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2018年7月 の投稿

江戸の骨は語る

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 篠田 謙一 、 出版  岩波書店
2014年7月、東京の「切支丹屋敷跡」から3件の人骨が発見された。
新井白石が尋問し、藤沢周平が『市塵』に描いた江戸時代の潜入宣教師シドッチの人骨ではないのか・・・。
この謎を解いていくスリリングな過程が生き生きと描かれていて、人体をめぐる科学の進歩・発達を実感させてくれます。結論を先取りすると、今のDNA鑑定は、人骨となった人物がイタリアの中部地域に居住していたというところまで特定できるのです。ですから、そこまで判明したら、当然のことながら、その人骨はイタリア人のシドッチだと特定されます。
徳川幕府によるキリスト教信者の弾圧が強まり、潜入・潜伏していた宣教師たちが、あるいは残酷に処刑され、また棄教(ころび)していった。それを知ったローマ教皇庁は、日本への宣教師の派遣をついに断念した。
シドッチは、切支丹屋敷に幽閉されたものの、年に銅25両3分と銀3匁(もんめ)ずつを支給され、拷問もなく過ごした。しかし、4年後の1713年に、シドッチの世話をしていた長助とはるという夫婦がシドッチにより洗礼を受けたと告白したため、3人とも屋敷内の地下牢に監禁されることになった。シドッチは、10ヶ月後の1714年に47歳で衰弱死した。
シドッチが切支丹屋敷内に埋葬されたというのは、キリスト教関係者の間では広く知られていた。そして、実際に、その切支丹屋敷内から3件の人骨が保存状態も良く発見されたのです。では、本当にシドッチたちか、どれがシドッチか・・・。その探索が始まります。
東京の地下は、土質が粘土質で、嫌気的な環境が保たれやすいので、人骨は残りやすい。九州では、地面の下から人骨が消失していくのに対して、関東では、地面にしみ込んだ雨水が人骨を溶かすので、上面にあたる部分から骨が消失していく。
古代人骨のDNA分析では、歯の内側の空所である歯髄腔の内側面を削り、内部の象牙質を用いることが多い。
古代の人骨のなかで、最もDNAをふくむのは、頭骨の内耳の周辺の骨。人骨中に残るDNAの保存に関しては、水は大敵。酸性に傾いた日本の土壌では、しみこむ水も酸性を示し、骨中に残るDNAを破壊する。
DNA分析の技術の進展がこの人骨をイタリア人であると断定できるまで進んだタイミングで発掘されたことになる。
江戸時代の男性の平均身長は156センチ。ところが問題の人骨は身長が170センチをこえている。
シドッチの遺骨が発見されたのは、没後300年という節目(ふしめ)の年であり、2014年は日本とイタリア修交150周年でもあった。
すごいですね、人骨がイタリア人であることを確実に断定できるまでDNA分析ができるとは・・・。
(2018年4月刊。1500円+税)

