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湖池屋の流儀

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 佐藤 章 、 出版 中央公論新社
 イモカリントは良く食べますが、ポテトチップスを食べることはほとんどありません。なんとなく油がきついといいうイメージがあるからです。
 ポテトチップスは料理に近く、その延長のようなもの。湖池屋は、昔から、料理をつくるような感覚でポテトチップスをつくってきた。
 ははん、料理をつくる感覚のポテトチップスって、一体どんなものなんでしょうか・・・。
 日本中のじゃがいもを取り寄せて、何度も揚げて、ポテトチップスとして一番おいしいじゃがいもを探求した。
 ふむふむ、これはすごいことですね。わが家の庭でも6月にじゃがいもを収穫して、美味しくいただきました。
いま、「湖池屋プライドポテト」なるものがあるそうです。すごいらしいです。なにしろ、他社100円のところを、150円にして、競争に打ち勝ったというのです。質が良くなければ、ありえませんよね・・・。
 他社との安売り競争に巻き込まれたら、社員も会社も疲弊してしまって、泥沼にはまり込んでしまうだけ。
 そうなんです。弁護士だって同じです。低料金で何でもやりますなんていうのは、いくらでも手抜きしますよといっているようなものです。
 湖池屋は国産原料にこだわり、本物志向を創業以来貫いている。これは大いに評価できますよね。
日本人の味覚にあった、日本人が美味しいと感じるポテトチップスを目ざす。いやあ、いいですね、これって・・・。
 物量で押しきるようなパワーマーケティングではなく、付加価値を生み出す経営。価値あるものを生み出してきちっと光る存在になる。そのために明快な商品をつくり出す。安売り市場なんか一切見るな。ライバル社と対極的な企業ポジションをつくって打ち勝て。原料となるじゃがいもは100%国産を貫く。そのためには、北海道、東北、関東、九州など全国の農家と提携する。
 2017年2月に全国のコンビニで売り出した「プライドポテト」は、初年度だけで40億円もの売り上げを達成。いやはや、なんともすごい・・・。
 新規社員を採用するときは、会話がちゃんと壁打ちになって返ってくることが前提。一言いえば返ってきて、返ってきたことを受け返すと、またはね返ってくる。人の言葉を受けとめる力、聞く力は、いま改めて大切だ。
 モノづくりの最前線でがんばってきた人のコトバには、さすがに重みがあります。
(2023年12月刊。1600円+税)

ようこそ、ヒュナム洞書店へ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 ファン・ボルム 、 出版 集英社
 身近な本屋さんが次々に消滅しています。それは韓国でも同じようです。
 私は本屋の前は素通りできません。急いでいるときでも、店内をざっと眺めて通り過ぎるようにしています。店先の平積みの本を確認し、さらに棚に並んでいる背表紙をざざっと目視するのです。すると、読んでほしい本が訴えかけてくることがあるのです。それを感じとったら、一歩近づいて手に取り、「よし、よし。それでは・・・」とレジのほうにもっていきます。もちろん、本を万引するなんていう気持ちは毛頭ありませんので、同じフロアーにレジ(勘定場)がないときは、焦ってしまいます。あれはやめてほしいです。万引してると疑われはしないかという余計なドキドキ感は私のような「超繊細な神経」の持ち主にはこたえます・・・。
 この本には、読者の楽しみが、いろんな言葉で語られます。
小説を読んでいるときは、別の世界にひょいと旅に出たようで、とにかくわくわくする。別の世界を旅したあと、現実の世界に戻ってくると、甘い夢からいきなり覚めたみたいで、ガッカリする。でも、いつまでも落胆する必要はない。本を開けば、いつでもまた旅に出られるのだから・・・。
 町の本屋は、本の販売だけでは採算がとれない。ふむふむ、これは韓国も日本も同じようですね。なので、日本の町の本屋はなくなっていくのです。ところが、このヒュナム洞書店はコーヒーを店内売り、また、各種イベントを開いて客を集めるのです。
トークイベントに来てもらった作家は、なんと、もしや自分には文才がないのではと日々悩む、フツーの人たちだった。
 本を読むと、他者に共感するようになる。本は、私たちを誰かの前や上には立たせない。その代わりに、そばに立てるようにしてくれる気がする。
本を読みたいけど、読めない人はどうしたらよいか・・・。初めは大変でも、読んでみれば、読むのが習慣になる。そうなんです。年に100冊とか200冊ほど読んでいた時期がありました。でも、それでは、読みたい本がどんどんたまっていくばかりなのです。それで、本を読むのは自分のためなんだから・・・と、スピードを早めました。私の読書タイムは基本的に車中(列車と電車。さすがにマイカーではありません)と機中(東京への往復で6冊がノルマです)です。ですから、弁護士会の役員をしていたときは、車中と機中ばかりの生活でしたから、年に700冊の本を読みました。今では500冊を下回り、やっと400冊ほどです(上京するのは月1回しかありませんから・・・)。
主人公は壁一面を本棚にするのが夢だったといいますが、私の自宅は壁一面が本棚にしていますし、巣立っていったあとの子ども部屋は書庫にしました。かなり処分して減らしましたが、今でも1万冊はあると思います。購入金額だけでしたら、私も億万長者にきっとなると思います(弁護士生活も50年になります)。
みんな迷惑をかけながら生きている。たまには、いいこともして。そうなんですよね・・・。
幸せって、そう遠くにあるわけではない。遠い過去とか、遠い未来にあるのではなく、すぐ目の前にあったりする。いい人がまわりにたくさんいる人生が、成功した人生なんだって。社会的には成功できなかったとしても、一日一日、充実した毎日を送ることができる、その人たちのおかげで・・・。
 いい本でした。韓国で25万部も売れたそうですが、それもなるほどと思います。
ともかく、この本屋に行って、コーヒーを飲みながら店主と話をしたり、本をパラパラと読むと、きっと心が落ち着くと思います。日本でも、そんな本屋が少しずつ出現しているようですね・・・。いいことです。私はネットでしか本が買えないとなってしまったら、本当に困ります。
(2024年4月刊。2400円+税)

