(霧山昴)
著者 磯田 道史 、 出版 文芸春秋
思わず泣けてくる話です。心がじんわり温まります。江戸時代の話なんですが、現代日本にも、そんな人はいますよね。
自分のことしか考えずに、金もうけのみに走る人が少なくないわけですが、反対に、自分のことより他人のことを先に心配して、善意の支援を決して誇らず、目立たずひっそりと一生を終えるという人もいるのです。
町人が町(吉岡宿)を救うために同志をつのってお金を集め(なんと、千両です)、仙台藩に貸し付け、その年1割の利息100両で町の経済を支えるのです。実話というのですから、信じられません。町人って、やはり経済的な実力をもっていたのですね。
財政状況が窮乏していた仙台藩も、おいそれと町人から借金するわけにはいきません。そこで、虚々実々の駆け引きが始まるのです。その過程が詳しく明らかにされていますが、さすが日本人らしいドラマになっています。ついに、仙台藩に1000両を貸し付け、毎年100両ずつの利息をもらっていくのです。すごい発想ですね。その大胆さには圧倒されます。
仙台藩では、庄屋・名主のことを肝煎(きもいり)といった。そして、大肝煎は他藩の大庄屋のことで、百姓のなかから選ばれる役人としては最高の役職だった。大肝煎は、百姓のなかでは、お上にもっとも近い立場だ。仙台藩では、大肝煎が農村における絶大な権力者となった。
徳川時代の武士政権のおかしいところは、民政をほとんど領民にまかせていたこと。徳川時代は、奇妙な「自治」の時代だった。仙台藩は郡奉行をわずか4人しか置いておらず、代官30人を1郡に1人か2人割りあてて、行政にあたらせた。しかし、実際に事を運んでいるのは、大肝煎だった。
幕末の時点で日本人口は3千万人。そのうち武家が150万人、庄屋は50万人いた。漢文で読書ができ、自分の考えを文章にまとめることが出来るのを「学がある」と言った。農村にいた庄屋の50万人が文化のオルガナイザーになっていた。
江戸時代、庶民の識字率は高いと言っても、男女の半数以上は字が読めなかった。そこで、法律や政治においては、読み聞かせが大きな意味をもった。
吉岡宿の人々にとって、迫りくる貧困への恐怖は、火事よりも恐ろしいものだった。仙台藩に現金で千両を貸し付けて吉岡宿を救うという企てを始めてから、すでに6年という星霜がすぎていた・・。
すごいですよね、6年も粘り強くがんばったというのです。
そして明和9年(1772年)9月、仙台藩に金千両を納めた(貸し付けた)のです。明和9年といえば、「迷惑」な年ですから、江戸で振袖火事が起きたころですよね・・・。
安永3年から、吉岡宿では暮れになると千両の利金(利息)である百両が配られるようになり、吉岡宿は潤い、幕末に至るまで人口が減ることはなかった。仙台藩主・伊達重村は領内巡視の途中、吉岡宿に立ち寄り、浅野屋の座敷にあがり込んだ。領主の「御成り」である。そして、浅野屋の売っている酒のために名付け親となって、酒が飛ぶように売れた。苦労した浅野屋はこれでもち直した。同じく穀田屋も平成まで生きのびた。
世のため、人のためにしたことを自分の内に秘めて、外に向かって自慢気に語ることをしなかった人たちがいたのです。実話ですし、詳細な古文書の記録が残っているのでした。それを著者が読みものとしてまとめたのが本書です。近年まれにみる良書だと思います。
このごろ人生に疲れたなと思っているあなたに、いやいや人生はまだ捨てたものではないと悟らせてくれる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2015年5月刊。1500円+税)
無私の日本人
日本史(江戸)