マーティン・ルーサー・キング

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 黒崎 真 、 出版  岩波新書
私にとっては、マルティン・ルーサー・キングですので、そう呼びます。彼がメンフィスで凶弾にたおれたのは1968年4月のこと。私は大学2年生です。東大闘争が2ヶ月後の6月に始まりました。全世界がなんとなく騒然としていたころのことです。
といっても、日本の学生デモはまだ平穏な状況にありました。アメリカのような黒人の群衆がたちあがり、白人がいらだって武力で弾圧するというのは、対岸の火事でしかありませんでした。ヨーロッパ、フランスやドイツが騒がしくなるのも5月以降のことです。
等身大のキングが描かれていると思いました。英雄として美化されすぎることもなく、その苦悩の日々が紹介されています。
キングは、アメリカにおける黒人解放運動が、インドのガンジーのような非暴力主義路線で成果をあげることができるのかという難問に直面していたのです。白人側は野蛮な、むき出しの暴力で襲いかかってくるのです。それを非暴力で迎えたら、しばり首で木に吊り下げるだけではないのか・・・。とても重い問いかけです。生半可なことではやってられません。
南部において、黒人教会は黒人の社会生活の全領域に密着した最も重要な社会組織だった。都市では、黒人自身が黒人教会を所有しており、黒人牧師は白人に解雇される心配がなかった。黒人牧師は概して白人社会に経済的に依存しない分、言論と行動に関して相対的に自由な立場にあった。
キングは、3世代にわたる牧師の家系に生まれた。祖父アダムが教会を父が引き継いだ由緒ある黒人教会だった。家庭環境は、キングの人格形成に大きな影響をもった。それは何よりも、キングが心身ともに健康に成長し、肯定的な世界観をもつことを助けた。
黒人会衆がもっとも聴きたい説教とは何だったか・・・。それは、神は確実に自分たちの自由の問題に関与していること、そして最後には自分たちは確実に自由になれると説く説教だ。「神の臨在」の体験こそ、過酷な環境を生き抜き、たたかう霊的活力を黒人たちに与えてきたものだった。
キングの説教は、抽象論に陥ることなく、人々の日々の経験や生活に即して語るように努めたものだった。
キングは、神のご臨在を体験した。「マルティン・ルーサーよ、大義のために立て。正義のために立て。真理のために立て。見よ、私はおまえと共にいる。世の終わりまで共にいる」
キングは、たたかい抜けと呼びかけているイエスの御声をたしかに聞いた。イエスは決して一人にはしないと約束してくださった。1956年1月27日の夜、自宅のキッチンでの出来事だ。
1877年から1950年にかけて、南部では4000人(大半は黒人)がリンチされている。
キングは27歳のとき、公民権問題における全国的シンボルになった。
キングはガンジーの非暴力に共鳴した。①非暴力は、勇気ある人の生き方である。②非暴力は友情と理解を勝ちとろうとする。③非暴力は、人ではなく、不正を打ち倒そうとする。④非暴力は自ら招かざる苦しみが教育し、変容させると考える。⑤非暴力は憎悪の代わりに愛を選ぶ。⑥非暴力は、宇宙が正義の側に味方すると信じる。
1963年8月28日、ワシントンでの大集会でキングは演説の最後に5分間のアドリブを加えた。有名な歴史的演説です。先日、キングの孫娘が、銃をなくせという大集会で感動的な演説をしました。
私には夢があります。イエース。それは、いつの日か、この国は立ち上がり、すべての人間は平等につくられているという、この国の信条を生き抜くようになるだろうという夢です。イエース。私には夢があります。ウェル。それは、いつの日か自分の4人の小さな子どもたちが、皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるだろうという夢です。
このキングの演説を聞いた聴衆は万雷の拍手でこたえた。少しのあいだ、あたかも神の国が地上に出現したかのようだった。
何度きいても、また読み返しても素晴らしい演説です。残念なことに、その夢の実現はアメリカでも、そしてこの日本でも、ほど遠いのが現実です。ヘイト・スピーチなんて、やめてほしいです。
 キングは、ベトナム戦争に公然と反対したのですが、それはアメリカ国民の反発を買ってしまったのでした。アメリカ国民の多くは、このころ、まだベトナムで正義の戦争をしているという幻想に浸っていたのです。
きびしい人種差別と貧困のため、黒人の若者は軍隊のほうがましだとベトナム戦争に志願し、その多くが戦死していった。しかも大義のない、間違った戦争のために・・・。
キング暗殺の実行犯は白人男性。共謀者がいたのではないかと疑われているが、真相は今なお不明。
キングは財産をほとんど残さなかった。5000ドル(50万円)の預金しかなかった。長く借家ずまいで、4人のこどものために買った家は1万ドル(100万円)だった。
キングは黒人の公民権運動だけでなく、経済的正義や貧困問題についても取り組んでいた。このことを忘れてはいけない。
キングは「普通の人」だった。子どもが大好きだったし、女性関係という矛盾もかかえていた。
それでも、キングを今の私たちは忘れてはいけない。強く思ったことでした。
240頁の新書です。ご一読を強くおすすめします。読むと、勇気というか元気が出てきます。
(2018年3月刊。820円+税)

