著者 林田 愼之助 、 出版 筑摩選書
幕末の志士たちが、見事な漢詩をつくっていたことを紹介した本です。
江戸時代は、漢詩が本格的に成熟をみせた時期である。
平安時代には、嵯峨天皇や菅原道真などの漢詩人がいるが、まだ唐詩の模倣段階にあった。室町時代には、宋(中国)からの帰国僧、絶海中津、義同周信などのすぐれた漢詩人が登場するが、禅風詩が多かった。
徳川幕府は朱子学を政道の基本にすえたので、武士階級の教養として、漢学、儒教の学を修得することが不可欠となった。その一環として漢詩をつくるのが、ごく普通のこととなった。
文人が誕生し、自律した存在となり、武士だけでなく富裕な商人層にも普及した。
漢詩についても、格調主義から、自由で砕けた宋代風の詩風が流行した。漢学的なものに反旗を翻す専門的な詩人・文人が相次いだ。幕末になると、倒幕に動く憂国の志士たちが、さかんに時世を慷慨(こうがい)する詩をつくった。
佐久間象山(しょうざん)、藤田東湖(とうこ)、吉田松陰、橋本左内(さない)、高杉晋作、西郷隆盛らは、折につけ浮沈する思いや感慨を、多くの漢詩に託している。その詩の出来栄えは、江戸期の専門的な漢詩人にくらべて、少なくとも見劣りしない詩的力量を発揮している。
人間 到処 有青山
(じんかん、いたるところ、せいざんあり)
山口県生まれの僧、月性の有名な漢詩の一節です。
「人間」は、中国風に「じんかん」と読むのが漢詩文の常識で、世の中、世間という意味。
詩をつくる人は温潤で、詩を好まない人は刻薄である。詩は、もともと情より出ずるもので、詩を好まない人は、情が稀薄である。
西郷隆盛が西南の役で敗れ、ふるさとの城山で自刃する直前につくった漢詩がある。
尽日 洞中 棋響 閑
(じんじつ、どうちゅう、ききょう、のどかなるを)
日がな一日、この洞窟の中で碁を囲み、その音が響くなかで、のどかに暮らしていることだ。
洞窟のなかで、死の寸前まで隆盛は囲碁をしていたというのです。これには驚きました。
竹角一声響
指揮非有人
弱氓皆猛虎
潤屋乍微塵
酷吏空懐手
姦商僅挺身
撫御誰違道
乱党本良民
これは山田方谷が体験した松山藩内に起きた百姓一揆のありさまを詠じたものです。
一揆にたちあがった農民は善良な民である。政治が道を間違えているのだと、方谷は百姓一揆を詠じて、はっきりと政治の疲弊を断罪している。
幕末の志士たちの教養の深さに感服しました。
(2014年7月刊。1700円+税)
幕末維新の漢詩
日本史(江戸)

