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死刑囚弁護人

カテゴリー:アメリカ

著者   デイヴィッド・ダウ 、 出版   河出書房新社 
 なんでもありのアメリカです。でも、死刑囚の弁護を専門にしている弁護士がいるなんて・・・。驚きます。いったい、それで食べていけるのでしょうか?
 著者は、1980年代後半から、テキサス州で死刑囚の弁護に従事しています。死刑囚の処刑を中止させるため処刑時間のギリギリまで粘って、裁判所に書類を提出するのです。でも、やがて、最高裁の書記官から電話が入る。「追加の書類は不要です。訴えは棄却されました」。そして、すぐに死亡宣告の連絡が入るのです。
 なんとなんと、こんなことが日常生活に起きるなんて、すごいストレスですよね。信じられません。
 1989年3月9日、木曜日、夜12時37分。デリック・レイモンドの処刑を著者は2人の地元記者などと一緒に見守った。いやはや依頼者が死に至る状況まで見守るとは・・・。
 死刑囚と話すとき、とにかく相手に希望のかけらも感じさせたくない。余計な希望をもたれると困る。本人が、「最後は、きっと勝てる」と思っているところに、「だめだった」と電話するなんて・・・。かすかな希望すら打ち消しておきたかった。まもなく死ぬ相手に、死ぬ覚悟ができているほうが、はるかに楽なのだ。
 たいていの殺人犯は、中肉中背。どこをとっても普通。殺人するような人間は怪物のような顔をしているはずだと思いたい。しかし、現実には、会ってみると、しごく普通の顔をしている。
 死刑囚の監房には、自動販売機が数台置かれていて、ジャンクフードやソーダ類が売られている。面会に来た人は誰でも買うことができる。小銭を入れ、ボタンを押す。商品を看守に取り出してもらい、そのまま死刑囚に届ける仕組みだ。紙幣を刑務所に持ちこむのは禁じられている。
死刑執行日が決まったことを電話や手紙で連絡しないようにしている。死ぬ日を電話で知らされるか、直接言われるか、何か違いがあるかと問われたら、たぶんない。しかし、その点にこだわる。
通常、死刑がからむ事件で上訴弁護人が最初にすることは、徹底的に調べ直すこと。
死刑囚の生活について、快適だという人がいる。午前中は、ウエイトトレーニングをして、夜はテレビを見て、1日3回ちゃんとした食事が出て、コンピュータの利用も読書もできて、いいことずくめだと。しかし、それは間違いだ。死刑囚監房は、ただの狭い檻みたいなものだ。
心に留めるべきことは、死刑囚は必ず、その残された短い時間のある時点で、心のなかまでも檻に囲まれてしまうということ。そうなってしまったら、思いもよらない刺激にも反応する。音のないミュージカルを見るようなものだ。気が狂いそうになるだろう。
死刑囚の多くは、子どものときに、自分の家族から隔離されるべきだった。だが、そうはならなかった。誰からも、一切関心をもたれず、誰からも関心をもたれなかったために、危険な人物となる。そのときになってようやく、社会は彼らに目を向けるのだ。もし、誰かがもっと早く気がついて関心を払っていれば、彼らの命は救われたかもしれない。
 刑務所の職員は、死刑囚と弁護人以外の来訪者と面会をひそかに録音している。弁護士との面会は録音しないことになっているが、やっていないはずはない。
死刑囚は三種の薬物のカクテルで処刑される。一つ目の薬物はバルビソール剤で、これにより死刑囚は意識を失う。二つ目の薬物で身体が麻痺し、最後の薬物で心臓が停止する。二つ目の薬物は、立会人のためのもの。もし死刑囚が麻痺状態にないと、三つ目の薬物で心臓が止まるとき、水揚げされた魚のように、のたうつことになる。一つ目の薬物は死刑囚のためのもの。もし、それが十分でないと、二つめの薬物で横隔膜が麻痺するとき、窒息死の苦しみを味わう。三つ目の薬物は、激しい痛みを伴う。傷口に塩酸を注ぐようなものだ。
人を絞首台に送る陪審員や裁判官は、自らの下した判決をきちんと見るべきであり、死刑の執行に立ち会うべきだ。死刑を支持する控訴裁判所の裁判官は一人残らず死刑囚監房を訪れ、自らのその知らせを伝えるべきだ。死刑の執行延期を拒む最高裁判所の裁判官も、死刑執行室まで陰湿な廊下をはさんで8歩の待機房で死刑囚に自ら伝えるべきだ。助手をつかって、その死刑囚弁護人に電話で伝えるのはやめるべきだ。
この社会において処刑を継続するのなら、それが無慈悲かつ無責任に他人の命を奪った人間にたいする妥当な刑罰と考えるなら、執行を止める権力を有する人間は、その刑罰を科す責任、少なくとも、その刑罰を否定しないことの責任を負うべきである。
 他者の決断により、他者が手を下すのなら、人を死に追いやるのは容易だ。現在の死刑制度は卑怯な精神をよりどころにして機能している。
大変重たい指摘だと受けとめました。死刑の存廃をめぐってはもっと大いに議論すべきです。何となく死刑賛成の日本人が多い気がしてなりません。ぜひ、あなたも一読してください。
(2012年8刊。1900円+税)

