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2006年6月 の投稿

生きることと自己肯定感

カテゴリー:未分類

著者:高垣忠一郎、出版社:新日本出版社
 いま、「よい子でないと見捨てるぞ」という脅しの教育や子育てのなかで、見捨てられて自分の無価値感や自己否定感に打ちひしがれていたり、「見捨てられる不安」におびえ、自由にありのままの自分を表現したり主張したりできずに、我慢を強いられている子どもが圧倒的に多い。
 髪をトサカのように立て、眉毛を剃り落としたツッパリスタイルの子どもたちは、相手を威嚇する外面の印象とは裏腹に、自分の弱った心を守る鎧(よろい)をかぶっているのである。なるほど・・・、ホント、そう思います。誰だって、自分を守りたいのです。
 子どもが甘やかされて育っているから自己中心的で、耐性が育っていないなどと簡単に決めつけては見えない姿がそこにある。いま、多くの子どもたちの身体と心は、アドレナリンの分泌過剰な闘争=逃走体制に入っているのではないか。ふだんから、とても緊張している子が多い。不安と恐怖がそれに油を注いでいる。
 人間にとって一番辛いことのひとつは、見捨てられ、無視されることだ。とりわけ、自分の身近な、親密な関係がほしい人々に見捨てられ、無視されるほど、辛く恐ろしいことはない。オレを見捨てないでくれ、私に関心をもってちょうだい、見てちょうだい、という恐怖心と、見捨てられていることへの怒りがいろいろの逸脱行為へと駆りたてている。
 私は、これらの文章を読んで、なるほど、そうなんだと、目からうろこの落ちる思いでした。まったく同感です。私自身の体験というものではありませんが、すごく分かる気がします。子どもの安心基地であるべき家庭のなかで、安心感を与えられない子どもがいる。本当にそうだと思います。
 自分の存在が受け容れられ、大事にされているという手ごたえを感じられない。むしろ、「よい子」でないと見捨てられるという不安におびえ、親の前ではきわめて「よい子」を演じている。
 病気のときに看病してもらえるとか、いけないことをしたときにきちんと叱ってもらえるとか、失敗したときに許してもらえるとか、そういう経験を通して子どもは「自分が見守ってもらえている」という安心感を得る。そして、そのことが「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感を子どもにもたせる。
 いま、「競争原理」の支配のなかで、子どもたちは、「あなたがあなたであってはダメなんだ」というメッセージをシャワーのように浴びながら育っている。しかし、自分で自分の人生を選んでいくためには、それを支える心が育っていなければならない。自分の頭で考え、自分の心で感じたことに依拠して、自分の人生を選んでいくことができるためには、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感がなければならない。
 自分が愛され、共感され、受け容れられているという手応えや安心感がないから、その埋めあわせに過大な賞賛を求める。しかし、その背後には、共感的に響きあってもらえない空虚さ、悲しみが隠されている。近寄るな、オメーなんか、ダイッキライ、と激しい怒りとともに突き放しても、それを受けとめてほしい。こんなに怒っている私のそばにいて、逃げないでそれを受けとめてほしいというメッセージが込められている。感情をぶつけた相手に、それをしっかり受けとめてほしいのだ。それをしっかりと受けとめ、聴きとらないでその場を離れたり、その子を拒絶したりしてしまうと、その人は再びその子どもを見捨てたことになる。その子は、いっそう見捨てられたという想いを強めることになる。
 うーん、ここまでくると、本当に難しいですね・・・。頭のなかでわかっていても、いざ実行するとなると、大変です。
 心を見捨てられた人間は、自分のほんとうの感情が分からなくなる。
 日本の社会は、見捨てられて自己肯定感をもてぬ不安を、しゃかりきにがんばることによって覆い隠そうとする子どものようだ。
 日本人にとっても、自己肯定感は、自分が他人や社会とうまくつながり、歴史に支えられているという自覚があって、はじめて生まれてくるものなのである。脅しは、人の自由な心を殺す。いかに多くの人々や子どもが自分の心を押し殺して生きていることか。
 脅しは脅される人間の心の自由を奪うだけでなく、脅す人間の心の自由をも奪っている。なぜならば、脅しの背後には不信と恐怖の感情がのさばっているからである。
 大切なことは、自分とたたかわないことを教えること。自分の心に生じる感情は、生じるべくして生じているのだから、耳を傾けながら、そのままにしておけばよい、晴れのち曇り、曇りのち雨、嵐が吹こうが、晴れになろうが、天気みたいなものである。憎しみの感情が生じても、放っておけば、黒い雲のように、そのうちに消えていく。
 それをねじ伏せようとすれば、するほど、相手はねじ伏せられまいとしてばんばる。ねじ伏せようとするエネルギーが、相手にエネルギーを与えているようなものなのである。
 自分とたたかわない心が、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感のもたらすものである。自分の心に生じるさまざまな気持ち、感情をそのままに受け容れたらいい。
 いい文章ですね。しみじみとした思いで、書きうつしました。ほんとうにすっと胸にしみこんできます。肩の荷がさらに軽くなりました。私は、よく肩が凝っていますね、と言われます。先日も、理髪店でマッサージしてもらったときに言われました。やはり、見知らぬ人からの難しい相談を受けて、身構えることが多いからでしょう。
 教育基本法を改正して愛国心を押しつけようとする小泉純一郎の考えは根本的に間違っていると、つくづく思います。ぜひ、みなさんに一読されますよう、強くおすすめします。心が軽くなりますから・・・。
 カンナの花が咲きました。黄色にオレンジの斑点が入っています。ほのかな恋心を燃やし続ける爽やかな青春のイメージです。隣りにトケイソウも花を咲かせています。見れば見るほど時計の文字盤そっくりの花です。アジサイの純白の花が咲いて梅雨に入りました。

