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昭和の消えた仕事物語

(霧山昴)

著者 澤宮 優 、 出版 角川ソフィア文庫

 熊本出身のノンフィクション作家が昭和時代にあって、今は見かけない仕事を紹介しています。私も昭和生まれです(団塊世代なので、いわゆる戦後っ子)。この文庫本を読むと、いろんな仕事が見事に消え去ったことを知ります。でも、私の知らない、聞いたこともないような仕事もあります。

 今もあると言えばある行商も、昭和時代は、たくさんの種類がありました。富山の薬売りは我が家にも来ていました。赤い小さな紙風船がもらえました。朝はアサリ売り、シジミ売り、豆腐売りがまわってきていました。「ガネ漬け」という塩辛いばかりのものもあります。

 駄菓子屋は、それこそ、町の辻々にあり、子どもたちが群がっていました。紙芝居が広場で演じるときは私のように親から小遣いをもらえない子どもは遠くでこっそり覗(のぞ)きみるしかありませんでした。

 繁華街に白衣をまとってアコーディオンを弾いて物乞いする傷痍(しょうい)軍人(片足がなかったり)の姿もよく見かけました。

 遊郭(ゆうかく)も、あったのがなくなったとされていますが、子どもの私にはそもそも、そんなものは見えませんでした。

 サンドイッチマンは見かけませんでしたが、ちんどん屋はよく見ました。今でも、催しものとして登場することがありますよね。仮装して、派手な服装と化粧の男女が、鉦(かね)と太鼓、クラリネットを鳴らしながら、にぎやかに演じて開店したばかりの店をアピールしていました。

 正月には、門付け(かどつけ)の芸人が歩いてまわっているのは子どものときに見たことがあります。要するに、ちょっとしたお祝いの歌を店先で歌って、「おせんべつ」をもらってまわるものです。

 集団就職というのがありました。高校に行かず、中学を卒業してすぐに東京や大阪の工場に働きに行く若者を列車に載せて連れて行くのです。この本によると1977(昭和52)年に廃止されるまで続いています。私は大学生になってセツルメントの若者サークルに入って、青森と岩手から東京に集団就職で上京したということを本人たちから聞きました。

 ポン菓子は、今もイベントものがあるときに作られることがありますよね。

 社会風俗の移り変わりを思い出すことが出来ました。

(2025年5月刊。1320円)

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