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出稼ぎの時代から

(霧山昴)

著者 本木勝利編集委員会 、 出版 社会評論社

 私が九州から上京したのは1967年(昭和42年)4月のこと。そのころ、東京を含む関東周辺には出稼ぎ労働者がたくさんいました。どこもかしこも建築ブームだったので、しかも機械化が今のように進んでいませんから、多くの現場は人海戦術でした。「ヨイトマケの唄」にあるような光景はなくなっていましたが、それに似た状況はありました。

出稼ぎは冬に雪深い東北地方から東京に出てきていましたが、九州からも行っていました。そして、若者は集団就職です。中学卒業したばかりの、青年というよりまだ子どもという感じの若者が「金の卵」ともてはやされながら列車を借り切って東京へ向かったのです。

私は大学に入ると同時に、先輩に誘われてセツルメント活動をするようになりましたが、その舞台となった若者サークルに青森や岩手から集団就職でやってきた、東芝などの大手電器・化学工場で働く青年労働者がいました。

そして、川崎で弁護士として働くなかで、福島からの出稼ぎ労働者がビル建築現場の足場解体作業中に転落して脊髄を損傷して車イス生活を余儀なくされた斉藤さんの労災裁判を担当しました。

足場解体作業といっても、下から2段目で、高さ2メートルからの転落事故でした。一人作業だったので、会社の責任が追及できるのか、斉藤さんは大いに心配していましたが、弁護士2年目で怖いもの知らずでしたから、裁判を提起し追行しました。幸い、なんとか勝利的和解をすることが出来ました。すでに故郷に戻っていた斉藤さんから招待されて福島の大きな村の山奥にある斉藤さん宅に行って一泊してきました。なるほど、こんなところに住んでいると、川崎まで出稼ぎに行くのは無理ないなと思いました。

この本には、夫が出稼ぎに行って故郷に残された妻の嘆きをつづった詩「村の女は眠れない」が紹介されています。夜、布団の中で足を絡(から)ませ、腰を抱いてくれる夫がいない村の女は眠れないという一節は大変印象的でした。

子どもたちも訴えました。「とうちゃんがいない。雪ばかりの冬は泣きたい」、「雪がなかったら、とうちゃんは働けるのに」

詩集「村の女は眠れない」(草野北佐男)の最後の詩は「たたみのうえで死にたまえ」「きみに人間のほこりがあれば、たたみのうえで発想したまえ。たたみのうえを砦としたまえ。たたみのうえが死場所の人間の首尾をつらぬきたまえ。たたみのうえで死にたまえ」

出稼ぎ者の2割は労働災害にあった。しかし、行政はその実態を把握していない。

労災事故が起きるのは午前中ではなく、昼休み明けでもなく、あと少しで今日の仕事が終わるという時刻に集中した。

私が担当した斉藤さんの転落事故もそうでした。やれやれ、今日もあと少しで終わると思ったとき、集中力が鈍り、疲れもあって事故を起こすのです。

同情が毛穴ほども通用しない飯場では、自分に関係のない怪我人は、見て見ないふりをした。自分の身の上に降りかかる火の粉は自分で振り払うので他人の火の粉まで振り払う必要はない。これが飯場の不文律だった。

出稼ぎ死亡事故も多発していたが、ほとんど統計(数字)がない。会社から見舞金も出なかったり、きわめて少額のものでしかなかった。最高300万円というのもあるが、たいていは1万円から5万円というのが多い。

資料として『出稼ぎ』スライドが紹介されています。私が上京する直前のころの写真が主です。宿舎となる飯場はザコ寝状態。朝5時30分に「朝食だ」と起こされ、トラックの荷台に乗せられて今日の現場まで行く。夕方5時30分に仕事が終わる。1日の労働時間は9時30分。合計1350円から、食代270円、座布団代280円などを差し引くと、1日1060円となる。

飯場に待ち遠しい故郷の家族からの手紙が届く。夜、布団のなかで、繰り返し、何度も手紙を読む。

 紹介されているスライドの写真はよく撮れています。私にとってもなつかしい光景です。

 そして、今や、かつての飯場跡には高層ビル・タワーマンションがそびえたっているのです。まったく時代の外観は変わりました。でも、中に住む人々の心象は変わっていないはず。

 出稼ぎ労働者の実態が要領よくまとめられているのに驚嘆させられました。貴重な資料になっています。

(2025年9月刊。2200円)

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