弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年2月10日

二尊院の二十五菩薩來迎図

日本史(室町)


(霧山昴)
著者 小倉山二尊院 、 出版 図書刊行会

 京都の山城嵯峨、小倉山の麓にある二尊院の「二十五菩薩來迎図」は、室町時代(15世紀の前半から中頃)に描かれたもので、長らく京都国立博物館で保管されてきた。このたび修理が終了して、二尊院本堂の内陣に久しぶりに掛けられることになった。
 いやあ、実に素晴らしい仏様たちです。仏教心の乏しい私にも、これらの17点(17幅)の「来迎図(らいごうず)」には言葉が出ません。
 「来迎図」を黙って拝んでいるだけでは心もとないので、解説文を紹介しながら味わうことにします。
往生するとき、つまり自分が死に臨んだとき、阿弥陀如来や菩薩の姿を頭に焼き付けて、いざ臨終のとき、来迎聖衆が見えて、幸せな気持ちで往生できるようにイメージトレーニングする、そのための来迎図なのだ。
 聖衆が乗っている雲にはスピード感がある。たしかに、現代のマンガと同じように、雲は糸を引いています。往生を願う人にとって、すぐさま迎えに現れるというのは、とてもありがたいことだったことでしょう。
 二尊院の「来迎図」を描いたのは、土佐行広という画家。やまと絵の画派である土佐派の実質な祖。
 修理には3年間をかけ、古くからの積み重ねのある伝統的な手法によって、修理前の古びた趣を保ちつつ、仏画として再び本堂内陣にかけらえることを目ざした。
 この「来迎図」は、京都、嵯峨の地の「酒屋」などの裕福な人達の寄進によって作成された。当時の「酒屋」は、土倉(どそう)という金融業者を兼ねる裕福層だった。
 二尊院の菩薩は、細かいところにこだわりすぎない大らかさや、見る人の気持ちをゆったりさせてくれるような柔らかさを漂わせている。
この世から死者を送り出す「発遣(はっけん)」の釈迦如来と、極楽浄土から迎えに現れる「来迎」の「阿弥陀如来」を並びたてて描いているところに最大の特徴がある。
 太陽と月は、現世の風景。なぜなら、極楽浄土は仏の光明で満たされているから、太陽や月や灯火は不要。阿鼻地獄の炎の世界では、太陽も月も星も見えない。
 修理についても紹介されています。古糊(のり)を使ったというのですが、これは小麦デンプン粉を5年から10年も冷暗所で発酵させたものというのです。息の長い仕事です。そして、接着力が強くなるのかと思うと、まったく逆。きわめて弱いそうです。本紙への影響を小さくするための工夫の一つというのです。
 修理作業が写真とともに詳しく紹介されています。気の遠くなるような手作業がえんえんと続くのです。それにしても、今では「非破壊検査」で、いろんなことが対象物をこわすことなく、かなり知ることができます。そこは現代文明の到達点ですね...。
 たまには仏画を鑑賞して、目と心を洗うのもいいことだと、しみじみ思いました。
(2023年8月刊。税込4180円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー