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2015年5月 の投稿

御松葺騒動

カテゴリー:日本史(江戸)

                              (霧山昴)
著者  朝井まかて 、 出版  徳間書店
 尾張徳川藩を舞台とする話です。作家の想像力とは、すごいものです。たっぷり朝井ワールドに浸って楽しませていただきました。
 尾張藩は徳川宗春時代の放漫政治が今なおたたっていて、借金を抱えて四苦八苦しているというのに、藩士たちの生活には緊張感が認められない。それを主人公が一人で改革しようと躍起になるのですが・・・。
 空回りしてしまって、ついには御松茸同心(おまつたけどうしん)を命じられて、都落ちさせられます。要するに、江戸屋敷づとめからの左遷です。
 才能ある自分がなぜ左遷させられるのか納得できないまま尾張へ出向き、山の中の仕事に向かうのでした・・・。
 松茸ができるのは黒松ではなく、赤松。その生成過程が紹介されます。
 松茸が四、五分開きまでの物が御松茸になる。地表に出たものは傘が開ききっているので上納できない。地表から半寸ほど頭を出したときに掘りとなる。手を差し入れて根元から押し上げるように採取する。
 軸が肉厚で白く、太く、かつ湿り気を帯びていなければ、風味は格段に落ちる。松茸でさらに肝要なのは香りと芳しさだ。匂いは傘にある。早採りしても匂いが足りないので、上納品にはならない。このように、松茸の収穫はごく短期間に限られる。
松茸の収穫をどうやって確実にするのかということが、次第に才能ある若き武士の挑戦すべき人生の課題となっていくのでした。
 主人公を取り巻く人々も魅力的な個性あふれる人物に描かれていて、しっかり朝井ワールドを楽しむことができます。
(2014年12月刊。1650円+税)

日本はなぜ基地と原発を止められないのか

カテゴリー:社会

                                (霧山昴)
著者  矢部 宏治 、 出版  集英社
 憲法論のところでは、疑問も感じましたが、本書の指摘は日ごろの私の実感によくあっていましたので、つい、うんうんと大きくうなずきながら、どんどん読みすすめていきました。
 まずは沖縄です。安倍首相が、沖縄県民が選んだ翁長知事を無視しているのは、とんでもないことです。
 アメリカ軍の飛行機は、日本の上空をどんな高さで飛んでもよい。日本政府は、そのことについて文句は言えない。
 もちろん、私たち国民は文句が言えるわけですが・・・。
 アメリカ軍の飛行機は、アメリカの棲んでいる住宅の上空では、絶対に低空飛行訓練はしない。なぜか? それは、危険だから。では、それ以外の土地で低空飛行しているのはなぜか? 日本人は、アメリカ人ではないから。つまり、日本人は保護する必要がないからなのです。
 アメリカ軍の飛行機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上は平気で低空飛行する。ところが、アメリカ本土ではアメリカ軍がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは、厳重に規制されている。これは当然のことです。要するに、日本人の生命がアメリカ人とは比較にならないほど軽んじられているのです。
 アメリカべったりの右翼・保守陣営は、このような現実を見ようとはしません。アメリカにタテつくなどということは、恐ろしくて出来ないのです。そのくせ、愛国心を、ことさら強調するのですから、矛盾過ぎますよね・・・。
 鳩山由紀夫首相(当時)が、アメリカに独自姿勢を示そうとしたとき、外務防衛官僚は、真正面から堂々と鳩山首相に反旗をひるがえした。日本の高級官僚はアメリカべったりの思考にこり固まっているからです。
 沖縄のアメリカ軍基地には、最大で1300発もの核兵器が貯蔵されていた。そして、日本からソ連や中国を核攻撃できるようになっていた。三沢基地では、連日、すごい訓練が実施されていたようです。
日米合同委員会のなかで、日本側は、アメリカの言いなりになるのだが、その日本側の委員はみな各省庁で大出世していった。
 次に、福島原発事故について取りあげています。
 私は前にも書きましたが、東電の当時の会長や社長たちが刑事訴追されることなく、のうのうとしていることを許すことができません。彼らこそ、日本をダメにした元凶です。少なくとも有罪を宣告され、無期懲役刑が相当だと思います。なにしろ、15万人もの日本人の住む家を奪ったのです。その罪責は途方もなく大きいと思います。許せません。
 先日の鹿児島地裁における原発差止仮処分の却下決定は、3.11福島第一原発事故の教訓をまったく学んでいない裁判官による、とんでもなく勇気の欠如したものでした。残念です。東大工学部出身の裁判官だということですが、人間としての勇気がないと、目まで曇ってしまうのですね・・・。困ったものです。
(2014年11月刊。840円+税)