ゴリラは語る

カテゴリー:人間

著者   山極 寿一 、 出版   講談社  
 アフリカでゴリラとともに暮らし(?)て30年以上の山極(やまぎわ)博士のお話です。
ゴリラって、本当に人間(ひと)によく似ていますよね。なにより、アイコンタクトをつかっているのが驚きでした。
サルが目を合わせるのは威嚇するため。ところが、ゴリラは目をそらすと不満を示す。サルとちがってゴリラは、顔をのぞき込まれても視線をそらさず、目と目を合わせる。この「のぞきこみ行動」は、ゴリラの挨拶のひとつ。たがいに顔を近づけ、見つめあって挨拶するのが、ゴリラの流儀。そして、ゴリラ同士では会話も存在する。
 「ゥアゥ?」(フー・アー・ユー)は、問いかけ。とにかく速やかにこたえることが必要だ。
 「ウルウルウルウル」という高くてかわいい声は求愛の声。
好物のキイチゴを見つけると、うたうように声を発する。ハミング。
 「グコグコグコ」というのは笑い声。笑い声を出すのは、人間のほかは類人猿のみ。
 ゴリラは表情から判断するのが人間に比べて難しい。しかし、ゴリラは感情が目に表れる。うれしいときには、ゴリラの目は人間以上に光る。目の色が金色に変わる。
ゴリラは、一日に何度も、そして長く遊び続ける。レスリングや追いかけっこ、ターザンごっこ、お山の大将ごっこ、ヘビダンス。遊んでいる最中の出す「グコグコグコ」という笑い声は、「自分はいま楽しいんだよ」というのを相手に伝える手段。
 動物園に飼われているゴリラが交尾できなくなっているのは、同じ年ごろの子どもたちとたっぷり遊ぶ経験をもたないから。
 ゴリラのオスは、自動的には父親にはなれない。そこには母ゴリラの見事な子離れ戦略がある。母ゴリラは子どもが1歳になるまでは、子どもを片時も離さない。ところが、1歳を過ぎたあたりから、父親であるシルバーバックのそばに子どもを置いていくことがよくある。そうやって子どもが母親のもとを離れていけるように促す。子どもは母親から父親を紹介されてはじめて、父の存在を認め、頼りにするようになる。ゴリラのオスは、メスからも子どもからも認められないと、「父親」にはなれないようにできている。
 ゴリラのグループには、「核オス」と呼ぶリーダーのシルバーバックこそいるが、オスの間に序列はない。だからゴリラは、たとえ争いを起こしても、力の強さや年齢や性別によって負けることがない。勝者も敗者もつくらない。
 大人のゴリラがケンカをすると、子どもや若者たちが引き離して止める。
 サルは、ケンカが始まると、群れのほかのメンバーはどちらかに加勢してはっきり勝負をつける。しかし、ゴリラは、むしろ仲裁を期待している。納得していないことを示すために戦う姿勢は見せる。しかし、仲裁が入ると、それ以上は争わない。
となると、人間よりゴリラは、よほど徹底した平和主義者ですね。人間は見習うべきです。人が住んでもいない領土をめぐって戦争をけしかけるなんて、「賢い」人間のすることではありませんよね。大変わかりやすい、いい本です。
(2012年8月刊。1000円+税)