ソウルの市民民主主義

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 白石 孝 ・ 朴 元淳 、 出版  コモンズ
いま、日本人は韓国の人々から大いに学ぶべき、いや学ぶだけでなく、見習って行動に立ち上がるべきだと痛感します。
ソウルの広場を埋め尽くしたキャンドル革命は朴クネ元大統領の弾劾を実現し、刑務所に入れることに成功しました。同じように身内優先の利権政治をすすめているアベ首相は今ものうのうと高笑いして夫婦そろっての外遊しながら、なんと支持率を回復しているなんて、まるで間違ったアベコベ政治の典型です。
韓国では、キャンドル革命を原動力として文大統領を実現しました。朝鮮半島の平和確保を至上命題として政治生命を懸けた必死の取り組みが南北会談の実現そして米朝共同声明に結実したのです。これから紆余曲折は何度もあると思いますが、朝鮮半島の平和に向かって一歩一歩すすんでいくことは間違いありませんし、また、それを目ざして私たち日本人も応援すべきです。
この本は、キャンドル革命を支えたソウル市長との対話をふくんでいます。何十万人という人々が広場に集まることを想定して、ソウル市は万全の支援・救援措置を講じたのでした。衛生面、トイレ、ゴミ収集、安全面、地下鉄の運行など、至れり尽くせりです。すごいです。
そして、ソウル市は、朴元淳市長(人権派弁護士でした)のもとで、非正規職員を大胆に正規職員に切り替えていったのです。そのため人件費支出が増大したかと思うと、かえって減少したのです。なぜか・・・。人材派遣業への支払うマージンがなくなったからなのです。
そして、非正規から正規に転換した人については「校務職」と命名したのでした。プライドの尊重です。朴元淳市長は3大公務の実現に取り組んでいます。
その一は、小・中学校給食の完全無償化、その二は、ソウル市立大学の授業料半減、そして、その三が先ほどの非正規を正規へ転換する、です。
人権派弁護士が大統領とソウル市長になって大活躍しているのを知ると、いよいよ日本の人権派弁護士も負けてはおれないという気分になってきます。
ルポあり、ソウル市長との対談ありで、とても充実した韓国レポートになっています。
(2018年3月刊。1500円+税)

未来を拓く人

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 池永満弁護士追悼集編集委員会 、 出版  木星社
あしたをひらくひと、と読みます。弁護士池永満の遺したもの、というサブタイトルのついた330頁もの大作です。
故池永弁護士の多方面にわたる活動の一端をしのぶことのできる見事な追悼集です。
といっても、池永満弁護士が亡くなって早いもので、もう5年半がたってしまいましたので、池永弁護士って誰?という若手弁護士も少なくないことでしょう。
池永さん、以下いつものように池永さんと呼びます、は2009年(平成21年)4月から1年間、福岡県弁護士会長をつとめました。その1年間に、池永さんは、なんと西日本新聞(朝刊)の一面トップ記事を3回も飾りました。これは、まさしく空前絶後の記録だと思います。
裁判員裁判がスタートした年です。市民モニター制度を発足させ、市民が法廷を傍聴して裁判員裁判をより市民のものにしようとしたのです。
医療ADRを発足させたのも池永さんが会長のときです。医療問題は池永さんの専門分野の一つですが、ADRのなかに医療機関とのトラブル解決を盛り込みました。
そして、韓国の釜山弁護士会との連携・交流に続き、中国の大連律師(弁護士)協会との交流も実現したのです。
池永さんは弁護士会館のすぐ近くのマンションの一室を借りて、記者の皆さんと月1回の交流会をもつなかで、これらの一面記事を書いてもらうことに結びつけたのです。
池永さんの活動分野は医療分野に特化していたのではありません。博多湾の自然を守る運動、千代町再開発に住民の声を生かす町づくり運動、ハンセン病元患者の権利救済活動、中国残留孤児事件、脱原発訴訟、直方駅舎保存運動そして、法曹の後継者育成・・・。まことに多彩です。
池永さんは、いつも夢とロマンを語り、それを他人と共有し、大勢の人を巻き込んで実現してきました。
そして、そのなかで「被害者」となった弁護士たちが、この追悼集のなかで愚痴をこぼしつつ、池永さんへの感謝の言葉を捧げています。安部尚志弁護士は、池永さんのことを「火つけ盗賊」と名づけていたとのこと。池永さんは、思いついたら直ちに組織のシステム、人選、資金繰りを検討し、たちまち組織づくりに着手する。人集めが上手で、この組織はこの人でいくと決めたら最後、その人に猛烈にアタックして落としてしまう。私利私欲がないだけに優秀な弁護士たちがコロッと口説かれてしまう。そして、組織を立ちあげると、はじめうちは先頭に立っているものの、軌道に乗ってきたら、そこの人たちにまかせて、自分はまた新しい組織づくりを始める。人狩りをして市民運動に送り込み、市民運動の火が燃えあがると自分はいなくなる・・・。
なるほど、そういうこともあったよね、と思いました。私は被害にあっていませんが・・・。
池永さんは新人弁護士に「一流のプロって、何だか分かる?」とたずねます。その答えは、「他のプロから信頼されて訴ごとの依頼が来る人だよ」。なるほど、そのとおりです。
新人弁護士へ与えた教訓その一は、凡事(ぼんじ)を徹底すること。小さな事件を誠実に処理できず、些末なルールを守れないような人は、大きく困難な事件をまともに取り扱えるはずがない。
その二は、専門的知識を要する事件にあたるときは、自分が専門分野を勉強するのは当然のこととして、その分野の第一線の専門家と協働すること。
その三は、出産・子育てを経験しても、しなくても何でも仕事の肥やしになるのが法曹のいいところ。
この追悼集を私は二日間かけて完読しましたが、そのあいだじゅうずっと、いつものように池永さんと対話している幸せな気分に浸っていました。
八尋光秀弁護士が池永さんは、人間性のひかりを照らす灯だったと書いていますが、まったくそのとりです。追悼集を読んで、本当に惜しい人を早々に亡くしてしまったと残念に思うと同時に、「あんたも、もう少しがんばりなよ」と励まされている気がして、ほっこりした気分で読み終え、巻末にある元気なころの池永さんの顔写真に見入ったのでした。
(2018年7月刊。3000円+税)

