(霧山昴)
著者 菅波 正人 、 出版 新泉社
六本松に裁判所が移る前は、城内に裁判所がありました。その隣には平和台球場があり、子どもを連れてナイター見物をしたこともあります。
その平和台球場は今はありませんが、そこに鴻臚館(こうろかん)がありました。発掘が進み、今は立派な「鴻臚館跡展示館」が出来ています(なんと入場料は無料です)。
鴻臚館は11世紀まではあったようで、そのころは大宋国商客宿坊と呼ばれていたとのこと。
鴻臚館跡からの出土品のなかに、アッパース朝時代のイスラム陶器がある。中国陶器にはないコバルトブルーです。青緑釉陶器の大型壺の陶器片が見つかっているのです。中国でイスラム商人による交易活動が盛んだったことを物語るものです。
鴻臚館は全国に一つしかなかったのではなく、平安京・難波津(なにわづ)、筑紫に置かれていた。平安時代の初めから11世紀に焼失するまで、新羅や唐などからの外交使節や遣新羅使や遣唐使そして商人などが行きかう、東アジアと日本の結節点だった。
鴻臚館跡が発見されたのは、平和台球場の改修工事のすすんでいる1987年12月のこと。最近だというのに驚きました。
朝鮮半島にあった新羅との交流は盛んで、遣新羅使の来朝は、779年までに51回、日本から遣新羅使としての派遣は24回に及ぶ。
この本を読んで驚いたのは、鴻臚館は丘陵の上にあり、その両側は入江となっていたということです。その入り江は水深が深いので、大型船の停泊が可能でした。両側を入り江ではさまれるという立地は、隔離性と防備性にすぐれ、外国からの施設を迎えるのにふさわしい場所だった。
鴻臚館跡では、トイレ遺構も6基ほど見つかっている。いずれも堀の外側にあった。このトイレ遺構からのお尻をふくための荷札木簡が出土した。これらの木簡には、品物の人名や地名が書かれていた。木簡は用済みになったら、お尻をふくのに使われていたのですね。
模様の入った軒瓦など、数々の出土品には圧倒されます。
(2025年8月刊。1870円)


