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中国拘束2279日

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 鈴木 英司 、 出版 毎日新聞出版
 公安調査庁のスパイとして中国で逮捕され、6年という実刑判決を受けた著者による体験記です。著者は公安調査庁には中国に内通している大物スパイがいて、今も活動していると推察しています。
 日本の公安調査庁は、オウム真理教のおかげで生きのびている、盲腸のような存在だとみられてきましたので、中国側の認定は誇大視だと思うのですが…。
この本で、中国の刑事司法手続の一端を知ることができました。
 その一が、居住監視。逮捕ではないけれど、拘束されます。その実態は監禁そのもの。3ヶ月間という制限があるが、延長が許されている。そして、この期間は、法律援助(扶助)制度による弁護人は付けられない(付かない)。
著者が居住監視生活に入ったのは2016年7月15日。正式に逮捕されたのは2017年2月。そして、同年5月に起訴され、2020年11月にスパイ罪で懲役6年の実刑判決が確定し、刑務所に収監された。著者が日本に帰国したのは、2022年10月11日。したがって、6年以上、中国で監禁、拘束されたわけです。
 著者に付いた弁護士は、著者からすると、「まったく期待外れだった」。著者が無罪を主張すると言っても、「それはやめよう、罪の軽減をめざしてがんばる」というだけ。著者の主張を否定も肯定もせず、応援することもなかった。「何もありません」「特にありません」としか言わなかった。スパイ罪の裁判だったからでしょうか。裁判は非公開。2回目の公判で判決が下された。
 中国には、「認罪認罰制度」というのがあり、罪を認めて謝罪したら、法律によって刑期が短くなる。しかし、著者はあくまで無罪を主張した。
 ちなみに、弁護士を依頼したら、40万元(820万円)かかるだろうとのこと。これはまた、べらぼうな金額ですね…。
裁判官、しかも最高人民法院の裁判官だった人が著者と拘置所で同室だったそうです。汚職で逮捕された元裁判官です。その元判事によると、中国の「依法治国」は、まったくのインチキ。そんなことは中国では不可能。中国に人権なんてない」とのこと。そして、中国の裁判官は最高人民法院の院長をはじめ、裁判官の全員が賄賂(わいろ)をもらっているとのこと。恐るべきことです。
かなり以前の韓国でも、弁護士が裁判官を接待するのが常識でした。今ではもうそんなことはないでしょうね…。でも、中国では、どうやら、今も、続いているようです。
 アメリカ人(アメリカ国籍を有する人)が中国で逮捕・監禁・拘留されることはないとのことですが、日本人はときどき拘束されています。2015年5月から少なくとも17人の日本人が拘束され、うち5人は起訴されずに帰国した。10人は起訴され懲役3~15年の実刑判決が確定し、3人が服役中、1人は死亡、6人が刑期満了で日本に帰国した。
 日本政府も、大使館、領事館も、日本人保護のためには何もやってくれない。日本人としては寂しい現実です。
(2023年5月刊。1600円+税)