声のサイエンス

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山﨑 広子 、 出版  NHK出版新書
男女で声が違うのは、なぜなのか・・・。このところ、ずっと疑問に思っていました。その答えは、要するに、男性は喉頭が前に突き出し、声帯が7ミリ長くなって1オクターブほど低い声になるということ。
声が低く太いのは、多くの生物の共通認識として、身体が大きいことを示す。
新生児(赤ちゃん)は、自分の母の声を間違いなく認識し、他の母親の声と聞き分けている。お腹のなかで聞いていた母の言葉、母国語に特徴的な発音に、生まれてすぐに反応する。
声という音は、話し手の実に多くの情報をふくんでいる。身体・体格・顔の骨格・性格・生育歴・体調から心理状態まで・・・。
声は、ひとりひとりの履歴書のようなもの。声を形成する要素の2割は、生まれもった体格・骨格や声帯の長さ、共鳴腔(口腔や鼻腔など)の形など、先天的な声の素質。残り8割は、生育環境や性格と、その時の心身の状態。したがって、声は履歴書というよりは、その時の体調や心情を実況放送しているようなもの。
人は、出したい音を、その周波数、つまり、その数だけ声帯を振動させて出している。 ド・レ・ミと歌うときには、1秒のあいだに、262回、293回、329回の振動数を出す張力に瞬間的に調整している。でも、この音は、まだ声ではない。声帯から出た音が声になるためには、「共鳴」が必要。話すためには、声帯から出た音を言葉に応じた発音にしなければならない。発音は声帯から上の部分でつくられる。
260ヘルツの音を出すために、意識的に声帯を1秒間に260回振動させることは出来ない。脳が、生まれてから今までの声と聴覚の神経の蓄積から瞬時に司令を出して声帯を振動させる、この司令にしたがって出した声を、聴覚が即座に分析して、脳は音の大きさや発音を判断し、次の音への司令を出す。声帯の張り加減、声道や口腔や舌や唇の形、呼気量など、数十万通りのなかから必要な組みあわせを瞬時に選んで、100以上もの筋肉を動かして調整する。これを聴覚フィードバックと呼ぶ。
 声を出して話すというのは、脳と聴覚と発生の驚異的な連携の賜物(たまもの)なのだ。
声帯は、声を出すことを目的とした器官ではなく、異物が肺に入らないようにするための門でしかない。
声を出すことは、身体の他の働きをしている機能を巧みに利用し、全身を共鳴させて出すもの。だから、声に身体の状態が出てしまうのはあたりまえのこと。
人は、話すときに聴覚で自分の声を確かめながら発生している。人は生まれたときから、環境音という膨大な音情報を「無意識に」取り込んで育つ。聴覚は、それらの音を吸収し続け、脳に集積して分析し、その結果として脳で自分の声が「つくられる」。
話すときに顔をほとんど動かさないと、音声が安定する。「まばたき」をすると声のピッチを下げて不安定にするので、話している途中でまばたきしないのは鉄則である。
人前で話すことの苦手意識と、自分への無能感は比例している。
緊張が高まって逃げ出したい気分になったら、軽く「コホン」とやってみる。そうすると、興奮していた身体の状態が瞬間的にリセットする仕掛けだ。
なるほど、そうだったのか・・・、説得力のある話の展開でした。
(2018年4月刊。820円+税)
フランス語検定試験(仏検一級)の結果が判明しました。もちろん不合格なのですが、51点(150点満点)でした。合格点は89点ですので、38点も加点しなければなりません。まだまだ道遠し、です。実は自己採点で57点でしたので、あわよくば60点(4割)まで届くかとひそかに期待していたのです。仏作文と書き取りが思ったより悪かったようです。
毎朝、NHKフランス語の応用編を書き取りして、丸暗記につとめています。今にみていろ、ぼくだって・・・。あすなろうの心境です。

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