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2005年3月 の投稿

ピエールの司法修習ロワイヤル

カテゴリー:未分類

著者:石本伸晃、出版社:ダイヤモンド社
 私のころの司法修習は2年間。のんびり、伸びのびと充実した2年間でした。今は短縮されて1年半です。この本を読むと、いかにもあたふたした修習生活で、慌ただしさすら感じます。もっとゆっくり、じっくり見習い期間を保障すべきだとつくづく思いました。私のときも、小さな声で、2年間も国家公務員並の給料を国からもらって勉強できるなんて、すごい。どうしてこんなに優遇されるのか。そんな疑問がささやかれていました。医師だって自己負担、自己責任でやっているのに、なぜ法曹養成だけ特別扱いするのか。弁護士なんて金持ちのために弁護するような存在じゃないか。そんなものを養成するのに税金をつかうなんて、実にけしからん。こんな意見は以前からありました。今は、それが表面に浮上して強く叫ばれるだけでなく、実行されてしまったところが昔とは大違いです。
 いいえ。私は、医師養成だって、キューバのように学生に負担させずに国家で養成した方がいいと考えています。そして、医師は基本的に準公務員扱いにするのです。医術で金もうけするというのは、なんだか割り切れないからです。もちろん、弁護士だって、税金で養成された以上、社会奉仕活動するのは当然の責務です。だから、いま現に、多くの弁護士が費用的には割のあわない国選弁護を担い、また当番弁護士に出動しているのです。法曹養成の世界に税金を出し惜しみすると、金もうけ以外はまったく考えもしない弁護士が爆発的に増えるのではないかと私は心配しています。やっぱり、社会正義の実現そして国民の基本的権利を擁護するのに使命感を燃やす弁護士がたくさんいてほしいものです。
 この本は司法修習生としての生活をホームページにリアルに紹介していたのを本にまとめたものです。私たちのころには考えられもしないメディアがあることを実感します。
 デパートのスリ見学の話が出てきます。私も修習生のとき、川崎競馬場にスリ見学に行きました。ビギナーズ・ラックで500円買って2000円ほどもうけました。1万円くらい買っておけばよかった。そのとき思いました。馬券売り場で万札の束が馬券に変わり、何分か後に紙クズと化して空に舞ってしまう現場を見て、ああ、世の中ってこんな(馬鹿げた)ことにお金をつかう人もいるのか。驚いたことを昨日のように思い出します。
 また、裁判所での修習のとき、検察官は裁判官室に足しげく通って裁判の打合せをしているのに、弁護人はちっとも姿を見せず不思議がる話が出てきます。私も同じような体験をしました。裁判官は弁護人が来るとなると身構えますが、検察官だと同僚が立ち寄って世間話をする。そんな感覚で応対している。そのような気がします。
 私たちのころは、青法協(青年法律家協会)が活発に活動していました。50人のクラスに20人ほどの会員がいて、自主的な研究会や連続講座などをしていました。銀座の映画館にサッコとバンゼッティの冤罪事件を描いた映画(ジョーン・バエズが主題歌をうたっています)を見に行ったことも思い出しました。
 クラスの自治会のような活動も盛んで、私も司法研修所当局との交渉の場に出たことがあります。のちに最高裁長官となった草葉良八氏が司法研修所の事務局長として応対しました。いかにも官僚的で横柄な態度だったので、みんなで憤慨しました。といっても、対する私も当時24歳、生意気盛りではありました。
 ホームページはありませんでしたが、代わりに私は後期修習のとき、しばらく日刊クラス通信を発行していました。昔も今もモノカキなのです。あまりうまくはありませんが、ガリ切りをしたのです。ガリ切りって、分かりますか? ガリ版印刷です。学生のころセツルメント活動にうちこんでいたので、ニュースをつくるのは苦にもなりませんでした。研修所での即日起案は、できる人たちのを寄せ集めましたから、簡単なものです。青法協会員とシンパ層には、できる修習生がたくさんいました。そうそう、青法協活動を探るスパイのような修習生もいましたよ。堂々と活動してたんですけどね・・・。
 いろんな経歴の人と出会い、本当に人生に役立った2年間の修習生活でした。たくさん税金のムダづかいをしている日本が、こんな大切なものを削ってしまうのが私には許せません。人材を育てるって、やっぱり国家の大切な事業ではないのでしょうか・・・。

