(霧山昴)
著者 金平 茂紀・大矢 英代 、 出版 かもがわ出版
今、日本社会全体がすさまじい勢いで正気を失いかけている。まったく同感です。ですが、その責任の一端がマスコミにあると言えるのではないでしょうか。
もちろん、すべてのマスコミ(人)がひどいというのではありません。でも、たとえば関西万博について報道するとき、これがカジノ施設への前座・露払いをするものであること、「黒字」というのは、実はまったくのごまかしであること、マスコミがきちんと報道したとは思えません。
そして、高市首相の台湾有事は日本有事であり、存立危機事態と考えられるかのような国会答弁について、その危険性を掘り下げて、国民に分かりやすく報道・解説しているとは思えません。それより中国当局の対応がひどいというほうにばかり熱心であるように思えます。さらに、日本が集団的自衛権を行使するというのは、アメリカと一緒になって、アメリカの手先として戦争を仕掛けることだという危険性の報道もまったく弱いと思います。
戦前、日本国民の多くが熱狂的に戦争を支持するなかで悲惨な戦争に日本は突入していったという教訓をマスコミは今、十分に生かしきれていないとしか思えません。
1960年代の学生運動が日本では今に引き継がれておらず、むしろ「恥ずかしい歴史」みたいに見られているという指摘がなされています。その渦中に身を置いていた一人として(私はリーダーなんかではありません)、「恥ずかしい」という思いはまったくありません。全共闘のなれの果てが連合赤軍のリンチ殺人事件であり、「あさま山荘」事件であり、凄惨な内ゲバ殺人であることは、残念ながら歴史的事実です。でも、全共闘一色に塗りつぶすのは止めてほしいものです。民青(民主青年同盟)をはじめとして「ノンポリ」学生も全共闘の暴力と対峙しながら学園民主化闘争をしていたのです。
世界報道自由度ランキングで、日本はなんと68位。G7のなかでも最低の評価だというのは、私はまったく同感です。
「日本のジャーナリストは、政府に対して責任追及する役割を十分に発揮していない」
本当にそのとおりです。デリケートな問題については、厳しく自主規制している。
たとえば、政権与党となった維新の会が、今、「比例議席の削減」を強硬に主張しています。大阪府議会の成功を国政レベルで実現しようというのです。いま大阪府議会で維新の占める割合はなんと7割。ところが、実は得票率は3割以下なのです。このギャップは小選挙区です。維新は全体の定数を減らしただけでなく、小選挙区をたくさんつくったのです。つまり、小選挙区は多様な民意を反映させない仕組みなのです。
大阪のマスコミは、この根本的な問題に焦点をあてることなく、維新を今なお持ち上げるばかりのようです。まさしくジャーナリズムの塊が抜き取られてしまっています。
いえいえ、私はジャーナリストには大いに期待しているのです。とくに新聞記者の皆さんには、ぜひもっとがんばってほしいのです。
(2024年3月刊。1760円)


