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「最先端技術の枠を尽くした原発」労働

カテゴリー:社会

著者   樋口健二・渡辺博之ほか 、 出版   学習の友社 
 原発には、労働者を送り込めば送り込むだけ儲かる仕組みがある。これに目をつけたのが暴力団だ。
 原発労働は、差別の上に成り立っている。下請け、孫請け、人出し業につながっている。人出し業の下に、農漁民、寄せ場、失業した都市労働者などがつながる。そして、人出し業のなかに暴力団が巣くっている。労働者からピンはねができるから。
 原発からは、作業員一人あたり危険手当こみで5~7万円が支払われている。これが順次ピンはねされて、人出し業のところでは3万円くらいになる。
 福島のJヴィレッジに1日あたり1300~3000人の作業員がいる。ところが、恐ろしくなって逃げ出す労働者が少なくないので、人数が足りなくなる。そこで、暴力団にお金を渡して連れてきてもらうしかない。
 原発の定期検査のときには、1日で1500人の作業員が原発のなかに入る。福島原発事故の収束のためには、のべ数十万人の労働者を動員しなければならない。
労働者の年間被曝線量は50ミリシーベルト。100ミリシーベルトを浴び続けたら、10年後には間違いなく死ぬだろう。いま、東京・神田の放射線従事者中央登録センターには45万人が登録されている。このように、原発は、人間の問題なのだ。
 東電が定期検査するとき、元請会社になるのは東電が出資している子会社である、東電工業、東京エネシス、東電環境という東電3社と呼ばれる会社。ここは、東電職員の天下り先にもなっていて、御三家と呼ばれる。
 一次下請け会社の労働者の日当は2万円、二次、三次下請け会社の労働者は1万5000円程度。派遣された労働者は1万2000円~6000円というもの。多重下請け、多重派遣構造のなかで、末端労働者は、8~9割もの中間搾取がなされている。
 原発は海外に売るときには1基3000~4000億円だが、国内では1基5000~6000億円になる。
 元請けは、三井、三菱、日立の3社が本体をつくっている。
 危ない原発労働、それでも誰かにやってもらわないといけない原発の後始末作業のおぞましい実態です。東電など、本社会社は、これらの事実を見て見ぬふりをしてきたのでしょう。許せませんよね。
 100頁もない、薄っぺらなブックレットですが、ずしりとした人間の重みを感じました。
(2012年6月刊。762円+税)

イノシシ母ちゃんにドキドキ

カテゴリー:生物

著者   菊屋 奈良義 、 出版   白水社 
 害獣と、みられがちなイノシシの生態をよくよく観察し、面白おかしくつづった生態観察報告です。野生のイノシシたちが見せてくれる生態写真とともにユーモアたっぷりに活写されています。
 イノシシの平均寿命は6年のようです。1歳になるかどうかのころに、早くも母になって出産します。知りませんでした。
 それにしても、ウリ防、ウリンコたちの可愛らしいことったら、ありゃしません。ウリンコたちは、それぞれの乳首を誰が吸うのか決まっている。
母ちゃんがウリンコのおしりをひょいと鼻でつつくと、そのウリンコはコロリと横になります。母ちゃんはウリンコの全身をなめつくすのです。それも、ウリンコ全員を平等になめてやります。
 そして、ウリンコたちがウリンコの模様の消えたころ、今度は母ちゃんを全員でなめまわします。それは、お別れの儀式でもあるのです。次の日、母ちゃんは子どもたちを激しく追い出し行動を始めるのでした。
 イノシシは前向きだけでなく、上手にあと下がりする。猪突猛進は後退もできるのです。
 イノシシはやさしい野生動物であり、人を怖がっていて、賢い子育てをする母である。
イノシシは草や根っこを食べる。個体によっていろいろ好みが異なる。
8ヵ月ほどの養育期間で母親から1人前と決めつけられると、母親のもとから追い出される。
 イノシシはピーマンは食べず、大根もあまり食べない。イノシシの声は聞き分けられる。
 ブフォン・・・じゃまだ
 ブフフォン・・・来るな
 ブフンフォン・・・警戒しろよ
 ブブブフォンンン・・・帰るぞ
 ウフォン・・・そろそろ出てこい
 ギャフフン・・・わかった
 ギャアッ・・・痛ぇ
 ブブ・・・おいで、おいで。こっちじゃよ
 グァフフン・・・逃げろ
 イノシシの母ちゃん軍団には、父ちゃんイノシシがいない。オスは子育てにはまったく関与しないのです。
 イノシシは「攻撃するぞ!」という勢いを見せる。猪突猛進。さも怖い動物であるかのように見せて、実は自分が怖くて逃げ出す機会をつくっている。相手が一瞬ひるんだすきに、パッと身を翻して走り去る。
 身近なイノシシの生態を長いあいだじっくり観察していると、いろんな発見があるものなんですね
(2012年10月刊。1800円+税)

