著者:奥富敬之、出版社:角川選書
悲劇の将、義経の実像を完膚なきまでに暴いた本です。きわめて明快です。うんうん、そうだったのか、なるほどねー、と唸りながら読みすすめました。
義経は戦術には長けていたかもしれないけれど、時代の流れを見抜く力がなかった。後白河法皇に操られ、勃興する武士に背を向け、衰退していく公家の側に身をおいたために滅亡していったという著者の論証はきわめて説得的です。
義経は平清盛に助命され、母の常磐御前は清盛の側室とされた。そして、清盛に傾倒し、父とまで敬愛するようになった。しかし、成人して、実は自分の父親(義朝)が清盛に平治の乱で殺されたことを知ると、一転して清盛を、ひいては平氏を憎み嫌うようになった。
ところが、頼朝は後白河法皇の言いなりにならず、武士の頭梁として天下を握ろうとした。したがって、義経が頼朝のご家人でありながら頼朝の許可を受けずに朝廷から官位を受けたりすることは絶対に容認できないことだった。
義経は時代状況を客観的に見ることができず、武士団の統率力もなかった。多くの武士からすると、義経は公家の手先でしかなく、信頼できる存在ではなかった。
となると、義経の悲劇は、歴史の移り変わりを見抜けなかったことによる必然のものだったということになります。つまり、「判官びいき」とは、あとから頼朝を悪者に仕立て上げ、執権として実権を握った北条一門を善者にすべくつくりあげられた「神話」にすぎないということなのです。うーん、そうだったのか・・・。
2004年12月24日