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回想録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 康幸 、 出版 弘文堂
 内閣法制局長官から最高裁判事になった著者が自分の人生を振り返っています。
 著者は団塊世代の生まれで、私より1学年だけ下になります。東大入試が中止になったので、京都大学に入ったという経歴です。息子は無事に東大法学部を卒業して、東京で大企業を扱うビジネスローヤーとして活躍中のようです。
 著者の父親は銀行員だったので、転勤族とのこと。新しい学校に行くと、「おまえのしゃべるのはラジオの言葉だ、生意気だ」と、猛烈ないじめにあったそうです。神戸から敦賀に小学2年生のときに転校したときです。いじめのため待ち伏せされたりしたそうです。それで、通学路を毎日変えたり、相手の裏をかいて校舎にかけ込んだり…。あらゆる手練手管で必死に対抗。おかげで、不条理なものへの反発心、状況を読む力、作戦の構想力、忍耐力と交渉力を人並み以上に身につけた。
 なーるほど、災いを転じて福としたのですね、立派です。
 そして、こんな田舎での生活ではなくて、東京へ出て、もっと大きな世界で羽ばたこうと決意したのでした。
 私も、いじめは受けていませんが、ぜひ東京に出てやろうと考えていました。東京に行ったら、大きく世界が広がるはずだと考えたのです。そして、それは、たしかにそうでした。
 著者は幼年期に小児結核にかかったこともあって、外での運動ではなく、家にいて本を読む習慣が身についたとのこと。
 私も小学生以来、ともかく本を読んできました。図書館には、よく行きました。
 中学生のとき、印象深いのは、山岡壮八の『徳川家康』です。これは、本当に読みふけりました。高校生のときは、図書館で、古典文学体系、つまり古文の原書に体あたりしました。もちろん、注釈に頼っての読書です。それでも、原典にあたっていると、試験問題で断片が切り取られての設問でも、断然有利でした。中学3年生のとき、著者は名古屋市内で1クラス55人で、17クラスあったそうです。私は1クラス50人以上で13クラスあったと思います。1年生のときは増設されたプレハブ教室でした。
 著者は名古屋の名門高校(県立旭丘高校)に入学して、中学生のときの丸暗記勉強法が通用しないことを自覚したとのこと。私は丸暗記勉強法というのは、やったことがありません。
 高校では、数学、物理、化学が不得意だったそうです。私は、物理も化学も好きでしたが、数学が出来ませんでした。いちおう数Ⅲまでは勉強して分かったのですが、座標軸をつかったり、図形問題になると、思考できなくなるのです。「大学への数学」という雑誌も少しかじってみたのですが、私には数学的才能はないと自覚して、高校2年生の終わる春休みに理系志望を文系志望に変えました。そして長兄にならって東大文Ⅰ一本槍です。塾も予備校も行かず、Z会の通信添削だけでがんばりました。
 著者は官僚の世界に入って、たちまち頭角をあらわします。私も官僚志向でしたが、官僚にならなくて本当に良かったと今では思っています。
 この本には、著者の先輩の官僚が週に3時間しかとれなかったという話が紹介されています。私には絶対無理ですし、そんなことはしたくありません。私の同期の弁護士(五大事務所のパートナー弁護士になりました)も、同じような状況を経験したそうですが、これまた私は、ご免こうむります。
 ただ、著者は、おかげで文章を書くのが早くなったし、仕事を片付けるコツを身につけたそうです。それは私と同じです。
 いろいろ参考になることも多い本でした(子育てはマネできませんでしたが…)。
(2024年2月刊。3400円+税)
 このコーナーで紹介した岩泉ヨーグルトを天神の「みちのくプラザ」で見つけて買ってきました。普通のヨーグルトと違って、まったく水っぽくありません。プリンほどではありませんが、ヨーグルトの固まりになっていて、食べると、コクがあって舌ざわりも滑らかです。
 庭になっているブルーベリーと一緒に美味しくいただきました。腸内細菌を活性化させ、腸の調子が良くなった気がしました。

