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2017年1月 の投稿

本当はブラックな江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  永井 義男 、 出版  辰巳出版
 江戸時代をあまり美化しすぎるのはよくないと強調している本です。
私も、なるほどと思います。なにしろ、病気になったときの対応が違います。病院が身近にあり、よく効く薬が簡単に手に入る現代社会のほうが確かに安全・快適なことは間違いないところだと私も思います。
 私は、恥ずかしながら、この本を読んで初めて江戸時代の遊女が長生きできない理由を認識しました。遊女はコンドームなしで10年ものあいだ不特定多数の男と性行為をしていたわけですから、梅毒や淋病などの性病にかからないほうが不思議です。そのうえ不健康な生活と過労、質素な食事による栄養不良、集団生活にともなう感染症のため、多くの遊女が10年の年季の途中、20代で病死したと見られている。
ああ、そういうことだったのか、初めて理解しました。哀れですよね。それでも、メシが食べられるだけ良かったという現実もあったようです。極貧の生活のなかで、親から売られてきた少女たちが大勢いたわけです・・・。
吉原の花魁(おいらん)が人々(男女とも)のあこがれの的(まと)だったのは事実である。
しかし、そんな僥倖(ぎょうこう)を得たのは、ほんのひとにぎりの遊女でしかなかった。
なるほど、ですね。
江戸の人が毎日お風呂に入っていたと私はなんとなく思っていましたが、そんなことはなかったといいます。自宅に風呂がある家は珍しかったのですから、これまた言われてみれば当然です。
 滝沢馬琴は、8ヶ月のあいだに湯屋(銭湯のことです)に行ったのは10回にすぎない。20日に1回という割合だ。長屋に住む下級藩士の日記によると、夏は行水ですませ、風呂にはいるのは6日に1回の割合だった。
 江戸時代の日本人の識字率が世界一だというのも怪しい。たしかに寺子屋があり、いろんな塾があった。しかし、子どもたちの大半は3年未満でやめている。だから、簡単な読み書きはできたかもしれないが、それくらいだった。
 役付の武士のなかにも文盲がいた。文も武もダメな武士は多かった。
バカ殿様が多かったのは家臣たちが、利口な殿さまを嫌っていたから。家臣たちからすると、独裁者になって藩政改革なんて始められたら困る。政治に興味のない殿さまのほうがよい。殿さまは飾り物になっておけばよいのだ。
 アーネスト・サトウは、日本の殿さまが馬鹿なのは、わざわざ馬鹿になるように教育されてきたのだから、本人を責めるのは気の毒だ、無理があると本に書いている。
 ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですか・・・。
 馬鹿になるような教育を殿さまにしていたって、実際には、何をどうしていたのでしょうか・・・。
 江戸時代をありのままに見ることの意義を改めて認識しました。江戸時代に少しでも関心のある人にはぜひ一読をおすすめしたいと思った本です。
(2016年11月刊。1400円+税)

熊に出会った、襲われた

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 つり人社書籍編集部  、 出版  つり人社
山でツキノワグマに出会った人たちの体験談と、その対策が刻明に語られていて、勉強になります。
山でクマに会ったら、うしろ姿を見せて逃げ出してはいけないのですね。頭では理解できますが、果たして、現場で実行できるでしょうか・・・。じっと、熊と、逃げずにその場でにらめっこするなんて、とても勇気がいりますよね。
クマは2年に1回、2頭ずつ子どもを産む。1月20日から2月10日までに一斉に生まれる。
クマが人里にあらわれるようになったのは、過疎化や農業の衰えとともに人の営みが減っていったため、以前はクマにとって居心地の悪かったところが、居心地のいい場所になったことによる。放置された畑があり、栗や柿の木など、実がそのまま残されているので、クマがやって来る。
渓流釣りは、クマと出会いやすい環境にある。山菜とりや竹の子とりもクマの食べ物をとりに行っているから出会う確率は高いし、視界も悪いので不意打ちになりやすい。
鈴をつけるとか、人工的な音をたてて、人が来ていることをクマに知らせる必要がある。
日本でクマと出会って死亡する人は、毎年0人から数人。ハチに刺されて死ぬ人は20人ほど。人間に殺される人は数百人。人に殺されるツキノワグマは1000頭から3000頭。
真新しい足跡や糞があったら、クマが近くに潜んでいる可能性がある。すぐにその場を立ち去るべし。
クマと出会ったら、背を向けて逃げてはならない。背を向けずに後ずさりして、クマとの距離をあけていく。
クマ撃退スプレーは1万5千円もするけれど有効。クマ鈴、山刀、爆竹も必携。クマ鈴は、川の近くでは水音にかき消されてしまう。そこでホイッスルも必要。
クマと人間の共存は大切なことだと思いますが、なかなか勇気もいるのですね・・・。
(2016年12月刊。1111円+税)

