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2020年4月 の投稿

未完の時代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 平田 勝 、 出版 花伝社
全学連の輝ける委員長だった著者は、共産党の要請を受け、辛じて籍だけあった東大文学部生として東大闘争に関わるようになったのでした。
著者は駒場寮のとき寮委員長にもなっていますが、その寮委員仲間には東大学長にもなった政治学者の佐々木毅がいました。
著者は東大闘争について、安田講堂攻防戦ばかりが世間のイメージとして定着しているが、この安田講堂攻防戦は、東大紛争の本筋と解決する道からは大きくズレた、一部の孤立した学生の動きであり、大学への権力の介入を許しただけの妄動だったとしています。私も、まったく同感です。
2日間にわたる安田講堂攻防戦は、一日中、テレビで実況中継として放映され、大変な高視聴率でしたが、それこそ政府・自民党の狙うところでした。
東大闘争は七学部代表団と加藤一郎総長代行らの東大当局とのあいだで確認書を取りかわして決着しましたが、その成果は大きいものがありました。政府・自民党は、確認書をしきりに攻撃したのですが、東大当局は今に至るまで、一応、確認書は守ってきています。
東大闘争のなかで、全共闘とそのシンパの学生は、しきりに「自己否定」と言っていました。民青系が民主的インテリゲンチャ論を展開すると、全共闘はせせら笑っていたのです。
でも、全共闘のメンバーもシンパ層も、東大生をやめたというのは私の知るかぎり何人もいませんでした。そして少なくない人たちが権力に取り込まれ、企業戦士になっていきました。
「自己否定」という言葉からは、自己のありように対する厳しい自己反省を含む倫理的ニュアンスがある。しかし、全共闘の実際の行動からすると、自己否定の論理とは、そうしたものとは全く違って、言葉には酔っていたが、自己の感情を絶対化し、自己否定や自己批判を、暴力をもって他人に押しつけるという、むしろ「自己肯定」の論理に立つものであった。自分の感情にだけ「誠実」であればそれでよいのか、このように問いかけた東大の教官がいたが、そのとおりだと思う。
この分析も、私の実感にぴったりあうものです。
私のクラスにいた全共闘のメンバーもシンパも、「自己否定」どころか、自分を絶対視しているとしか私には感じられませんでした。
そして、さらに大きな問題は暴力の問題です。全共闘のメンバーやシンパだった人は、自分たちがひどい暴力を振るっていたことをあまり語りませんし、反省の弁を聞くことがほとんどありません。しかし、当時、全共闘に対峙していた側の一員だった私にとって、全共闘の暴力は決して見過すことのできない重大問題です。
もし全共闘が暴力をともなわない単なる論理の問題であったのなら、自己の内部にあるエリート性の否定としての「自己否定」であり、精神運動として一定の意味はあったと思われる。しかし、現実には、全共闘の論理には暴力がともなっていた。全共闘は暴力の魔力に取りつかれていたと思う。本当に、そのとおりです。
東大闘争が収束したあとしばらくして連合赤軍の「総括」の名のもとの大量リンチ殺害事件が発覚しましたが、全共闘の「敵は殺せ」という暴力の論理の行きつく先だったと私は思います。
全共闘のメンバーが万一「革命」に成功して政権を握ったとしたら、スターリンの恐怖政治、毛沢東による文化大革命発動という恐るべき悲惨な事態が日本でも起きたことでしょう。
全共闘の暴力に対して、無抵抗主義、ガンジーのような非暴力で対処するというのは、非現実的だったと著者は主張していますが、私も同感です。全共闘の暴力に対して、民青も「クラ連」も、そして多くの一般学生もヘルメットをかぶり、ときにゲバ棒をもって対峙して、全共闘の暴力を克服して確認書を勝ちとり、授業再開にこぎつけたのでした。
全共闘のシンパ層は、授業が実際に再開されると、なだれをうって授業に出席しました。私は、それが悪いというのではありません。学生として授業に出るのは当然だからです。ですから、せめて暴力を振るっていたことだけは反省してほしかったのです。
全共闘の暴力に対抗して、多くの東大生が立ち上がりましたが、それだけでなく「外人部隊」の応援も受けています。それは事実ですし、必要だったと思います。宮崎学の本に出てくる「あかつき戦闘隊」も実際に存在しました(あまりに誇張されすぎていますが…)。
また、共産党が大量のゲバ棒、毛布、弁当をはじめとして、大金を投入したのも事実のようです。それは政府、自民党、財界側からも同じように資金が投下されていたこととあわせて考えるべきものだと思います。
著者は東大闘争の過程で共産党の宮本顕治書記長から直接、闘争指導を受けていたことも明らかにしています。これまた、すでに活字になっていることでもあります。
最後に、この本は、民青を舞台とする「新日和見主義事件」に触れています。共産党は、この事件の詳細を明らかにしていませんが、民青の発展を大きく阻害した残念な事件だったことは間違いありません。私も70年代の遅くない時期に民主連合政府が実現できると信じて活動していましたので、それがぐーんと遠のいてしまったわけです。ただ、学生セツルメントが1970年代に急速に低下し、やがて消滅していったことは、「新日和見主義」事件とはまったく関係がありません。やはり、学生の質・関心に大きな変化があったのです。
いま、アベ政権に代わる政権を目ざしているなかで、反省材料の一つになる本だと思いました。貴重な歴史証言の一つとして私は一気に読みあげました。著者の今後ますますのご健勝を祈念します。
(2020年4月刊。1800円+税)