日本の笑い

カテゴリー:日本史(江戸)

著者    コロナ・ブックス 、 出版    平凡社 
 伊藤若沖が布袋(ほてい)さんを描いています。いかにも、ふくよかな布袋さんたちです。芭蕉翁が大阪で51歳のとき亡くなった状況を描いた絵もあります。
 旅で病んで夢は枯野をかけ廻る。
その遺言を知りませんでした。死んだら木曾義仲公の側に葬ってほしいというものでした。それで大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)の義仲の墓のとなりに葬られているそうです。
 英(はなぶさ)一蝶の「一休和尚 酔臥図」もすごいですよ。よく描けています。
世の中は、起きて稼いで、寝て喰って、あとは死ぬのを待つばかり。
 さすが、人生の達人ですね。耳鳥斉という、宮武外骨も岡本一平もあこがれた、漫画の元祖のセンスよい絵も紹介されています。日本のコミックは歴史があることを十二分に納得させる絵です。
 「北斎漫画」にも圧倒されます。4頁にわたって「デブ」の画があり、さらに次の4頁に「ヤセ」の百態が描かれています。
 さすがの北斎です。どちらにも嫌みがなく、思わずほほえんでしまいます。人間の内面にまで踏み込んでいるからでしょうか・・・。
 日本人のマンガの伝統が決して浅いものではないことを、しっかり再確認させられる画集でした。
(2011年12月刊。1800円+税)

義烈千秋、天狗党西へ

カテゴリー:日本史(江戸)

著者    伊東 潤 、 出版    新潮社 
 幕末の動乱の時代、水戸藩の内紛を母胎として天狗党が生まれ、ついに京都へ駆けのぼろうとします。しかし、ときの将軍・徳川慶喜の動揺によって、哀れ切り捨てられてしまうのでした。
 水戸藩の家中騒動から、天狗党の決起。そして京都を目ざして苦難のたたかいを続ける姿が生き生きと描かれています。著者の筆力には驚嘆するばかりです。
 堂々400頁をこえる本書には、天狗党の面々の息づかいがあふれ、まさに迫真の描写が続きます。まるで、実況中継しているようで、手に汗を握ってしまいました。
 幕末、真剣に考えて生きる人々の迷い、動揺、そして行動が、これでもか、これでもかと詳細に描写されていて、読むほうまで胸がふさがれるほど息苦しくなります。
天狗党は、最終的に350人以上も処刑(斬罪)され、ほぼ同数が追放などの処分を受けた。
 ところが、明治になって逆転し、反天狗党が敗退して、首謀者は処刑された。
同郷の人血で血を洗う殺しあいをしたようです。復讐と報復の連鎖があったのでした。
 攘夷といい、尊皇といい、幕末期の志士たちの選択はとても難しかったようです。そのなかでも選択はせざるをえないわけです。それを誤ったときには、自らの生命を捨てるしかありませんでした。
 プロの作家の描写力には、いつものことながら、かなわないなあと溜息が出るばかりです。
(2012年3月刊。2200円+税)

