(霧山昴)
著者 本田 由紀 、 出版 ちくま新書
同じ東大生といっても、地方出身者と首都圏の中高一貫出身者には大きな分断があり、交わることはない。中高一貫私立出身の人たちは、親が大企業に勤めていて、小さいころから教育や文化資本(資産)に恵まれ、卒額後には有名企業や高収入の仕事に就くことをはじめから計画している。
60年近く前、私が東大に入ったとき、クラスのなかの雰囲気もそうでした。都会臭プンプンのシティボーイたちとは、まったく肌があいませんでした。それでも、そのころは首都圏出身といっても戸山や西や日比谷などの都立高校出身者がたくさんいて、灘とか麻布・開成といった中高一貫私立出身者は少なかったように思います。そして、私のような地方の県立高校出身者も多かったのです。幸い、私は駒場寮という地方出身者が1000人も入る巨大な寮に入り、しかも一部屋に6人も「田舎者」が詰め込まれて生活していましたので、クラスで疎外感を味わっても、寮の部屋に戻ると、「田舎者」ばかりですので居心地抜群で何の違和感もありませんでした。私の部屋は九州出身2人、関西出身2人、関東と東北出身者各1人でした。
ノーベル賞受賞者は東大より京大出身者が多いというのは理由があると思います。大学の自由度の違いではないでしょうか。東大には官庁との近さがあり、それが学問・研究分野における自由な発想を妨げている気がしてなりません。
その意味では、現在の大学法人はまったく政策的に誤っていると思います。軍事増強に血道を上げるより、国立大学として「無駄」を惜しまず、自由に伸びのび研究できる環境を整備すべきなのです。大学あげて研究資金の確保に血眼(ちまなこ)になるなんて、馬鹿げた現象です。目先のことしか考えていない自民党の政治家の愚かさには吐き気を催します。
東大を卒業した人は、相対的に社会運動への関心が非常に高い集団である。
いやあ、果たして、そう言えるものでしょうか…。まあ、ここでは「相対的に」とありますので、なるほどそうかもしれません。私は1968年から翌年まで続いた「東大闘争」を大学2年生のときに体験し、この1年間をドキュメント小説「清冽の炎」5巻(花伝社)にまとめましたが、さっぱり売れませんでした。もう、あのときのことは思い出したくないという東大卒業生がほとんどだったのです。まあ、それでも一定数の人はその後も社会的な関わりをもっていることもまた間違いありません。
私は弁護士生活も50年以上になりましたが、苦労した人が必ずしも人格円満になるわけではないことも身をもって体験しました。守銭奴というのではありませんが、とても視野の狭い人になっている人を見ると、気の毒に思うことがあります。苦労と学歴の如何を問わず、ゆったりと余裕をもって生きている人に接すると、ほっとします。
片山さつき財務大臣は、東大を卒業して大蔵省に入るほど、成績も超優秀だったそうですが、貧乏人は人間のくずみたいな、人を見下す発言を平気でするのを見ると悲しくなります。成績が良くても人間としてダメだという見本のような人ですね、残念ながら…。いったい彼女はどこで間違ったのでしょうか…。いろいろ考えさせられました。
(2025年4月刊。920円+税)
庭の大木を切ってもらいました。
45年前にはフツーの木でしたが、今では両手で抱えられないほどの巨木になっていました。庭木の大きくないものは自分で切り倒したりしているのですが、この大木は素人の手に余ると考えてプロにお願いしました。17万円かかりましたが、おかげで庭がすっきり見通し良くなりました。プロに、やまももの木だと教えてもらいました。