緒方竹虎とCIA

カテゴリー:日本史

著者   吉田 則昭 、 出版    平凡社新書 
 消費税の増税(5%から10%へアップ)を決めるとき、朝日も毎日も大新聞は一致して早く増税を決めろと一大キャンペーンをはりました。「不偏不党」の看板をかなぐり捨てて政権与党と同じことを言うマスコミは異様でした。
戦前の朝日新聞を代表する記者として活躍し、戦後は保守政治家となった緒方竹虎の実態を明らかにした新書です。日本の政治家の多くが戦後一貫してアメリカ一辺倒だったことを知ると、哀れに近い感情がふつふつと湧いてきます。
 緒方竹虎は、4歳のときから福岡で育っているので、福岡は故郷と言える。
戦後の緒方竹虎についていうと、CIAの個人ファイルのなかに、5分冊、1000頁もあって、日本人のなかでは群を抜いて多い。児玉誉士夫、石井四郎、野村吉三郎、賀屋興宣、正力松太郎などの個人ファイルがある。
 CIAは、緒方竹虎に「ポカポン」、正力松太郎に「ポダム」というコードネームをつけていた。この「ポン」というのは、日本をさすカントリーコードであることが判明した。
 緒方竹虎に対するアメリカ側の士作は1955年9月以降、「オペレーション」、ポカポンとして本格化し、実行された。
 日本の保守政治家の多くがアメリカのエージェントだったというのを知るのは、同じ日本人として、寂しく悲しいことです。表向きは日本人として愛国心を強調していたのに、裏ではアメリカに買収されてスパイ同然に動いていたなんて嫌なことですよね。
(2012年5月刊。780円+税)

風のひと、土のひと

カテゴリー:人間

著者   色平 哲郎 、 出版    新日本出版社 
 著者の元気のいい話を聞いたことがあります。
 大学を中退して世界を何年も放浪したなんて、すごい勇気がありますよね。臆病な私にはとても真似できません。お金もありませんでしたし、大学生のころ日本を出るなんて、一度も考えたことがありません。せいぜい東京から九州までどうやって安上がりに帰省しようかというくらいです。結局、夜行列車に乗って帰りました。まる一日、列車に乗っていた気がします。座席の下にもぐり込んで、新聞紙を敷いて、そのまま寝ていました。4人がけの席の下にもぐり込めたのです。
 著者は、長野で無医村だったような診療所で医師として働きます。大変だったようです。
 メディアの名医志向は、とどまるところを知らない。しかし、特定の名医でなければ病気は治らないというような報道姿勢は、ただでさえ崩壊現象が始まっている日本の医療を追い込むだけだ。
 長野県佐久地方には、「医療どろぼう」という言葉がある。医療保険のなかったころ、村民が医者にかかれば、診察料をごっそりとられた。現金収入の乏しい村民は、医者に診察してもらえば、「どろぼう」に入れられるようなものと覚悟を決めて往診を頼んだ。
 テレビでコメンテーターたちは、農産物をもっと安くしろと平気で言う。食料自給率が4割以下という危機的な状況や山林、野原、水源地の荒廃など、眼中にない。医療崩壊も、突きつめれば地方の農業崩壊、産業崩壊が原因だ。
 実は、地方にある医療部には地方出身者が少なく、大都市出身者が多い。都会で私立の中公一貫校や塾などに多額の投資をしたひとが地方の医学部に多く進学している。昨今の地方の切り捨てという風潮のなかで、地方に残ることを避ける傾向にある。
農村に医者が来ない、居つかない三つの理由。
 第一に、農村では勉強できず、技術が遅れて日進月歩の医学についていけなくなる。
 第二に、文化的環境から離れると子どもに医科大学に入学できるような教育を受けさせられない。
 第三に、村民は口うるさく、しかも、高給取りの医者を目の敵にする傾向がある。
果たして、現実はどうなのでしょうか・・・。
 書かれていることは、ごくもっともなことばかりでした。お医者さんも大変ですね。ともにがんばりましょう。
(2012年6月刊。1600円+税)