生命の起源、地球が書いたシナリオ

カテゴリー:未分類

著者:中沢弘基、出版社:新日本出版社
 石油は古代の生物の遺骸が地中深くに堆積したものという説は間違っているという本を読んだことがあります。地球の地下深いところではさまざまな化学反応がすすんでいると思いました。
 私が弁護士になった30年ほど前は、まだヴェーゲナーの大陸移動説は有力になっていましたが、とんでもないと批判する学者が何人もいました。でも、今や地球上にある大陸が移動したというのは通説です。だけど、大陸が動くなんて、考えてみたら、すごいことですよね。なにしろ、この不動の大地が実は浮きつ、沈みつしているというのですからね。地球内のマントルの流れに乗って浮き沈みがあるわけです。
 地球上の最古の生物化石は固いところでは19億年前、状況証拠からすると27億年前のもの。よくぞ、そんなことが分かりますね。学者って、すごいですよね。
 生命は海洋ではなく、地球の内部で発生した。生命は地下で発生して、海洋に出て適応放散した。これが著者の考えです。なるほど、と思わせる記述がありますが、よく分からないところでも多く、これ以上はここに紹介できません。

戦場の犬たち

カテゴリー:未分類

著者:河村喜代子、出版社:ワールド・フォトプレス
 戦場で働く犬たちの写真集です。かわいい犬。味方にとっては頼もしい存在。しかし、敵にまわしたら、小憎たらしい存在でしかない。
 戦場でいち早く軍用犬としてつかいはじめたのは第一次大戦時のドイツ軍。フランス軍では少しだけ。イギリス軍とアメリカ軍は遅れをとった。
 アメリカ軍が犬を本格的に戦場へ連れ出したのは第二次大戦のとき。はじめは民間のボランティアに頼った。30種、1万9000匹も志願してきた。身体検査を受けて合格した犬は55%。あとで5犬種にしぼられた。ジャーマン・シェパード、ベルジャン・シープドッグ、ドーベルマンピンシェル、コリー、ジャイアント・シュナウザー。
 シェパードとドーベルマンとコリーの3犬種は私にも分かりますが、あと2犬種は聞いたことがありません。グアムに上陸した海兵隊は72匹の犬を連れていった。
 訓練を受けた犬は、1万425匹のうち8300匹は歩哨犬になった。また、3174匹が海兵隊へ引き渡された。偵察犬は900メートル離れた敵の存在も察知した。伝令犬には忠誠心のある犬が選ばれた。地雷犬は金属と非金属の地雷を見つけ、地雷につながるワイヤーを探した。しかし、あとでロボットに代わった。
 戦争が終わると、兵士たちは故郷に帰る。民間出身の犬は訓練解除訓練を経ないと民間には戻れなかった。軍隊で身につけた行動スタイルを捨て、安全な犬に戻るための訓練である。ところが、軍にとって、そんなことは面倒そのもの。たかが犬ではないか。うーん、そう言っても、戦場でいわば兵器の一部となってしまった軍用犬を平和な町のなかに野放したら、どんなことが起きるか分からないでしょう・・・。
 ベトナム戦争に従軍した犬4000匹のうち、戦死281匹、本国に帰還したのは、わずか200匹足らずでしかない。残りの犬は病気になったり、置き去りにされ、そのうち毒物を注射されて殺されたのです。
 戦場の犬の写真を通して、そこにおかれた兵士たちの苛酷な状況を想像することのできる写真集でもあります。