平安時代の死刑

カテゴリー:日本史(平安)

                               (霧山昴)
著者  戸川 点 、 出版  吉川弘文館
 日本では平安時代に死刑制度が廃止され、それ以後、ながく保元の乱までの350年間、死刑執行はなかったと言われるのを聞くことがあります。本当なのだろうか・・・、と疑っていました。この本を読んで、ようやく真相を知ることができました。
 著者は、団塊世代の私より10歳若く、今は高校の教員をしています。名前は、ともると読みます。
 死刑の執行については、天皇に3度も奏聞(そうもん)することになっていた。それだけ慎重に扱っていた。
 唐の玄宗皇帝は治世の最初より死刑を避けた。中国においても死刑廃止の動きがあり、それが遣唐使を通じて日本にも伝えられた。それが唐文化に傾倒した嵯峨天皇によって日本でも実施されたのではないか。
 しかし、日本では、律の条文を改編して死刑制度を廃止したのではなかった。あくまで死刑を停止したというのにとどまる。
 聖武天皇は、仏教思考や徳治思想の影響から死刑を減刑しようという発想を強くもった天皇だった。聖武天皇の出した恩赦は32例であり、歴代の天皇のなかで一番多く発令している。次に多いのが持統天皇の16例である。
 嵯峨天皇が聖君と扱われたことから、嵯峨天皇が死刑を廃止したというイメージが定着していったのだろう。
 薬子(くすこ)の変は、嵯峨天皇の王権に大きな影響を与えるものだった。この危機を乗り切った嵯峨天皇は権威と求心性を高める必要があった。死刑の停止により、自身の徳をアピールしようとした。
 死刑を停止したといわれる嵯峨朝以降も、合戦や群盗との争いのなかの処刑や国司、検非違使別当の判断で死刑が実施されることはあった。
中央政府の死刑忌避は、秩序・治安維持のために太政官の預からぬところでの死刑や肉刑を生み出していった。こうして太政官のタテマエとしての死刑忌避と実態としての死刑というダブルスタンダードが生まれた。
保元の乱のあと死刑が復活したといっても、実際に処刑されたのは、「合戦の輩」のみだった。このときも、貴族は死刑を忌避し、死刑復活に反発した。そして、貴族を除く武士などには実態としての死刑が実態されていた。
 なーるほど、ここでも日本人お得意の、ホンネとタテマエの違いがあったのですね。
(2015年3月刊。1700円+税)

子どもに貧困を押しつける国・日本

カテゴリー:社会

                                 (霧山昴)
著者  山野 良一 、 出版  光文社新書
 とても豊かになった日本ですが、そのなかで子どもの貧困が深刻化しているのです。
 「強い国」づくりを目ざす安倍政権の弱者切り捨て政策によってつくられた現象です。なかなか目に見えてこない現象ですが、日本の国を底辺から大きくむしばんでいます。
 子どもの貧困は、見ようとしなければ見えないものになっている。日本の貧困ラインは、個人単位で年収122万円。親子2人世帯では月14万円、年173万円。親子4人世帯だと月20万円、年244万円。
 貧困率は16%。ここを切り捨ててしまうと、日本経済は全体として底上げができず、結局、消費向上、景気回復はできません。
 日本のひとり親世帯の貧困率は、先進国のなかで2番目に高い。
保育を受けられないこと、保育から排除されることは、貧困な子どもに非常に大きな影響を与える。
 乳幼児期に身につけた認知能力、社会性、情緒的な安定性などは、より効果的に、より継続的に、より困難な障壁なしに、その後の学習への取り組みの支えとなる。つまり、学習が学習を生む。
 大学への進学は、貧困の世代間連鎖から抜け出すためのもっとも適切な手段でもある。
 日本は、もっとも大学に行きにくい国だ。ヨーロッパは、大学の授業料がタダか、とても安い。高くても年間15万円。
 そして、私立大学は、ヨーロッパにはほとんどない。私立大学に学生の大半が通うのは、日本と韓国くらい。アメリカでも、3割ほどでしかない。
 子どもを日本はもっと大切にすべきです。道徳教育を子どもに無理矢理押しつける前に、大学まで全部の授業料をタダにして、学生への生活援助制度をもうけるべきです。利子のつく奨学金貸与なんて、論外です。
 軍需産業育成ではなく、人材育成にこそ国の予算をつかうべきだと思います。
 人間こそ、国の宝なのです。
(2014年10月刊。820円+税)

