著者:安島太佳由、出版社:岩波ジュニア新書
太平洋戦争を美化しようという声は戦後一貫してありますが、戦跡の写真と、その体験記を読むと、なんとまあ無謀な戦争に日本が突入したのか、信じられません。
たとえば、クリント・イーストウッド監督によって映画になった硫黄島です。
硫黄島にいた日本軍は2万1000人。そこにアメリカ軍7万人が上陸した。1ヶ月の戦闘によって、日本軍は2万人をこえる戦死者を出し、アメリカ軍は6800人の死者と2万人の負傷者を出した。
そして、今なお、日本兵1万1000人の遺骨が地中にあり、回収されていないのです。
兵隊さんを二度と殺してはいけない。一度目は戦死。二度目は、彼らの存在を忘れて見殺しにすることによって。
水のない島で、地中深く、50度以上にもなるなかで潜んで殺されていった日本兵の無念さを思うと、涙が出てきます。
最近も、慰霊祭に参加していた中学生が草むらで鉄のかたまりを見つけて放り投げて遊んでいたところ、それは不発弾でした。こんなことが、今も硫黄島には起きています。
日本政府の責任でなんとかすべきではないでしょうか。幸い、少し動きが出ているようです。
次はガダルカナル島。ここには、次のような生命判断があった。立つことのできる人間の寿命は30日間、身体を起して座れる人間は、3週間、寝たきり起きられない人間は1週間、寝たまま便をするものは3日間、ものを言わなくなったものは2日間、またたきしなくなったものは、明日。
このようなガダルカナル島で悲惨な体験をした兵士の存在が日本人に知られることを恐れた軍部は、彼らを次の戦場へと送り込んだ。天皇陛下の皇軍は、最後まで勇猛果敢に戦い、お国のために戦死していったことにし、餓死などはなかったことにしたかったのだろう。
ジャワの天国、ビルマの地獄、生きて還れぬニューギニア。
このニューギニアの戦場は、生きて還れぬどころか、「死んでも還れぬ」場所だった。
戦場では、死は特別のものではなく、日常ですらあった。
一ヶ月近くのものは、すでに完全な白骨。全身にウジ虫がわいているのは数日前、まだ息があるのではと思えるものは、昨日、今日。
ニューギニアのビアク島では、今でも、掘れば、すぐに日本兵の白骨死体が出てくる。割れた頭蓋骨に、白い歯がそのまま残る顎の骨が土の中から出てきた。
なんということでしょうか。日本政府は直ちに遺骨収拾団を公費で派遣すべきです。そして、その結果を国民に報告する必要があると思います。人間の生命を粗末にしてはいけません。
兵士といえども人間なのです。国の命令で仕方なく遠い戦場に行かされて亡くなった人々を放っておいていいわけがありません。読んでいて日本政府の無為無策にますます腹が立ってしまいました。
(2010年4月刊。940円+税)
歩いて見た太平洋戦争の島々