近代日本の徴兵制と社会

カテゴリー:未分類

著者:一ノ瀬俊也、出版社:吉川弘文館
 日本人は、世界に類例のないほど、日記をつけるのが好きな民族だと言われています。私自身は小学校のとき、夏休みに絵日記をつけていたほかは、小学4年生の一時期つけていたくらいです(その代わり、読書ノートは大学生以来ずっとつけています)。
 多くの日本兵が日記をつけてことを知ったアメリカ軍は、捕虜だけでなく戦死者の日記も収集し、日本軍の戦略だけでなく日本兵の心理状態まで解読・分析につとめていました。なぜ、多くの日本兵が戦場で日記をつけていたのか?
 実は軍部の方針として兵士に日記をつけさせていたのです。
 日記は兵士を文通どおり型にはめる有効な手段として機能していた。自らの手で教育訓練内容を書きつけ、記憶させるという狙いだった。出世競争にかられていた兵士にとっても、日記の内容は軍隊的価値を自分がいかによく体得しているか、上官に対してアピールしてみせる場でもあった。
 戦前、徴兵忌避・逃亡者はいたが、年々減少の一途をたどっていった。圧倒的多数の成年男子が順々と兵営に向かい、戦争で命を落としていった。そうはいっても、戦前の軍は自己の存在意義、兵役義務を国民が履行することの必然性を、繰り返し社会に対して語らねばならなかった。徴兵制度の正当性は決して所与の前提ではなかったからである。
 この本には戦死者の妻が親からの不当な要求に屈せず、役所に対して扶助料の全額支給を求めてたたかい続けたケースが紹介されています。やはり生活していかなければならないという現実は「軍国の母」を強くしたのです。
 いろんなことを考えさせられる本でした。

赤道の国で見つけたもの

カテゴリー:未分類

著者:市橋さら、出版社:光文社
 日本の女性はえらい。こんな本を読むと、私は心底から確信します。といっても、ここでは日本人男性がつれあいとして登場はしているのですが・・・。
 22歳の日本人の独身女性がアフリカ・ケニヤへ単身出かけます。そして、ケニヤのスラム街へ足を踏み入れるのです。たいした勇気です。いったん帰国し、自分をみがいて、再びアフリカ・ケニヤへ出かけたのです。すごいですね。単なる好奇心だけでは、とてもこういうことはできません。
 スラムでは大人たちが平気で嘘をつく。自分を正当化するため、人から同情されるよう、何でも言う。だから、子どもたちも嘘をつくことはあたりまえのことと思っている。
 優秀な子どもも、ストリートチルドレンになって大きくなると、悪い方へその頭脳をつかってしまう例がスラムの子にはよくある。
 スラムの子は、今度いつ食事ができるか分からないという恐怖心から、過食になるか、反対に、まともに食事をしたことがないため胃が小さくなってしまってよく食べられなくなっている。
 スラムでは売春も多い。母親が娘に売春させて現金を得るのは珍しくない。成人した女性はエイズ感染者が多いため、少女売春も盛んだ。
 貧しくてかわいそうだからということでスラムの子にお金を与えて甘やかすと、子どもの心を傷つけ、内面からダメにしてしまう。人はもらうことより、自分の手で生きることを学ぶことが大切だ。どんなに貧しくても、母親や兄弟と一緒に暮らすことの方が大切だ。
 スラムに生きる子どもたちに共通しているのは、とても頑固で粘り強い性格がということ。生まれてから何ヶ月間も、栄養らしい栄養も与えられずに生き抜いた子どもたちは、生きようとする強い意志があった。つまり、人一倍強い意志をもち、頑固な性格だからこそ、彼らは生き延びられたのだ。スラムでは生き抜くためには、人一倍強い意志と、自己を貫き通す強さを持っていなければ、人生につぶされてしまうのだ。
 ケニヤでは弁護士であっても、一度失業すると、なかなか再就職できない。えっ、そうなの・・・、と驚いてしまいました。
 ケニヤには貧しい子どのたちの入れる幼稚園をつくり、トイレのつかい方、身体を清潔にすること、そして英語を話せるようになることなど、現地のスタッフとともに教育実践をしている話です。もっともっと、こういう分野で多くの日本人が活躍するようになったらいいなと、つくづく思いました。
 年齢(とし)をとってアフリカまで出かける勇気のない私ですが、なんだか私にまで生命力を分けてもらった気がしました。読んでいるうちに身体の芯があたたまってきました。