悪いやつを弁護する

カテゴリー:司法

著者   アレックス・マックブライド 、 出版   亜紀書房 
 イギリスの弁護士が書いた本です。イギリスの司法制度は日本とかなり違うのですが、日本とよく似ているところが多いのには驚かされます。
 イギリスの法曹資格には、バリスタ(法廷弁護士)とソリシタ(事務弁護士)の2種類がある。
 法廷でモーツァルトのようなかつらを被って弁護するのはバリスタで、ソリシタには弁論技はなく、バリスタの補佐役をつとめる。
 最近、この区別がなくなったように聞きましたが、この本では、厳然と区分されていることで話はすすみます。著者は刑事訴訟のバリスタです。
バリスタを目ざす者は、ロースクールを卒業したあと、面接や試験を経てチェンバー(バリスタの組合)の一つに見習いとして採用されなくてはならない。見習いとして薄給でこき使われる1年間の実務研修のあと、テナント(チェンバーに永久的に所属できる身分)になるには、大変な狭き門を通らなければならない。
法廷で当意即妙、丁々発止の弁論を行うバリスタの特質は政治家に求められる特質でもあるため、イギリスではバリスタ出身の政治家が多い。サッチャーとブレアは、ともにバリスタ出身である。
 バリスタが誰かを弁護するには、その人の言い分を受け入れなくてはならない。心でも頭でも受け入れるのだ。それは心理的な、そして倫理上のトリックである。彼らの立場になって、考え、信じる。たとえ、それがむかつくほどひどい話であっても。
バリスタの勝算は小さく、自分の技量だけを頼りに不安な確実性の中で生きている。だからこそ、勝算は自分を高めてくれる。勝利すると、抜群に気分がいい。そして、それなしでは生きられなくなる。勝利中毒になってしまうのだ。
 刑事訴訟のルールの絶対的な目的は「刑事事件が公正に扱われる」ことにある。この目的の重要な原則は、裁判のプロセスが、「罪なき者を無罪放免し、罪を犯した者を有罪にすること」である。罪なく者を無罪放免することと、罪を犯した者を有罪にすることのどちらかより重要だろうか。刑事司法制度は、この二つのうち、どちらかを選ばなくてはならない。
陪審員が有罪とするには、”おそらく”ではなく、確信する必要がある。
 陪審裁判には、派手で天文学的な報酬が得られる商法関連の事件(争議)にはない重要性や神秘性がある。陪審員なくして、真のドラマは生まれない。
 刑事裁判の法廷が面白いのは、さまざまな人間の姿こそが、そこでやりとりされる通貨だからだ。そこでは、半面の心理、悲劇、悲運、哀れな嘘、救いようのない愚かさ、底なしの強欲や、自己抑制の喪失が丹念に調べあげられる。
イギリスで刑事裁判が陪審裁判となるのは、過去200年のあいだに90%から今日の2%にまで低下した。有罪答弁すれば、陪審裁判ではなくなり、最大で量刑の3分の1が減らされる。
 著者が陪審裁判を好むのは、裁判官にはない独立性があるから。陪審員には、生活が陪審の仕事にかかっていないし、一生の仕事になる可能性もない。だから、批判や冷笑を受ける心配がなく判断できる。陪審員の頭はフレッシュで過去の経験にとらわれず、事実のみで判断できる。そして、何より法律家と異なり、法律の条文にとらわれていない。
 イギリスで刑務所人口が増え続けた過去10年間に、再犯率は下がるどころか、12%も上昇した。刑務所に入っている人間のほとんどが社会の割れ目から滑り落ちた最下層出身である。
 あまりにも日本と共通することに驚嘆するばかりです。
(2012年6月刊。2300円+税)

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