黄砂、その謎を追う

カテゴリー:未分類

著者:岩坂泰信、出版社:紀伊国屋書店
 この春、福岡には何度も黄砂の襲来があり、春霞のような状況が生まれました。ただ、先日の新聞によると、黄砂は光化学スモッグの原因物質を吸収する働きもしているそうで、有害無益の極悪人とは決めつけられないようです。
 いえ、この本によると、海中のプランクトンの栄養にもなっていて、日本人にも貢献していると言います。大気から海面に落下する黄砂は微生物にとって大切な物質になっている。海の動物プランクトンが黄砂を食べる。そして排泄物と一緒に再び海中に放出する。このようにして黄砂がミネラルや栄養素をプランクトンに供給している。そのプランクトンを魚が食べる。
 黄砂は空飛ぶ化学工場でもある。大気中の硫黄酸化物や窒素感化物を吸収しているのだ。
 黄砂は中国大陸から奥地から出発して、太平洋へ流れ出し、日本列島をこえて、アメリカ大陸にまで届いている。
 韓国の気象庁は黄砂について3段階の警報を出す。レベル3になると、老人と子どもの外出は禁止され、屋外行事は中止される。サッカーの試合も延期される。
 中国では黄砂といわず、一般には砂塵暴という。
 ラクダは砂漠で砂塵嵐がやってくると、自分の顔を埋めることのできるくらいの大きさの穴を掘り、そこに顔を突っこみ、嵐のあいだに気管に砂が入らないようにして呼吸する。
 中国大陸の2キロメートル上空は黄土高原の砂嵐から、6キロメートル上空はタクラマカン砂漠の砂嵐から飛んできたことが判明した。
 著者は敦煌で黄砂を測定する調査に従事しています。私も、敦煌には一度行ったことがあります。町の周囲は荒涼たる砂漠が広がっていました。お墓も砂漠にあります。いずれ砂に埋もれてしまうのでしょう。
 タクラマカン砂漠は黄砂を巻き上げる力のある砂漠である。私もウルムチからトルファンに向けて砂漠のなかを突っ走ったことがあります。どこまでも一直線でした。そして風が強いのです。黄砂が舞いあがるわけを実感しました。風が強いのを利用して、たくさんの風力発電機があり、壮観でした。

コールセンターのすべて

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著者:菱沼千明、出版社:リックテレコム
 インターネットに接続できるケータイ(ブラウザホン)の利用者は6000万人をこえた。私のケータイもインターネットを利用できるのかもしれませんが、私はまったくつかえません。
 最近、IP電話というのがあるそうです。依頼者から教えられました。海外に留学することになった子どもとタダ同然の電話で話せるというのです。すごいものです。IP電話では距離にかかわらず、一定金額の時間料金体系となっている。ただし、同じプロバイダーでなければいけないという制約があるし、電源が別に必要となる。
 アメリカでは銀行の営業店窓口でかかっていた顧客1人に対する対応コストがテレホン・バンキングによって2分の1から3分の1に削減された。これがインターネット・バンキングだと100分の1にまでコストが削減できるとされている。
 日本のコールセンターは、オペレーターが49席以下が7割を占めており、比較的中小規模が多い。ただし、金融業では大規模化がすすんでいて、半分以上が50席以上になっている。
 顧客からの電話は理路整然としないことが多く、そのペースにのって話すと時間がかかりすぎる。だから、マニュアルが必要となる。20秒以内に80%のコールに対応できることを目標とすることが多い。
 コールセンターのオペレーターに必要なものは、応対スキルに25%、LS意識やパーソナリティ、聞き方、意欲などの人間性に75%を配分する工夫が必要。面接するのも、採用した人を面倒みる人が直接あたるのが望ましい。
 オペレーターのスキル評価は、習熟度、経験、サービス、商品知識、電話対応能力、平均通話時間、ミス発生率、苦情発生率などによって評価されてきた。
 何らかの不都合があったとき、50人に1人のユーザーが企業に連絡をとる。ほとんどの人は不満を感じても連絡しない。しかし、そのうちの20%は黙ってほかのブランドに乗り換えてしまう。消費者は満足すると、5〜9人に伝えるか、不満なときは9〜10人に伝える。つまり口コミは、満足よりも不満の方が伝わりやすい。
 私の知人にNTTの104対応の職場で働く人がいました。彼女によると、深夜に話し相手を求める男性が104に電話してくるのだそうです。もちろん有料ですし、テレホン・セックスするわけでもありません。ただただ話し相手が欲しくて電話する男たちが大勢いるのです。それだけ淋しい孤独な男性が世の中に多いというわけです。
 私は電話が好きではありません。長電話なんて、大嫌いです。突然かかってくる電話は、さっさと終わらせたいといつも思っています。昔も今も、私にとって大切な人とは電話より手紙の方がいいと考えています。

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