現地の人々を小作人や使用人として使う、支配層だった。

日本の敗戦が近づくころになると、関東軍は次々に転出していったが、開拓団には何も知らされず置いていかれた。そのうえ、開拓団の青壮年は次々に兵隊にとられて、開拓団は年寄りと子ども、そして女性ばかりになった。

日本敗戦を知ると、それまで抑圧されていた現地の中国人が集団で開拓団を襲撃してきた。それに対して開拓団は多勢に無勢のうえ、頼りになるはずの壮年男子がいない。そこで、進駐してきたソ連軍と交渉して開拓団の安全を確保しようとした。そのときの条件が女性を差し出すこと、というもの。そうして、開拓団を守るためということで数えで18歳以上の未婚の女性15人が差し出されることになった。1回に4人ほどが接待所に行き、雑魚寝状態でソ連兵に犯されたとのこと。

その前に風呂に入り、終わったあと女性たちの子宮を医務室で洗浄する係がいた。それでも女性たちは梅毒にかかり、淋病に感染した。そして、チフスに感染するなどして女性4人が死亡した。この状況が11月まで続いた。

黒川開拓団が日本に帰国したのは翌46年8月から10月にかけて。満州に渡った662人のうち208人が現地で亡くなり、451人が帰国した。残留孤児は3人。

1982年3月に亡くなった女性4人を慰霊する『乙女の碑』が建立されたが、そこには何も書かれていなかった。しかし、何があったか歴史の事実として記録しておこうということになり、4000文字から成る碑文を書き込んだ。2018年11月にその除幕式が挙行された。碑文のなかには女性たちが「性接待」を余儀なくされたことだけでなく、開拓団は中国へ侵略していたものであることも明記された。

そうなんですよね。日本は戦争を始め、中国大陸を含めて各地で残虐な行為も敢行しているのです。二度と戦争をしないと誓ったはずの日本、それを明記している日本国憲法が踏みにじられようとしている最近の実情は背筋が寒くなります。

それなのに危機を煽りたてる高市首相の支持率が70%だなんて、とても信じられません。政府の行為による戦争の惨禍を二度と繰り返してはいけません。いい本でした。ご一読をおすすめします。 

 

(2025年8月刊。1870円+税)

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