著者 勇崎 作衛、 集英社 出版
終戦後、多くの日本軍将兵がソ連軍によって中国からシベリアに強制連行され、抑留されて働かされました。
著者は、中国で病院の衛生兵として働いていて、22歳でシベリアに送られました。幸い3年後に無事に日本へ帰国できたのですが、その3年間の苛酷な生活を、なんと65歳になってから油絵を始めて絵描きだしたのです。87枚の絵は酷寒のシベリアでの労働の苛酷さ、非人間的状況を如実にうつしとっています。
寒冷期になると、収容所の周囲は雪だけで食べるものがなくなる。監視のソ連兵の残飯捨て場に出かけてガラの骨、キャベツの芯、芋の皮などを一所懸命に探してスープにして食べた。支給される食事で足りない分のカロリーをこうやって補った。
日本兵は、ひどい消化不良と衰弱に加え、寒さのため身体は冷えきって全員が下痢を患っていた。ところが我慢できずに排便しようとして隊列を乱すと、ソ連兵がムチを鳴らして追い立てるのだ。
冬のシベリアは零下40度。冷蔵庫の製氷室よりも寒い。外での作業で本気を出したら、生きて日本に還ることは出来なかった。
日本兵の体力検査は、ソ連の女軍医が尻の皮をつまんで引っぱることで決まった。皮下脂肪の厚さで、重労働、軽作業の等級が決まった。シベリア抑留生活のむごさを描いた絵画集は前にも紹介しましたが、こうやってビジュアルになると、その苦労が視覚的にもよく伝わってきます。
『夢顔さん、よろしく』という本に出てきた近衛首相の息子がシベリアで死んでいったことも改めて実感できました。後世に語り伝えられるべき悲惨な歴史的な事実です。
(2010年8月刊。2400円+税)
キャンバスに蘇るシベリアの命
