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渡来人とは誰か

(霧山昴)

著者 高田 貫太 、 出版 ちくま新書

 古代、人々の従来は海を介した双方向的なものだった。倭の人々が韓の地に渡って青銅や鉄を入手していた。朝鮮半島から倭に渡ってきた人々が持ち込んだ青銅器や鉄器などが九州北部を中心として確認されている。

福岡市西新町遺跡にはカマドを備えた住居が多い。これは朝鮮半島から渡ってきた人々が使っていたと見るのが自然だ。

金海(キメ)大成洞108号墳には、碧玉でつくられた管玉やヒスイの勾玉(まがたま)を身につけた女性が葬られていた。倭王権の側が、高貴な女性に銅鏃などの贈り物をもたせて金官国へ送り出したと考えられる。

広開土王の碑文に書かれているほど倭の軍勢が大規模なものだとは考古学には考えにくい。広開土王の偉大さを引き立たせるために「強大な難敵」だと表現したのではないか…。

奈良県橿原市にある新沢千塚126号墳から出土したものは、優品のアクセサリーをフルセットで身につけていることから、新羅(しらぎ)の王族ないし有力な貴族の地位にあった者と考えられる。

滅亡の危機に瀕した百済の復興には倭の協力があった。百済園にあった朝鮮半島中西部の古墳からは、倭の甲冑(かっちゅう)が出土している。倭の甲(よろい)と須恵器が出土した。

5世紀の倭において、倭王朝が中国南朝から入手したものを、各地の有力者に配った。飯塚市の櫨山(はぜやま)古墳に葬られている死者は草葉の文様(三葉文)をモチーフとしている。三葉文の飾り帯は、新羅王権との政治関係が示されるもの。

6世紀の磐井(いわい)の乱は、岩井が新羅と手を結んでいたことに関連している。

倭による任那支配は架空のできごと。金官国、つまり任那を倭が支配していたという考古学的な根拠は何ひとつない。

5世紀に多くの渡来人が倭に渡ってきた。渡来人の故郷は多種多様であり、職業もさまざまだった。

葛城氏の有力者は、朝鮮半島から渡米人を招き入れ、最新の手工業生産の体制をととのえ、これを背景として、ヤマト王権の中で大きな実力をほこった。

馬が朝鮮半島から運ばれてきて、馬を飼う技術(ノウハウ)は5世紀になって渡来人によってもたらされた。

最新の知見に寄って渡来人の実像が明らかにされています。「任那日本府」なるものの存在を私も信じていたことがありました。日本列島に住む人々に当時はまだ国家といえるほどのものはなく、朝鮮半島に政府の出先機関を置くなんて、とても信じられません(ありえません)。面白く読みすすめました。

(2025年8月刊。1320円)

 日曜日、朝からフランス語検定試験(準1級)を受けてきました。この1ヶ月ほど、朝も晩も必死になってフランス語を勉強しました。なにしろ「過去問」だけでも30枚近くあるのです。そして「傾向対策」も復習しました。

 準1級はもう5回は合格しているのですが、昨年は1点差で不合格でした。ともかく上達を目ざすというより、能力低下を必死で防いでいるというところです。

 昨年までと違うのは、ネットのユーチューブでフランス語が視聴できるという点です。子供向けのレッスン、医師の健康講話そしてフランスの国会での討論などです。

 「不服従」のパノー議員の迫力ある意見にはいつも圧倒されます。

 自己採点では、4点不足でしたが、どうなりますやら…。

 3時間かけた試験の会場を出ると、秋空のいい天気でした。

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