えん罪原因を調査せよ

カテゴリー:司法

著者   日弁連えん罪原因研究・WG 、 出版   勁草書房 
 なぜ、えん罪がなくならないのか、えん罪はどうやってつくられていくのか、裁判官が見抜けないのはなぜなのか、弁護人はいったい何をしているのか・・・。次々に湧いてくる疑問に答えてくれる本です。
 映画『それでも、ボクはやっていない』をつくった周防正行監督は、3年間で200回ほど裁判を傍聴したそうです。すごいですよね。そして今、法制審特別部会の委員になっています。
 警察や検察は、イギリスは1時間とか2時間の取調で起訴している。それでいいのか、と脅すように投げかける。そして、なぜ、そんなに治安の悪い国の司法制度を真似しようというのかと批判する。だけど、日本の治安がいいのは、決して日本の警察が優れているからではない。日本人の規範意識が高いからだ。
 マスコミは、よく「またも真相の解明はできなかった」と書くが、裁判は真相究明の場ではない。法廷に現れた証拠によって、被告人が有罪か無罪かを決める場である。大きな事件について真相の解明を求めるのなら、まったく違った機関で調べないと無理だ。
 このような周防監督の問題意識と同じようなところから、日弁連は独立した第三者機関をつくってえん罪の真相を究明することを提言しています。
 これまで日本で再審無罪となった事件では、短くて10年、長くて62年とか50年というものがある。最近、無罪となった布川(ふかわ)事件も、なんと44年かかっている。氷見(ひみ)事件の5年というのはもっとも短いもの。
 「やっただろう。認めろ」「いや違う」という不毛なやり取りと我慢くらべが続き、長時間の取調べがいつまで続くのか、明日も、明後日も、その後も続くのか、その不安から取調官に迎合して早く解放されたいと思うようになる。
 愛知県警察の取調マニュアルには、「調べ官の『絶対に落とす』という、自信と執念に満ちた気迫が必要である。調べ室に入ったら自供させるまで出るな。否認する被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ」とある。
 国連に提出した日本政府の報告書には、取調べを法律で一律に規律するのは難しいとしている。
 アメリカもEUも、ほとんどの加盟国では、弁護人の立会権を保障している。韓国も台湾も保障している。
 日弁連はえん罪の原因を究明する第三者機関も設置するように提言し、そのときの問題点も検討しています。
第三者機関については、国会の付置機関とするのが政策上妥協と思われる。というのは三権のうち、刑事司法機関と直接の指揮命令系統をもって関係しないのは、国会に限られるだろうから。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、無実が明らかになって釈放された人は292人にのぼっている。1973年以降に、誤判が発覚して死刑台から生還した死刑囚が26州、140人にのぼっている。これが司法について深刻な反省を生む契機となった。
 そして、えん罪であることが分かった多くの事件で、死刑囚は、捜査段階で虚偽の自白をしていた。さらに、ビデオの前で自分の母親を殺害したと自白した無実の人さえいた。この自白はまったくの虚偽だった。
 やってもいない人が「自白」なんかするはずがない。これが世間一般のフツーの常識です。ところが、その常識が通用しない世界があるのです。警察そして検察が、その誤った体制を確固たるものにしています。
 私の畏友・小池振一郎弁護士より頼まれて買いました。なるほど、手抜き裁判はひどいものだ、でも、まだなくなっていないと思いました。
(2012年9月刊。2300円+税)

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