森を失ったオランウータン

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 柏倉 陽介 、 出版 A&Fブックス
 ボルネオ島には、孤児となったオランウータンを保護し、育てあげて10年たったら森に戻すという施設があります。人間と同じ大型哺乳類なので、オランウータンを森の中の大自然に戻すには10年もかかるというのです。
 なんで、ボルネオから森がなくなったのか…。それは人間の都合。アフリカ原産のアブラヤシをボルネオで大々的に栽培するようになった。このアブラヤシからとれるパーム油はお金になるから。森は大々的に伐採され、なくなっていった。
 オランウータンは生まれつきの木登りの天才というのではなく、木登りをまず学ぶ必要がある。1~3歳は、木登り。そして、3~6歳は森林の中で生きていくことを学ぶ。
 ボルネオの熱帯林の焼失が急速に進んだため、野生のオランウータンは80%も減ってしまった。
 1964年に開設されたボルネオ島にあるリハビリセンターでは、これまで750頭以上のオランウータンが保護された。
リハビリセンターで、また森の中で遊んでいる自然な様子のオランウータンの顔を見ていると、オランウータンの保護というのは、それは人類の生存環境の保全にもつながっていると感じさせられます。アマゾンやボルネオの熱帯雨林を次に「開発」と称して消滅させていったら、次は人間の居住する環境も悪化していくことにきっとつながると思います。
 ところで、こんなに大々的に森林を植樹されてつくられるパーム油って、いったい何に使われているのでしょうか…。世界の生産量の85%を占めるのは、ボルネオ島を保有するマレーシアとインドネシア。
 ともかく、熱帯林をこれ以上減らすのは、ぜひ止めてほしいです。
(2024年3月刊。1980円)

島原城まるわかりブック

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 吉岡 慈文(監修) 、 出版 長崎文献社
 島原城下には武家屋敷の並ぶ通りがあります。道の真ん中に清らかな水の流れる水路が走っています。落ち着いて散策できるので、おすすめです。知覧(ちらん)や角館(かくのだて)ほどの規模ではありませんが…。
 島原城の近くには、有名な戦国時代の合戦場があります。「沖田畷(おきたなわて)の合戦」があったところです。天正12(1584)年、佐賀の戦国大名・龍造寺隆信が大軍を率いて島原半島に攻め込んできました。迎え撃つ有馬晴信は鹿児島の島津氏に援軍を頼みます。このとき、島津軍の策略にはまって、大将の龍造寺隆信が首を討たれ、佐賀の軍勢は惨敗を喫したのでした。島津勢の強さは待ち伏せ戦法にもあります。
そして、島原城を築いた松倉重政はキリシタンを厳しく取り締まり、過重な年貢徴収をすすめ、島原・天草一揆の原因をつくり出しました。
 ただ、この重政は、ルソン島(フィリピン)に使節を派遣していたそうです。そして、その子の松倉勝家の治世下に大一揆が始まるのでした。
 原城跡には2度か3度、私は行ってみましたが、ここに3万人からの百姓たちが一家一村あげて生活していて、ほとんど皆殺しの憂き目にあったかと思うと、感慨深いものがあります。それはキリスト教信仰だけの問題ではなく、生存そのものが脅かされていたから大一揆は起きたと私は考えています。
大一揆の原因をつくった勝家は、切腹させられたのではなく、責任をとらされ、大名として異例の斬首の刑に処されました。
 島原は、平成になってからも噴火し、大規模な火砕流が起きて大災害となりましたが、寛政4(1792)年にも「島原大変、肥後迷惑」と今でも語り伝える大災害が起きました。死者1万人とも言われています。
 島原城下をゆっくり散策し、そのあと温泉に浸るというコースは、おすすめです。
(2024年3月刊。1200円+税)

あしたのお嬢

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山田 一喜 、 出版 講談社
 「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは1968年1月1日号から。私は大学1年生でした。駒場寮の6人部屋で毎日、楽しく忙しく暮らしていました。東大闘争が始まったのは6月からです(本郷の医学部では既に1月からもめていましたが、駒場はいたって平穏でした)。
 「あしたのジョー」は寮生に大人気で、みんなで争って読み回していました。貧乏学生だった私は「少年マガジン」を買った覚えはありません。寮にいたら、いずれまわってくるからです。週刊マンガの発売日には誰かが買ってきて、読み終わったのが回ってきます。じっと待っていればよいのです。
 このころ、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。こう書かれていますが、私自身はその恩恵を受けたという実感はありません。ただ、世の中が不景気で、どうしようもないという実感はありませんでした。今もある霞が関ビルが竣工したのも1968年だそうです。弁護士になってからは入ってみましたが、学生のころは霞ヶ関なんて、ベトナム反戦デモのとき以外、近寄ったこともありません。
「あしたのジョー」は、ともかくカッコ良かったです。作者のちばてつやはそれ以来のファンです。丸味のある登場人物は、なんだかほのぼのとしていて、いい雰囲気です。というか、丸顔の作者の顔にそっくりですよね…。
 発刊から55年たったと言われると、ええっ、そ、そうなんか…と、ついうろたえてしまいます。
 でも、私も弁護士生活を丸50年もやっているのですから、それもそのはずです。
 この本は、「あしたのジョー」が活動していた舞台を、マンガ原作に出てくる脇役たちと訪ね歩くという趣向です。「お嬢」とは、父親から「あしたのジョー」全巻を読むように言われて読破したという陽菜(ひな)です。
 「あしたのジョー」は累計発行部数が2500万部といいます。とんでもない部数です。
 「あしたのジョー」で、ジョーと死闘を重ねた力石(りきいし)徹が誌上で亡くなったあと、実際に告別式があったというのも驚きですよね。1970年3月24日、講談社の講堂には護国寺のお坊さんに来てもらって読経まであげてもらったのでした。参加したファンは、なんと700人。
 いやはや、とんだ告別式です。まあ、私は参加していませんが、参加した人の気持ちはなんとなく分かります。決して馬鹿な奴らだ、なんて思いません。
 コミックスで全20巻だそうです。読んで、学生時代の雰囲気にしばし浸ってみたいかな…と思いました。
(2023年12月刊。1980円)