兵器を買わされる日本

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 東京新聞社会部 、 出版 文春新書
読むほどに腹の立ってくる本です。コロナで大変な日本なのに(全世界がそうですが、それはともかくとして…)、医療崩壊を喰い止めるために医療費を増大させる必要があることは明白なのに、軍事予算を削って、医療・福祉にまわすという政策が出てきません。せいぜい一世帯にマスクを2個、郵便で送り届けますというピンボケ策です。
真相を隠し、責任転嫁を図って政権を維持することしか頭にないアベ首相をいただく日本国民は不幸です。最大の災難は、とんでもない首相から来ているとしか言いようがありません。
日本はアメリカから最新鋭のステルス戦闘機F35を105機購入する。すでに決まっている42機とあわせると147機。1機120億円として、105機で1兆2600億円。
安倍首相ほど、トランプ大統領にこびへつらうことに心血を注いできた指導者はおそらく世界中を探してもいないだろう。
これは、アメリカのワシントン・ポストの記事です。いやはや、とんでもない「愛国者」です…。
2019年度の防衛予算は5兆2574億円で、防衛費は5年連続で過去最大を更新し続けている。
今年(2020年度)も、コロナ・ウィルス対策で予算組み替えするかと思うと、何もせずに、同じように軍事優先、医療福祉の切り捨てのままでした。驚くべき冷酷さです。
増大する日本の防衛費にアメリカの関係者が群がっている。要するに、日本の軍事予算の増大は、日本を守るためというより、トランプ大統領を支えているアメリカの軍需産業のためなのです。本当に嫌になってしまいます。
日本はヘリ空母「いずも」をもっているが、実は、海上自衛隊は慢性的な人員不足。空母の運用には人員確保が難しい。現場はほしいと言っていないのに、トップダウンで空母化が押しつけられているだけ。
基地騒音公害で周辺住民に巨額の賠償金が支払われている。地位協定によるとアメリカも分担金を支払わなくてはいけないはずなのに、アメリカは分担金を払っていない。そして安倍政権はアメリカに対して支払えと請求してはいない。恥ずかしい限りです。
イージス・アショアは、安倍首相がトランプ大統領に買わされたもの。イージス・アショアは、日本の防衛のためではなく、アメリカ本土を守るためでしかない。ハワイとグアムのアメリカ軍基地を守るためのシステムだ。
いやはや、何ということでしょう…。日本を守るための軍事予算といいつつ、実は自分たちの政権を維持するため、そして日本の軍需産業のためというのです。やり方が汚ないですよね。ホントに腹がたちます。プンプンプン…。
(2019年12月刊。850円+税)
 今年は満開の桜をいつまでも眺めて楽しめます。出勤途中、横手にある小川の土手の桜並木を見ると、心がほっこりします。
 庭のチューリップは盛りをすぎ、白をベースとした黄色のアイリスの花が加わりました。シャガの白い花も咲きそろっています。ジャガイモが芽を出して、茎が伸びていて楽しみです。周囲の雑草をとってやります。 そしてアスパラガスがいつものところに毎日1本、2本と収穫できます。電子レンジで1分間、チンすると、春の味を楽しめます。
 コロナさえなければ、春らんまんを思う存分に楽しめるのですが…。

