法律相談センター検索 弁護士検索
2004年5月 の投稿

ケイタイを持ったサル

カテゴリー:未分類

著者:正高信男、出版社:中公新書
 わが家に夫婦ゲンカをもたらした問題の本です。男女ともに、30歳になるまで子をもつ心の準備ができていない。100年前の日本と比べて、精神的な意味で大人になるのに倍の年月を要するようになった。このくだりがケンカのきっかけです。
 わが家にも親離れのできていない(と思われる)子どもがいます。その責任が、母親にあるのか、父親にあるのかでケンカになってしまったというわけです。
 「ケータイ族」は、仲間への信頼にもとづいた社会関係を築けない。本当は自立してもおかしくない年ごろであるにもかかわらず、まだ親に頼らなくては何もできないと思いこむことで、「だから私が・・・してあげなくてはいけないんだ」と自らの行為を正当化しつつ、モノを次々と買い与えるなかで、子の信頼をつなぎとめようとする。そこには、子どもを信じられない親がいる。
 父親である私にも耳の痛い指摘でありました。わが子たちよ、一刻も早く、まず経済的に自立してくれたまえ。

チェチェンで何が起こっているのか

カテゴリー:未分類

著者:林克明、出版社:高文研
 チェチェン共和国は広さは岩手県ほどしかない小さな国です。人口も100万人足らず。そこへロシアは10万人もの軍隊を進駐させています。そして、モスクワではチェチェン・マフィアが猛威をふるっているというのです。どうして、そんなことが起きているのか。この本は、その背景を考える材料を与えてくれます。
 それは石油と石油パイプラインという利権をめぐる争いが根本にあるようです。それにしても、モスクワ劇場占拠事件といい、地下鉄爆破事件といい、どうしてこんなにロシアにはテロが相次ぐのでしょうか。それは、チェチェン共和国それ自体がロシア軍による野蛮なテロ行為で危機に瀕しているからです。まさしく、暴力の連鎖では何ごとも解決しないのです。

虚妄の成果主義

カテゴリー:未分類

著者:高橋伸夫、出版社:日経BP社
 東大出身でない東大教授の方が、なんだか大胆にいいたいことを言っているという気がします。どうなんでしょうか?
 経営組織論の専門家である著者は、日本型年功制度の復活を長年にわたって強力に主張してきました。成果主義は有害無益だというのです。私も、まったく同感です。リストラ万能、人減らし論がもてはやされている今どき、珍しいくらいに小気味のいい主張です。なんといっても、人間はお金だけで仕事をするのではないんです。
 日本型の人事システムの本質は、給料で報いるのではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだということ。従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては、仕事の内容と面白さで報いる。本来、人は面白いから仕事をするのだ。成果主義とは、差をつけるのにお金ばかりかかるが、あまり効果の上がらないシステムだ。
 著者が東大生に教えさとす、次の言葉には大変共感しました。
 自分だけが上から評価されたいと願い、部下や後輩を踏み台にして自分だけが出世していこうとするような人は、やがて自らも淘汰されていく。最初は調子がいいように見えていた目上からの受けがいい人は、目上の人が減るにつれて次第に力を失っていき、自然とその地位も失うことになる。けだし至言だと思いました。

人生にツキを呼ぶ黄金の1日2食

カテゴリー:未分類

著者:佐藤富雄、出版社:講談社
 人生で大切なのは心のあり方だ。これに気づいたときが吉日だ。さあ、やってみよう。「人生、これからが黄金期」これを口ぐせにしよう。これで未来はどんどん開かれていく。
 ウソかマコトか、ともかくやって損はしない。1日2食主義を半年以上も実践している私には、またまたうれしくなる本だ。2食といっても、1日の摂取カロリーを変えないまま2食にするのでは逆効果。朝食分のカロリーをまるごと抜いてしまうのだ。
 でも、朝ごはんを食べないともたないでしょ?そんなことはない。まったくの幻想だ。著者は自信をもって断言する。ほんと、そうなんだよなー・・・。
 ところで、1日2食を実践している著者は、なんと午前3時に起きる。夜10時に就寝しているから、睡眠時間は5時間。これで十分だという。そして、朝食を抜くかわりに、なんと、朝のジョギングのあと、ビールを小瓶1本飲む。明治はじめ、ビールが日本に伝来してきたとき、ビールは薬として薬局で売られていた(ホント?)。これくらいビールは薬なのだ。希望にまさる妙薬はなし。楽天思考は百薬の長。
 いずれも本当にいい言葉だ。

百姓の江戸時代

カテゴリー:未分類

著者:田中真一、出版社:ちくま新書
 江戸時代は変化のない暗くて息苦しい時代だという思いこみが私たちのなかにあります。しかし、それは誤っていると著者は強調しています。
 たとえば検地です。著者によれば、検地というのは、土地を開いた(新田開発)百姓が大名に申請し、その耕作地を自分の名前で帳面にのせてもらって所有権を確保するというものでした。検地を受けていない水田には個人の所有権が及ばないのです。つまり、検地によってはじめて百姓は土地の所有権をもち、農奴的な身分から解放されるのです。検地について、単に大名が自分のために強行したという見方は誤っています。
 江戸時代には士農工商という身分が固定していたとされています。しかし、現実には、お金が対価として動きつつ、武士が商人になったり職人になったり、また、百姓が武士の株を買って武士になることが多々ありました。つまり、士農工商は身分というのではなく、職分だったのです。
 江戸時代の名主(なぬし)も、上からの任命ではなく百姓が選挙で選ぶようになりました。名主は村人によって選ばれ、村人が名主の給与を出すようになりました。
 長(おさ)百姓が不正をはたらくと、小百姓が団結して奉行所に訴状を出して弾劾することもありました。そして、その効果はちゃんとありました。
 江戸時代の百姓の位置づけについて、目を見開かせてくれる本です。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.