神秘なるオクトパスの世界

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 サイ・モンゴメリー 、 出版 日経ナショナル・ジオグラフィック
 タコは賢い生物で、人間を見分け、人間になつくというのです。
 タコは、頭に1つ、足1本につき1つずつ、合計9個の脳がある。そして、心臓も3つある。ただし、その割には短命。8本の足で触り、味わう。そして、化ける。
 タコは洗練された擬態能力を備えている。瞬時に姿を変えることができる。ほかの動物の形や動きを擬態して、カムフラージュの名手もいる。
タコの皮膚の色の変化は、人間が顔をしかめたり、笑ったり、赤面したりする感情表現に似ている。
 タコにも、人間と同じく、個体ごとに違う性格と特質がある。
タコは、短命で、ミズダコの寿命はわずか3年~5年。
 タコには人間の顔を見分ける能力があり、好悪の感情がある。
 一部のタコは、2本の足で歩行する。
タコは、近づく人間が害がないと判断すると、近づくのを許し、手を伸ばして触れようとする。
 タコは信じられないほど、人なつっこい。
タコは人間が瞬(まばた)きするよりも速く、体の色や形を自由自在に変える。ワモンダコは、1時間に最大177回も体色を変え、50種類のボディパターンを身にまとうことができる。5分の1秒で体色を変えられるし、1時間以上も同じ色や模様を安定して維持することもできる。
 タコは、イカよりも6.5平方センチメートルあたりの色素胞の数が多い。500万個以上の色素胞がある。
タコは硬い骨格なしで二足歩行できる唯一の動物。タコの目は色を識別できない。タコは皮膚で光を感じたり、見たりできる。
実験によって、タコには記憶力、学習能力、自制心をもつことが証明された。
 タコにも人間のように2つの異なる睡眠段階があり、目覚めるまでにそれが何度か繰り返される。
タコは好奇心が旺盛で、何か面白いことをするのを楽しむ。つまり、タコは遊ぶ。
 タコは人間の顔を認識し、記憶する。
タコのメスは1度に10万個の卵を産むと、それを平均6ヶ月間守り、清潔に保つ。卵が孵化(ふか)するのを見届けると死んでしまう。
 タコのメスはオスを殺して食べる。
 タコって、こんなにも人間によく似た賢い動物なんですね…。すっかり見直しました。
(2024年4月刊。2300円+税)

フランスの庭、花のたより365日

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 西田 啓子 、 出版 青幻舎
 著者はフランスに住んで生活している日本人女性です。パリから60キロ、フランスの北部の小さな村、シェライユに住んでいます。麦畑に囲まれた自然豊かな田舎です。人間より多い野ウサギやキジ、野鳥そして虫が、たくさんの植物とともに息づいています。
 ただし、自然環境は少しばかり厳しいようです。夏は夜10時まで日が暮れない。ところが、冬は日照時間が短く、凍てつく寒さの日々です。
 著者の朝は、愛犬とともに散歩に出るところから始まります。犬は野ウサギが気になり、著者は植物の様子が気になり、それぞれ寄り道をしながらの散歩です。人通りの少ない田舎道を、肺にめいっぱい空気を吸い込みながら、のろのろと歩くのです。
 ところが残念なことに、散歩をともにした愛犬は15年たって寿命が尽きてしまい、今では庭の片隅に静かに眠っているのです。
 広大な花農園をもつ、ファーマーズフローリストとして生きている著者は1日1花、見事な写真で花々を紹介しながら、日記帳のように書きつづっています。
私も日曜日ごとにガーデニングを楽しんでいますので、プロとアマの違いこそありますが、庭の四季折々の花を愛(め)でることは共通しています。
 この本に紹介されているフランスの花で、わが家の庭に咲くのも少なくありません。
 いま、私の家には、朝顔が咲きはじめています。目の覚めるような真紅の朝顔が、私のもっとも好きな朝顔です。それから橙色のノウゼンカズラです。まだ少ないのですが、リコリスが咲きはじめました。そして、ピンクの芙蓉と赤っぽいネムの木の花。
 ようやくブルーベリーが最盛期を過ぎました。今年は大豊作でした。岩泉ヨーグルトと一緒に美味しくいただきました。
 花と木々に囲まれた生活は、本当に心が落ち着きます。
(2024年5月刊。2600円+税)

