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南方抑留

(霧山昴)

著者 林 英一 、 出版 新潮選書

 1945年8月、日本敗戦のあと、ソ連軍によって北方(シベリアなど)に抑留されたのは130万人(うち軍人軍属57万5000人)。これに対してアメリカ・イギリスなどで南方(東南アジア)に抑留された日本人も、ほぼ同数の119万人(うち軍人軍属107万人)いた。

 北方については体験記が2000点ほどあるのに対し、南方については100点もない。この本は、その南方抑留者の置かれた実情を当事者の日記などによって明らかにしています。

ソ連はスターリンの意向によって日本人を無償労働させたわけですが、イギリスも同じように日本人を無償労働させていたのでした。このときの論理は、「捕虜」ではなく、「降伏日本軍人」として扱ったことによる。ええっ、どうして、「降伏日本軍人」なら無償(賃)労働させてよいのでしょうか…。不思議な話です。

 アメリカ政府が批判したことから、イギリスは1947年3月から元日本兵の日本への帰国を再開したのでした。

 日本軍がその敗戦前に英米の捕虜を手荒く扱った(たとえば、「バターン死の行進」のように)ことから、イギリスやオランダ軍には日本軍兵士への報復の気持ちが強かったようです。

 オランダ軍は、戦犯容疑者136人に死刑判決を下しています。捕虜収容所や憲兵隊関係者の責任が厳しく追及されました。

 インドネシアでは、現地のインドネシア人が独立戦争に立ち上がりましたので、元日本兵を兵器ごと必要として取り込もうとしたのでした。

 敗戦直後の日本政府は海外にいる日本人が、兵士も民間人も、すぐに日本に帰国しないことを願った。なぜなら、日本本土には330万人もの失業者がいて、50万人の餓死者が予想されるほど、食糧事情が悪化していたから。まあ、それも分からんじゃありませんが、日本政府が国の方針として海外に送り出しておきながら、現地に残って自分の力で生活の安定を期せというのは、あまりにも責任放棄というか、無責任きわまります。

 ビルマにあったモバリン収容所には、日本人による劇団が2つもあって、交互に毎週、上演していたとのこと。すごいです。

 フィリピンの収容所では食糧不足のなか、炊事員たちは「特権階級」のように振る舞った。もはや旧軍の階級差は消滅していた。兵隊が将校を殴るということも起きていた。そして、親分が炊事場を掌握して子分を集めて「暴力団」をつくって、暴力的に支払するようになった。ひどいものです。

 レイテ島に日本人が5万人もいて、元日本兵による壁新聞がよく読まれていたことも紹介されています。大岡昇平の「レイテ島戦記」で有名ですし、私も一度、レイテ島に視察に行ったことがあります。ODAによって日本が公害を輸出している現場を確認しました。

 貴重な記録を掘り起こした労作です。日本人が昔から日記をよく書いていることにも改めて驚かされます。

(2025年7月刊。1650円+税)

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