読書と日本人

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 津野 海太郎 、 出版  岩波新書
著者は、20世紀を読書の黄金時代と名付けています。なぜか・・・。
本の大量生産と読み書き能力の飛躍的向上によって、知識人と大衆、男と女、金や権力をもつ者ともたない者の別なく、社会のあらゆる階層に読書する習慣が広がり、だれであれ本を読むというのは基本的にいいことなのだ、この新しい常識が定着したのは20世紀なのである。
なーるほど、そういうものなのでしょうか・・・。
14.15世紀は、日本社会において文字が画期的に普及した。鎌倉時代の後期から室町時代にかけて、村の大名、主だった百姓は、だいたい文字が書けた。
16世紀、織田信長のころ、フランシスコ・ザビエルたちはキリスト教を普及するにあたって「きりしたん版」として知られる活版本を刊行した。
ほかのアジアの国々と違って、日本人の多くは読み書きができる。だから文字による布教や宣伝が効果的だと判断したのだろう。
ルイス・フロイスは、こう書いている。「ヨーロッパでは女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、文字を知らなければ価値が下がると考えている」、「日本では、すべての子どもが坊主の寺院で勉学する」
江戸時代には「正坐」という言葉は存在しなかった。明治になって礼法教科書に書かれ、大正から昭和初期に定着した言葉だ。それまでは、本を読むときには、ピタリと正坐していたのではなく、自由に膝をくむし、立て膝で読むことが多かった。
うひゃあ、そうだったんですか・・・。
明治に海外から来た外国人は、日本人の車夫や馬丁が本をむさぼり読んでいるのに驚嘆した。
明治のころの読書は、基本的に声に出して読む音読ばかりだと私は思っていまいした。それまでは、今と同じで黙読していたと考えていたのです。ところが素読に親しんでいた当時の人たちは音読を好んでいたようです。
しかし、著者は、実は、黙読も昔の日本にあったと主張しています。音読と併存していたというのです。
欧米中心の世界で本格的に始まった「読書の黄金時代」としての20世紀に、やや遅れ気味に日本も加わることになった。
大正から昭和にかけての雑誌「キング」は初版50万部でスタートし、90万部から140万部へ増えた。
この新書を読むと、日本人の読書好きはすごいと思います。ところが、今は電車のなかでは大半がスマホを眺めたり、いじったりしています。テレビを見ていたり、ゲームをしている人も少なくありません。以前のように本を読んでいる人は滅多に見かけなくなりました。若者にかぎらず、活字離れがすすんでいるようです。そして、電子書籍。いったい紙の本はこれからどうなるのでしょうか。私は絶対的な紙の本の愛好者です。なくなってほしくはありません。
昨年(2016年)は、単行本を550冊よみました。今年も500冊をこえるつもりです。
(2016年10月刊。860円+税)

籠の鸚鵡(かごのおうむ)