祝福二世

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮坂 日出美 、 出版 論創社
 安倍元首相を射殺した山上容疑者の裁判がようやく始まりそうです。
 統一協会のために一家が大変悲惨な状況に陥ったことから、その責任を追及すべく安倍首相を射殺したと伝えられています。もちろん私も、どんな事情があったとしても、「元首相暗殺」という手法を肯定するつもりはまったくありません。ただ、統一協会が昔も今も日本社会に多大な害悪をもたらした(もたらしている)団体、エセ宗教団体であることは間違いありません。
 著者は統一協会の解散命令には反対のようですが、私は、一刻も早く政府は解散命令を出し、税法上の特典なんか統一協会から奪うべきだと思います。
 それにしても、山上容疑者の母親は、今なお現役の信者のようです。本当に怖いことです。「洗脳」とは、こんなにも人間を変えてしまうものなのですね…。まともな判断力を奪ってしまう怖さです。
 この本の著者も長く統一協会の信者として活動していて、今でも信仰を捨てたとしながら、この本の最後に「今は味方が少ないからこそ、統一協会を応援したいと私は思っている」と書いています。信じられません。
 著者は、あるとき突然に統一協会を脱会したというのではないそうです。いくつかの出来事があって、次第に疑問がふくれ上がっていったとのこと。
 その一つが、「祝福結婚」の実態です。韓国の結婚できない若い男性が日本人女性と結婚できると思って申し込むのです。その実例の日本人女性の話を著者は会って聞いたのでした。男性は信者でも何でもありません。片方が信者ですらない「祝福結婚」が存在することを知って、「祝福結婚」への意欲を完全に見失った。そして、それは「祝福二世」として生きつづける意味が崩壊したことも意味した。まったくショックだったと思います。
 次に、文鮮明が、あわれみの涙をこぼした話。ある日本人信者が、寄付集めの物品販売を7年も続け、その間に新しい下着を買うことすらできなかった。それを聞いた文鮮明は「かわいそう」と泣いたという。しかし、著者はそれは違うと考えたのです。むしろ、堂々と、ほめたたえるべきではなかったか…。
 「万物復帰」という物品販売・寄付金集めは、「救い」になるというのではなかったか…。文鮮明が「あわれみを感じて泣いた」というのは、「自己洗脳」が足りていなかったということではないか…。
 日本人の信者には厳しい献金ノルマが課されるのに対して、韓国人信者には、そのようなものはない。日本人の著者からみると、韓国人は「選民」としてあぐらをかいているだけ。
統一協会の信者として活動するなかで、著者は自分の頭で考えることができなくなった。それは自己中心的だとして批判の対象にされるから…。
 統一協会での物品販売活動は「堂々と嘘をつく」ことが基本。こんなのを「宗教」と呼んでいいのでしょうか…。
 自民党議員の秘書には今も少なくない統一協会の信者がいて、彼らは相互に連絡をとりあっているとみられています。そんな秘書をかかえた自民党議員が、今なお夫婦別姓の実現を阻止しているのです。ひどい話です。
 著者が出会った信者たちは、もともと真面目な、真面目すぎるほどの人たちがほとんどだったと思います。そのような人々を大切にすることは理解できますが、元凶である統一協会に「味方」するというのは、ぜひ考え直してほしいです。
 なお、私は、「統一教会」という略称は間違いなので、使いません。教会ではないのです。
(2024年3月刊。1800円+税)

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