検証・川中島の戦い

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 村石 正行 、 出版 吉川弘文館
 川中島の現地には、私も一度だけ行ったことがあります。とは言っても、タクシーを飛ばして行ったというだけですので、現地ガイドの説明でも聞けたら良かったとは思いますが、まったく全体状況は何も分からず、残念でした。
 関ヶ原合戦上には2度行きましたが、このときは史料館にも行きましたので、少しは理解できました。次には、武田勝頼の率いる武田軍が織田・徳川軍の鉄砲「三段撃ち」で惨敗したという長篠(ながしの)合戦場の現地に行ってみたいと考えています。
 川中島の戦いとは、甲斐国(山梨県)の武田信玄(晴信)と越後国(新潟県)の上杉謙信(長尾景虎)が信濃国川中島(長野市川中島町)で、北信濃(長野県北部)の領有をめぐって、何回か対戦した合戦をさします。
 この戦いは、1553(天文22)年から1564(永禄7)年までの12年間にあり、主な対戦だけでも5回あったとされている。そのうち、もっとも激しい合戦は「5度目」の1561(永禄4)年9月10日に、両雄が一騎打ちしたというもの。現地には、この「両雄の一騎打ち」が銅像になって「再現」されています。ところが、実は、合戦が何回あったのか、今に至るまで確定していないというのです。驚きました。
 永禄(1560年)ころは、今より寒冷で、大飢饉(ききん)で人々が苦しんでいたらしいのです。甲斐は作物が不作で、戦争は食糧獲得のためだったとのこと。なるほど、それだったら、切実ですよね…。生き抜くためには戦かわねばならないというのですからね。
 古文書(「甲陽文書」)によると、武田軍八頭が敵方と対戦したとなっている(天文22(1553)年)。頭とは士(さむらい)大将のこと。騎馬武者5隊で小組、これが5小組で一組の単位となる。2組で「備(そなえ)」となって、士大将の指揮下に置いた。「備」の編成を500人ほどだとすると、八頭で4000人前後になる。
 武田信玄(晴信)の隣国への出兵は春から夏にかけてが多い。異常気象による食糧不足を、他国での乱取り(略奪)、人取りによって補う目的があったのだろう。武田信玄は調略(切り崩し)をすすめた。
 「和与」とは、当事者間の紛争解決の方法の一つ。もともとは、親族以外への贈与を意味する中世の法律用語である。
 長尾景虎にとっても、長期の在陣は越後の国衆の負担となり、また統制を乱された。自立性の高い国衆とのあいだの「あつれき」に悩まされ続けていた。永禄4年の合戦では、短期的戦術としては、上杉側の優勢だった。上杉側の名だたる武将の戦死はない。
 そして、武田家内紛も始まったうえ、双方ともに、大きな代償を払った(永禄4(1561)年)。
(2024年5月刊。1870円)

吉永小百合、青春時代写真集

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 日活 、 出版 文芸春秋
 私は何を隠そう(昔も今も隠してなんかいませんが…)サユリストなのです。
 その小百合ちゃんの青春時代の写真集が出たと聞いて、すぐに注文しました。いやあ、良かったですね、すごい写真で、改めて小百合ちゃんにほれぼれしました。
 映画女優デビュー65周年記念という企画です。私の弁護士生活50年をはるかに上回ります。それでもって、今もバリバリの現役女優なのですから、本当に尊敬します。
 小百合ちゃんと私の共通項がたった一つだけあります。それは、水泳です。私は週に1回、プールで自己流のクロールで1キロ泳ぎます。40分かかります。小百合ちゃんは、どうやら、週に何回か泳いでいるようです。それでいてゴーグルの跡が顔に片リンも見られませんから、よほど、泳いだあとの顔面マッサージを丹念にしているのでしょう。
この本には出てきませんが、高校1年の入学式に日活に入り、それからまともに学校に行っていない(行けなかった)小百合ちゃんは、早稲田大学第二文学部に入学して無事に卒業しています。それもまた、すごいことです。よほど勉強熱心なのですね…。
 この本には小百合ちゃん主演の映画が写真とともにたくさん紹介されています。残念ながら、そのほとんどを私は観ていません。私が観たのは、まずは「キューポラのある街」です。小百合ちゃん17歳、1962(昭和37)年です。まだ私は中学生でした。「青い山脈」とか「伊豆の踊子」は観ていません。小百合ちゃん18歳、1963(昭和38)年の作品です。
 「パリの小百合ちゃん」という写真もあります。セーヌ川のほとり、そしてベルサイユ宮殿の庭に腰かけた小百合ちゃんがいます。そして、さらに残念なことに、「戦争と人間、完結篇」(1973年)も私は観ていません。「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)も観た覚えがありません。本当に残念です。
 まあ、それにしてもいい写真集です。私が吉永小百合を心から尊敬しているのは、大女優でありながら、地道な平和を求める取り組みを一貫して続けていることです。
 原爆反対の声をあげ続けていることに、ひたすら共感したいと思います。
(2024年6月刊。3200円+税)

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