「悪の凡庸さ」を問い直す

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 田野大輔・小野寺拓也 、 出版 大月書店
 ナチスによるユダヤ人大虐殺の仕掛け人の一人、アイヒマンについて、アンナ・ハーレントは裁判を傍聴して「凡庸な役人」に過ぎなかったとしました。本書は、果たしてそうなのか、議論しています。興味深い対話が続きます。
 アイヒマンは、無名どころか、アイヒマンの名は1930年代後半から、しばしば新聞などで言及されていて、ユダヤ人問題に関する権力者として広く知れ渡っていた。アイヒマンは、「ユダヤ人の皇帝」と呼ばれて恐れられていた。
 アイヒマンは、アルゼンチンで敗残者として生きていたのではない。西ドイツの平均賃金を上回る給与を得て、家族とともに高級保養地でバカンスを楽しむゆとりをもっていた。1952年にオーストラリアから妻と3人の息子を呼び寄せ、1955年には四男ももうけている。
アイヒマンは本名のままで世界観に関する論議をし、ナチスの第三帝国時代の内輪話をして、社交の中心にいた。
 アイヒマンは録音されたインタビューのなかでユダヤ人の大量虐殺があったことをはばかることなく認め、それについて何の後悔もしていないと言い放った。
アルゼンチンで、逃亡中の身でありながらアイヒマンが長広舌をふるったのは、重要人物としてスポットライトを浴びる快感にあらがうことができなかったから。
 アイヒマンにはユダヤ人の遠縁も何人かいて、就職に際して便宜を図ってもらったこともある。
ナチス機構のなかで大学出でもないアイヒマンが出世するには、ユダヤ人政策において業績をあげるしかなかった。アイヒマンは、自分はユダヤについての知識を豊富にもっていると周囲に信じさせるだけの演技力を身につけていた。
 アイヒマンは無能ではなかった。アイヒマンの知性は、ナチスのような不法国家においてのみ評価される類のもの。アイヒマンは単純な命令受領者ではなかった。
 アイヒマンは、法規や命令を遵守(じゅんしゅ)するだけの杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)な官僚ではなかった。むしろ、前例を打破して、目ざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳(は)せていた。
 アイヒマンのユダヤ人に対する個人的な憎悪は希薄だった。仕事で実績を上げて名声をえたいという出世欲や功名心がアイヒマンを突き動かした。
 アイヒマンは中央官庁にいて、事務仕事をしているだけではなかった。東欧各地の現場で、ユダヤ人銃殺に直接従事していたし、頻繁にユダヤ人殺戮現場を視察して指示を出していた。
 アイヒマンという人間の本質特質に触れた思いのする本でした。フツーの人が、自分の欲望を満足させるため、信じられないほどの極悪・非道なことができるし、するものだということが、改めてよく分かりました。
(2024年1月刊。2400円+税)