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 辻原 登 、 出版  新潮社
30年ほど前だったと思いますが、和歌山県の小さな地方自治体で収入役が商品先物取引(相場)に手を出して何億円も公金を横領(使い込み)したという事件がありました。その自治体は破産寸前になったと思います。相場の恐ろしさ、自治体の公金が個人によって簡単に引き出され、横領・使い込みによって自治体財政が破綻するという前代未聞の事件でした。
この本は、先物取引(相場)ではなく、暴力団が背後にいて色仕掛けで和歌山県の小さな町の出納長が陥落し、あられもない姿を写真に撮られて、それを恐喝の材料とされ、公金を使い込んでいくというストーリーです。
こういうことは、いったん「悪」の恐喝に屈してしまうと歯止めが利かなくなるものですよね。そこらあたりの心理描写が、見事に小説として再現されています。
山口組の組長がヒットマンによって殺害されるという事件が起きた当時を舞台とした小説ですが、今は暴力団はもっと巧妙になっているような気がします。そして、当時よりもさらに強大かつ潤沢な資金をもっているようです。
その最大の資金源が相変わらず大型公共土木工事の3%と言われる裏金だと思われます。暴力追放の官製市民の集会もいいですけれど、公共工事の談合と、その背後にうごめいている暴力団の姿をマスコミは勇気をもって暴き出し、報道して明るみに出してほしいと思います。
ストーリーのほうは、ネタバレはよろしくないと思いますので紹介しません。
特殊被害詐欺の手口もさらにブラッシュアップして巧妙になっているようです。その一端が、この本にも反映されています。
「クライム・ノヴェル」(犯罪小説)ですから、読んだら重苦しい気分になってしまうのも当然です・・・。
(2016年9月刊。1600円+税)

哲学する子どもたち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 中島 さおり 、 出版  河出書房新社
フランスで子育て中の日本人女性によるフランス教育事情の体験レポートです。大変面白く、かつ、日本人として大いに考えさせられました。
フランスでは小学校から大学まで公立教育費は無料、そして、子ども代表は学校の成績査定会議に出席して意見を述べる。そして、高校生のデモはあたりまえ。
フランスでは子どもと教育が本当に大切にされている国だと思います。
今の日本は受験戦争、そして何でも自己責任、自己負担。国立大学の授業料は私のときは月1000円。そして、月8000円の奨学金(うち3000円は貸与制)がありました。今では年間の授業料が私立大学と変わらなくなり、奨学金は利子までついて、まさにローン地獄化しています。ハコものや軍事予算に使うお金はあっても、人材育成につかうお金がないなんて、日本の政治は根本から間違っています。
フランスでは、3歳での保育学校(日本の幼稚園)から高校まで、公立校だと授業料はタダ。国立大学(フランスに私立大学はほとんどない)は年に数万円の登録料だけで、授業料なし。
3歳児からの保育学校全入は、フランス女性の社会進出を大きく支えている。
フランスの教育の三大原則は、義務性、無償性そして非宗教性である。
フランスの高校生が卒業するときに受ける国家試験(バカロレア)のトップは「哲学」の試験。そのテーマは、たとえば「自由とは、何の障碍もないということか?」、「不可能を望むのは不条理か?」
こんな問題が出題されます。いったい、どう答えたらいいのでしょうか・・・。
これは論理的な文章を書く練習にもなっている。
高校で勉強するのは哲学ではない。哲学することなのだ。哲学を通じて自由に考える市民を養成すること。これが目的だ。
学校の成績会議には、保護者代表と生徒代表も参加する。これは1975年の改革以来、すっかり定着している。
中学から高校まで、留年制度があり、1割くらい留年しても、あまり強い抵抗はない。そして、飛び級も許されている。
生徒代表を選ぶのは生徒による選挙。かなり派手な選挙運動が学校内で展開する。
フランスには高校入試がない。中学の成績で決まる。決めるのは中学の教師たち。
これでは、日本よりも伸びのびとフランスの子どもが育つのも当然ですね。
(2016年11月刊。1600円+税)

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