伊藤真が問う日本国憲法の真意

カテゴリー:司法

                                (霧山昴)
著者  伊藤真、浦部法穂、水島朝穂ほか 、 出版  日本評論社
 大変分かりやすく、知的刺激にみちた憲法論が展開されている本です。
 はじめに伊藤真弁護士が問題提起をして、それに3人の憲法学者がこたえて自説を述べていくという形式です。それぞれ議論が発展していくのが面白い趣向です。
 かつての日本(戦前の日本)は、立憲政友会とか立憲民政党など、立憲主義を標榜する政党があった。ところが、いま、「立憲主義」の思想、視点が日本社会に欠けている。
 立憲主義は多数派に歯止めをかけること。戦前の日本やヒトラー・ドイツを見たら、多数派が正しいとは限らないことは明らか。人間は、ムード、情報操作、目先の利益に騙されるという不完全性がある。韓国・台湾の憲法にも、日本と同じく、国民の憲法遵守・尊重を求める規定はない。
 8月15日を「終戦」記念日とするのは問題があると指摘されています。目が開かれる思いでした。8月15日は、天皇ヒロヒトが臣民に向かって放送で敗戦を伝えただけのこと。日本政府が連合国側と戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書に調印したのは9月2日。したがって、米・英などの国々は9月2日を「対日戦勝記念日」としている。
 昨年7月1日の閣議決定は、現行憲法の下で集団的自衛権の行使は認められないとしてきた歴代政権の憲法解釈を変更した。これに対して、最近の歴代内閣法制局長官は反対している。
この閣議決定のもとで、日本の軍需産業は色めき立っている。日本の「死の商人」が動き出したのです。怖いです。恐ろしいことです。いよいよ日本もテロのターゲットになります。防衛省は、防衛装備庁という1800人からなる外局を設置した。国を挙げて「死の商人」を応援しようというのです。
 安倍内閣は、金もうけのために武器の生産・輸出、原発の再稼働・輸出、そしてカジノを国内でやろうとしています。本当に許せません。国民生活の安定・平和なんて、まるで考えていません。金もうけが全ての世の中をつくり出したいようです。品性があまりに下劣です。
 安倍首相がアメリカの連邦議会で演説した何日か後に、アメリカから17機ものオスプレイを日本が買うことになったと報道されました。3600億円も支払われます。社会保障をほぼ同額(3900億円)削減したうえでのことです。本当に許せません。そのうえ、この欠陥機オスプレイを東京の横田基地に10機も配備するそうです。日本人を馬鹿にしています。
 日本は戦前、ずっとずっと戦争してきました。「大東亜共栄圏」と称して侵略戦争を展開し、多くの罪なき人々を殺傷し、逆に日本人も多くが殺傷されてしまいました。ところで、戦前というのは明治元年から71年間です。戦後も既に70年となりました。今では、ジャパン・ブランドは戦争しない国・ニッポンなのです。ところが、安倍政権は、この貴重な、実績ある平和ブランドを戦争する国・ニッポンに塗り変えようとしています。許せません。
 安倍首相の言う「積極的平和主義」というのは、「武力行使に積極的」というものです。戦前の日本も、「平和を守る」ために戦争を仕掛けていったのです。安倍首相の嘘にだまされてはいけません。
 ホルムズ海洋の機雷掃海に自衛隊を出すというのは、イランに攻めこむということと同義である。親日国・イランが当惑してしまうようなことを安倍首相は国会で高言している。
 安倍首相の言動こそアジアの安全を脅かしている最大の脅威である。
まことにそのとおりだと思います。法学館憲法研究所の積極果敢な憲法シシリーズに対して、心より敬意を表します。
(2015年4月刊。1500円+税)

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