歴史としての日教組(上)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 広田 照幸 、 出版 名古屋大学出版会
戦後日本の教育をダメにしたのは日教組だと右翼が言い、アベ首相も国会でそんな野次をたびたび飛ばしました。それほど日教組は戦後日本の教育界に影響力をもっていたのでしょうか…。この本は、日教組の実態を学術的に究明しようとした本格的な研究書です。上巻だけで300頁あります。
日教組くらい実像とかけ離れたイメージや言説がおびただしくつくられ、巷間に流布している組織は珍しい。妄想に満ちた一方的で過剰な読み込みがある。
そもそも日教組は単組の連合体組織なので、日教組中央の統制力は決して強くない。個々の組合員のレベルでは、多様な考え方の組合員がいるのは当然である。
1989年に反主流派の単組の大半が離脱したあとの日教組は、総評の解体後につくられた連合に加入し、それまでの対決型の運動方針から穏健な対話路線へと、運動のあり方の見直しを模索するようになった。
1995年には、いわゆる文部省と日教組との歴史的和解が成立した。
右翼や保守派は、日教組について、上から下まで徹底管理された、思想的にも一枚岩の組織像をつくりあげた。しかし、それは、日教組の実態から著しくかけ離れていた。
1950年代に共産党系が日教組執行部の多数派になった事実はない。
1989年の日教組分裂時まで、執行部三役は、すべて非共産党系であった。そして、中央委員のなかで共産党系とそのシンパの占める比率は3割だった。
日教組は、全逓や国労とは違って、共産党の影響力は大きくなかった。
1950年の地方公務員法は日教組が法人格を得る道をふさいだ。日教組などの全国的な連合組織は、労働組合法の保障する労働組合でも、地方公務員法が規定する職員団体でもない、任意団体になった。ところが、日教組は労働組合であると同時に職能団体であることを内外から期待された。
自民党と文部省が日教組攻撃の材料として「倫理網領」を論じるときに「日教組の方針を解説したもの」としている「解説」なるものは、日教組の情宣部が独断で作成したものにすぎず、いかなる日教組の機関が承認したものでもなかった。
日教組は共産党系の勢力の支配下にあったことは一度もない。日教組の主流派にとって共産党系の勢力は、連携のパートナーであり、同時にうっかりすると過激な方向に引きずられたり、内部をかき回されたりしまいかねない油断のならない相手でもあった。そして、日教組の主流派は、共産党系の勢力を敵視していたのでもない。また、日教組の主流派は、特定の政党の指導下にあったわけでもない。
たくさんの資料を分析して導き出された結論ですので、大いなる説得力があります。
(2020年2月刊。3800円+税)

病気は社会が引き起こす

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  木村 知 、 出版  角川新書
 今や全世界がコロナ・ウイルスの恐怖に震えています。この情勢にぴったりの本です。ですから、もちろんコロナ・ウイルスのことを論じた本ではありません。その前に起きたインフルエンザ大流行をきっかけに病気の原因と対策を考えてみたという本です。
 著者はカナダ生まれの外科医です。この本には、なるほど、なるほどと思うところが多々ありました。
カゼのクスリは、カゼを治す効力はもっていない。そもそも、自己防衛反応ともいえる発熱や咳を、解熱剤や鎮咳薬で無理に抑えこもうとするのが間違い。そんな薬はカゼに効かないばかりか、むしろ各成分による副作用のほうが、よほど心配だ。
医師はカゼを治すことはできない。カゼへの対処法は服薬ではなく、休息だ。熱、ノドの痛み、鼻汁、咳、痰といった不愉快なカゼの症状は、ウイルスを排除するための免疫反応の結果、つまり自分で自分を守るための自己防衛反応とも言える。発熱で体温を上げて、ウイルスの活動をおさえる、鼻づまりで、さらなる異物の侵入を防ぐ。鼻汁とくしゃみと咳で異物を体外に排除する。このような自浄作用である症状を薬でなくそうとすること自体がナンセンスなのだ。カゼのときくらい、ゆっくり休める社会に日本も変わっていくべきときではないか…。
インフルエンザかどうかではなく、体調不良のときには、自分自身の安静のためにも、周囲への感染拡大を防ぐ意味でも、何をおいてもまず休む。これが大切だ。職場や学校は、そのように休むべき人を積極的に休ませるという体制を早急につくりあげなければならない。なるほど、これが一番大切なことですよね。発想を切り換える必要がありますね。
アメリカには日本のような国民皆保険制度はない。アメリカの保険未加入者は2810万人で、全国民の9%に近い。しかも保険に加入していても、保険会社が保険金の支払いを拒否する事例が少なくない。病気になっても十分な医療が受けられなかったり、高額な医療費のため家屋を手放さざるをえなくなるなど、医療をめぐる格差問題は深刻だ。
マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』(2007年)は、アメリカの医療制度がいかに金持ち優遇のシステムなのかを白日のもとにさらけ出している内容で、見ているとゾクゾク寒気がしてきました。日本はアメリカのようになってはいけないのです。
日本の生活保護制度の運用における最大の問題点は、微々たる不正受給問題よりも、本来なら受給して然るべき境遇の人が支給されないまま放置されていること。生活保護費が高いのではなく、年金や最低賃金が低すぎるのだ。
本書で指摘されていることは、しごくあたりまえのことだと思いますが、そのあたりまえのことが残念ながら見過ごされていると思いました。
(2019年12月刊。840円+税)