公園の木はなぜ切られるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 尾林芳匡・中川勝之 、 出版 自治体研究所
 東京でも大阪でも、そして福岡でも、公園の木がつぎつぎと大量に切り倒されています。
 まず先行したのは、維新がリードする大阪です。なんと1万9000本を伐採します。「身を切る改革」ではなく、「木を切る改革」です。ひどいものです。
 次は、インチキ経歴(「カイロ大学をトップで卒業」どころか、中退)の小池百合子の東京です。明治神宮外苑のイチョウ並木を切り倒して、伊藤忠商事の本社ビルの建て替え、三井不動産による再開発を進めようとしています。そして福岡は須崎公園です。
どうして、大阪も東京も、こんなに大量の木を伐採しようとしているのか・・・。その理由は、ズバリ、お金です。公園の維持・管理にあまりお金をかけたくない、そして大企業に公園を「切り売り」して収益事業の場を提供するのです。これまで、お荷物でしかなかった公園が自治体はガッポガッポと収益を上げる金の卵になるのです。いやあ、さすがは維新、そして小池百合子です。表ではキレイゴトを言っておいて、裏にまわったら、自分たちのフトコロだけは豊かにしようという魂胆です。
 でも、公園って、住民の良好な生活環境のために、また災害時には避難場所になる防災拠点になるのです。それを目先の経費削減、民間事業者への収益の場の提供に代えるなんて、許されません。
 もともと、大阪も東京も、緑が少ないことが問題なのです。それをさらに切り詰めてしまおうというのですから、ひどいものです。
 この冊子を読んで、会計検査院が経費節減効果を疑問だとし、むしろ住民サービスの低下(約束違反)をもたらしていると指摘していることを知りました。それほど、大阪の維新、東京の小池百合子のやっていることはひどいのです。ごまかされてはいけません。
 私が毎月1回、日弁連の会議のため上京するたびに足を踏み入れる日比谷公園も大改装中です。公園と銀座をつなぐ大型デッキを2ヶ所につくるんだそうです。私は、そんなデッキなんて必要ないと思います。
わずか60冊の小冊子ですが、公園の木を切り倒してはいけない理由が簡潔によくまとめられています。ぜひ、手にとってお読みください。
 著者の尾林弁護士は、東大でセツルメント活動をしていました。その意味で、私の後輩になります。今も水問題など旺盛な活動を展開していて、日頃から大いに尊敬しています。
(2024年5月刊。990円)

世界史の中の戦国大名

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 鹿毛 敏夫 、 出版 講談社現代新書
 知らないことがたくさん書かれていました。
 日本の西国大名の姿勢は、表裏を使い分け、形式より実刑を追い求める二枚舌外交だった。たしかに少なくない大名が切支丹になったのも、純粋に信仰にして、というより貿易の利益を確実にするためだったとも言われていますよね…。
 16世紀半ば、日本にポルトガル人が鉄砲を伝えたこと自体は事実。しかし、ポルトガル船に乗って来たのではなく、戦国大名が派遣した遣明船と結んだ中国人倭寇・王直のジャンクに乗って日本にたどり着いた。ええっ、そうだったのですか…。
日本は、当時、膨大な量の日本銅を海外に輸出していた。同時に、硫黄も大量に輸出していた。
 宋の中国では、火薬を兵器として利用していて、黒色火薬の原料として、硫黄、硝石、木炭の需要が急増していた。
 豊後や薩摩の日本産硫黄は、10世紀から17世紀初めまでの長いあいだ、主要な輸出品目だった。そして、豊後(大分)の遺構から出土した鉛玉(鉄砲の弾丸)は30%がタイ南部のソントー鉱山産だった。
 日本から銀や硫黄を輸出し、東南アジア諸国からは壺を容器として硝石や鉛、そして蜂ろう(ロウソクや口紅の原料)を輸出していた。
肥後国伊倉(玉名市)には、17世紀はじめころに活動していた「唐人」の痕跡が唐人墓として残っている。そして伊倉には、現在も「唐人町」の地名がある。福岡の地下鉄の駅名にもなっていますよね。
 文禄1年(1592年)ころ、久留米周辺のキリシタンは300人だった。それが慶長5(1600)年ころになると、久留米にレジデンシアが開設され、パードレとイルマンが常駐して、教会堂と寺院が建てられた。1900人が集団受洗した。久留米では、最盛期に7000人の信者がいて、パードレ1人、イルマン2人が駐在した。関ヶ原合戦に敗北したあと、毛利秀包(ひでかね)・引地夫妻は撤退し、キリシタンも離散してしまった。
 天正年間には、商人仲屋宗越は、カンボジア交易を手がける明の貿易商人と取引関係を結び、東南アジア方面の物資を入手していた。
戦国大名たちは実利を求めて、東南アジアの国々と積極に交易を進めていたことがよく分かりました。
 やはり、視線は外に、昔も今も国際的な視野をもつことの大切さを教えられました。
(2023年10月刊。1100円+税)

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