著者 大塚 ひかり 、 出版 新潮社
現代日本では、若い母親によるネグレクト(育児放棄)による子どもの死亡事故が起きると、昔なら考えられないこととして、世論が一斉にけたたましい非難をその母親に浴びせかけるという現象が生まれます。
でも、本当に昔の日本は全員、みながみな子どもを大切に育てていた、幸せそのものの社会だったのか・・・。著者は古典の文献をふくめて、そうではなかったことを実証しています。
私も、弁護士生活40年の体験をもとに、その指摘には、大いに共感を覚えます。
平安のはじめに書かれた『日本霊異記』には、男遊びに精を出す若い母親が子どもらを放置し、乳を与えず、飢えさせた話がある。
子どもは親の所有物という意識の強かった昔は、捨て子や育児放棄は、現代とは比べものにならないほど多かった。
捨て子は珍しくなく、犬に食われてしまう運命にあると世間は考えていた。捨て子が取締の対象になるのは、江戸時代も五代将軍綱吉の時代からのこと。
五月生まれの子は親にとって不吉。旧五月は、いまの六月にあたり、梅雨時。五月は「五月忌」(さつきいみ)といって、結婚を避ける風習のある「悪月」だった。
明治12年(1879年)の捨て子は5000人以上、今(2003年)は、67人ほどでしかない。
中世の村落は、捨て子だけでなく、乞食も養っていた。これは、いざというときの保険の意味があった。何かのとき、「身代わり」として差し出した。
乳幼児の死亡率の高さを利用して、もらい子を飢えさせておきながら、病死したと偽る悪徳乳母が江戸時代にもいた。
江戸時代には、離婚も再婚も多かった。日本にキリスト教が入ってきたとき、離婚を禁じられたが、当時の日本人には納得できないことだった。
『東海道中膝栗毛』の祢次さんと喜多さんはゲイのカップルだった。えーっ、そ、それは知りませんでした・・・。
安土桃山時代の日本では、犬を「家庭薬として」食べていたそうです。宣教師フロイスの報告書にあります。
猫が網から解き放たれたのは、江戸時代に入ってからのこと。
たしかに昔を手放して美化するわけにはいかないものだと思いました。それでも、人と人との結びつきがきつく、また温かいものがあったこともまた間違いないことでしょうね。それが、現代ではスマホにみられるように、とても表面的な、通りいっぺんのものになってしまっている気がします。
(2014年1月刊。1300円+税)
本当はひどかった昔の日本
日本史(江戸)