英国貴族、領地を野生に戻す

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 イザベラ・トゥリー 、 出版  築地書館
1558年、自分が王位を継承したことをエリザベス一世が知ったのは、大きなオークの木の下に座っていたときだった。このオークの古樹が枯れたとき、現在のエリザベス女王は、そこにオークの若木を植えた。
庶民にとって、オークは生計の手段であり暮らしを支えるものだった。ドングリはブタの餌になり、パンをつくるのにも使われた。樹皮は皮をなめすのに使えたし、刈った枝は、冬は家畜の飼料になり、薪にもなった。おが屑は肉や魚をくん製にするのに使い、没食子からはインキをつくった。そして、木材で炭をつくり、それを使って鉄を精錬した。
オークは、イギリスのどんな郷土樹種よりも多様の生物を支えており、その中には亜種をふくめて300種をこえる地衣類や膨大な種類の無脊椎生物が含まれている。また、キバシリ、ゴジュウカラなど、シジュウカラ科の野鳥に巣と食べ物を提供する。
成熟したオークは毎年70万種の葉をつけるが、秋には簡単に分解されて、地面に栄養たっぷりの小山をつくる。その地面には、色とりどりのさまざまなキノコが生える。
オークが生態系としての本領を発揮するのは、樹齢が高くなり、盛りをすぎて幹に空洞ができはじめてからだ。心材が腐るにつれて栄養分がゆっくりと放出され、幹に新しい生命を吹き込む。木の空洞に巣をつくるコウモリや鳥の糞も養分となる。そして、落ちた枝がさらに根に養分を提供する。この循環プロセスに重要なのはキノコ類だ。
樹齢900年以上のオークがイギリスには118本あり、その大半は貴族の所有する庭園にある。オークという木が、こんなに大切な役割を果たしていることを初めて知りました。
著者は農業経営に見切りをつけ、農場を農業から解放した。すると、農地が生き物であふれかえるようになった。
14世紀の初め、イギリスにはダマジカのいる鹿狩り庭園が1300ヶ所以上あった。現在、イギリスには野生のダマジカが12万8000頭いる。賢いメスのシカはオークの木の下で冬に備えてカロリーをため込む。オスのシカは、冬が来るころには、疲れ果てて、餓死しかけていて、一番弱いものから死んでいく。自然は、こうやって不必要な個体を排除する。餓死というのは、自然界の重要な要素で、基本的な自然のプロセスなのである。
南ヨーロッパの乾燥した地方にある乾いたマツの森とは違って、イギリスには唯一の例外であるヨーロッパアカマツを除いては、火のつきやすい樹種はないし、稲妻が発生しても消防車が発動することはない。
乳牛の生涯は過酷である。3~4回も出産し、1日平均22リットルの牛乳を1日365日分泌し続けたあと、5歳から6歳のころ廃牛処理加工場行きとなり、その肉はドッグフードかミートパイにするくらいの価値しかない。
ところが、農場で放任して育てたウシは、最長なんと21歳という高齢まで生きた。母ウシは次の子ウシが生まれたあとでさえ、家族の絆は強い。
ウマにぜいたくな餌を与えすぎると病気になってしまう。ウマは胃が一つしかないので、感染しやすい。
フンコロガシが糞の中に含まれる寄生虫を食べ、糞そのものを速やかに処理することで寄生虫による伝染を防ぎ、その結果、化学合成された駆虫剤を家畜に与える必要も減る。フンコロガシが健康的な牧草の成長を促進することによって、家畜産業は年に3億6700万ポンドの節約になっている。
世界で生産される食料は、すでに100億人に食べさせるに十分なのだ。ところが、13億トンに及ぶ食べ物が毎年廃棄されている。先進工業国は、年に6億7000万トンもの食べ物をムダにしている。
ヨーロッパの倍の面積をもつアメリカにいるグリズリーが1800頭しかいないのに対して、ヨーロッパには1万7000頭のヒグマがいる。
オオカミは1万2000頭で、アメリカの2倍近い。ヨーロッパ23ヶ国にはあわせて9000頭のオオカミヤマネコがすんでいる。
一匹のチョウの羽ばたきは聞こえない。だが、チョウも何万匹も集まると、まるで滝しぶきか、迫りくる気象前線のようなざわめきが生まれる。アフリカの乾いた大地から1万5000キロにも及ぶ距離をチョウが渡ってやってくる。触角の先端にある太陽コンパスを使っているらしい。
ナイチンゲールが鳴き、ビーバーが川をせき止める。環境復元によってさまざまな大自然の営みがすすんでいく。見事なものです。
自然環境をできる限り保存するというのは、いま大切な取り組みだと思いました。アマゾンの大森林も、ぜひ残したいものです。
(2020年1月刊。2700円+税)

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