細胞紳士録

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著者:藤田恒夫、出版社:岩波書店
 人間の身体は、まさに精密な化学コンビナートの工場群だとつくづく思います。誰が、どうやってこれらの工場群を全体的にコントロールしているのか、考えれば考えるほど訳が分からなくなります。
 この本はカラー版ですから、実にカラフルに人間の身体を構成する細胞をことこまかく見せてくれます。たとえば脂肪細胞です。脂肪滴を取りかこむように細胞質があります。血液からの情報に応じて、また神経の刺激を受けて、敏捷に在庫の出し入れをしています。脂肪細胞はレプチンというホルモンを出す。肥満するとレプチンによるブレーキがかかるので、正常な人では多少食べても体重がほぼ一定に保たれる。
 肝臓を全部とり去ると、主人は死ぬしかない。しかし、10%も残せば主人は生き返ることができる。残った肝細胞は分裂・増殖して、大きな肝臓をつくる。そして、正確にもとの大きさに達すると、ピタッと細胞増殖が止まる。肝細胞は旺盛な再生力と、精密な自己抑制力を兼ねそなえている。
 視細胞の話のとき、寺田寅彦の「とんびと油揚」が話題になっています。ヒトでは直径2ミクロンの外節が1平方ミリに15万個。ところがタカでは、太さ1ミクロンの外節が100万個もある。だから、タカの視力はヒトの6〜7倍はある。これを考えたら、トンビはネズミを見つけるのは容易だ。こんな話が紹介されています。
 カラー写真を眺めているだけでも楽しくなります。また、人間って実に不思議な生き物だとつくづく考えさせてくれる人体の細胞図です。

憲法で読むアメリカ史

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著者:阿川尚史、出版社:PHP新書
 アメリカの歴史を憲法をとりまくエピソードを紹介しながら語る面白い本です。福岡の藤尾順司弁護士に読むようにすすめられました。
 アメリカの先住民であるチェロキー族は銃をとってたたかう代わりに裁判所でたたかいました。白人の弁護士に依頼して裁判をすすめ、合衆国最高裁まで進んで勝訴したのです。ところが、現実には実力で土地から排除されてしまいました。しかも、勝訴はしたというので、白人の弁護士はチェロキー族に対して法外な弁護費用を請求したというのです。
 アメリカでは昔から黒人差別が根強いものであったことも証明されています。
 1857年の連邦最高裁は、黒人はアメリカ市民でないとして、次のように述べました。
 黒人は一段低い劣った人間であり、優勢な白人に支配されるべき存在である。彼らはあまりにも劣っているので、白人が尊重すべき権利を一切有していない。黒人が奴隷の境涯に置かれるのは、彼ら自身のためにいいことなのである。
 1858年夏、奴隷制度の存廃をかけてリンカーンとダグラスの2人が公開で対決討論しました。このときには、徒歩、馬、馬車、特別列車をつかって1万人が集まり、会場は立錐の余地もありません。聴衆は3時間立ちっぱなしでした。考えてみてください。マイクもスピーカーもない、肉声のみの討論なんです。聴衆は耳をそばだてて2人の演説を聞くしかありません。すごいことですよね。今なら1万人コンサートは珍しくもなんともありません。でも、マイクもスピーカーもアンプもなしで、地声のコンサートに1万人も集まるなんて考えらないことですよね・・・。

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