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チンパンジーは、なぜヒトにならなかったのか

カテゴリー:人間

著者  ジョン・コーエン 、 出版  講談社
人間とチンパンジーは、どれだけ違い、また、似ているのかを探った本です。
 チンパンジーは泳げないそうです。だから、深い池にはまってしまうと、おぼれ死んでしまうといいます。犬かきみたいなこともできないのですかね・・・。
 そして、チンパンジーは人間の好むマラソンのような長く走ることもできないそうです。
 チンパンジーは、肝炎にかからない。
母親になったばかりのチンパンジーは、1時間に22回も赤ん坊の目をのぞき込むことが分かった。
人間の赤ん坊は夜泣きする。しかし、チンパンジーの赤ん坊は絶対に泣かない。なぜなら、母親が常に一緒にいるから。
 チンパンジーの雌は、授乳するときしか胸(乳房)はふくらまない。
 ヒトの男子の精液1ミリリットル中の精子は6600万個。ところが、チンパンジーは、25億個にもなる。
人間の女性は排卵の時期と受精のピーク時を隠すように進化してきた。父親をあいまいにすることで、女性とその子どもたちが守られるようにしたいということ。
野生のチンパンジーの平均寿命は13年。飼育下では42歳くらいまで生きる。チンパンジーは、30歳になるころには、狩猟採集生活者よりはるかに死亡率が高くなっている。
チンパンジーは、大人まで成長したら、最後に子どもを産んでから数年ほど生き続ける確率は1%でしかない。
人間は閉経後のおばちゃんが子育てに関わっていることが特徴です。
 チンパンジーは、今や絶滅の危機にある。野生のチンパンジーは多くて23万頭、少なくて16万頭ほどになった。人間が木を伐採し、土地を耕すことで生息地を破壊し、分散させてしまい、その結果、近親交配が増えていることによる。
 ニホンザルが減ったという印象はありませんが、アフリカのチンパンジーは劇的に減っているようです。心配です。
チンパンジーと人間の異同は、もっともっと知りたいところですよね。だって、人間とは何者なのかを知りたいものですから。
(2012年9月刊。2800円+税)

ルポ・イチエフ

カテゴリー:社会

著者  布施 祐仁 、 出版  岩波書店
福島第一原発事故をマスコミは忘れたような気がします。でも、まだ依然として大量の放射能が出ているなかで、その後始末に大勢の労働者が働いているのです。その労働のすさまじい実情がほとんど報道されていません。この本は、その労働現場に迫っています。貴重な証言集です。
 僕らは被曝することを「食った、食った」と言う。作業が終わったあと、0.6(ミリシーベルト)も食っちゃったよ。キミは何ミリ食った・・・?
 これが原発現場で働く労働者の会話というのです。福島第一原発を「ふくいち」とも呼ぶが、原発作業員は「イチエフ」と呼ぶ。
 原発労働員の大半は日給月給の非正規雇用。
 2011年3月11日、フクイチには東電社員755人と下請け労働者5660人、合計6400人が勤務していた。
作業員が100人も並ぶ。というのも、免震重要棟に入るときには、なかに放射性物質を持ち込まないために、まず入り口でタイベックや全面マスク、ゴム手袋などを脱ぎ、そのあとに身体汚染のサーベイを担当する担当者が数人しかいないため、作業員が集中するとあっという間に行列ができてしまう。長いときは1時間近く、被曝しながら待たされる。
 ここでの食事は1日2食。朝食はビスケットと野菜ジュース。夕食は湯をかけて食べるアルファ米と野菜ジュースだけ。肉体労働で汗をかいてもシャワーを浴びるどころか顔を洗うこともできない。
 それでいて、もらう賃金は最高でも通常時の日当にプラス危険手当が10万円。大半は危険手当も数千円から1万数千円ほど。
 2011年5月23日まで、ホールボディカウンターによる内部被曝の検査を受けたのは、それまでに緊急作業に従事した7800人のうち1800人だけ。そして、内部被曝が1万カウントをこえた人が見つかった。それでも、誰も大騒ぎせず、そのまま、「どうぞ、お帰りください」と言われるだけだった・・・。
線量が高いため、作業は文字どおりの「人海戦術」で進められる。作業時間は、1班あたり30分。3回まで昇り降りする時間を差し引くと、現場で実際に作業できるのは、せいぜい10数分が限度。だから、大量の作業員を投入して、次から次へと交代して工事を進めていく。
 6次下請けで入っている経営者に5次下請けの会社が支払う日当は1人あたり1万8000円。そのうち、1万5000円を労働者に渡す。
 九州の原発で働く作業員の日当は1万4000円が相場だった。原発では、偽装請負は当たり前。しかも、実態は二重派遣、三重派遣。そして、中間に暴力団が絡んでいる。結局、そうしないと人が確保できない。
 東電が認めているのは三次までだけど、実際のところ、一番下は10次くらいまでいく。もし、完全に法人登録していないとダメとか、暴力団が絡んでいるのを排除しようとしたら、原発は成り立たない。放射性物質は、まだ漏れ続けているし、汚染水も地下水が流入してどんどん増え続けている。こんな状況で「収束」はありえない。
 「誰かがやらなくてはいけない」被曝労働が、これから数十年間にわたって続く。いえ、数十年では絶対に終わるはずがありません。何百年でもないでしょう。永遠に地球を汚染し続けるのです。原発、放射性物質を生みだすもとと人類の平和共存はありえません。
 今こそ、原発なんて直ちに「ノー」の声をあげるべきです。
 大変いい本でした。著者のご苦労に感謝します。
(2012年10月刊。1700円+税)

愛と欲望のナチズム

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  田野 大輔 、 出版  講談社選書メチエ
ヒトラーがなぜ独身だったのか、自殺する寸前に愛人のエヴァ・ブラウンと結婚したのはなぜなのか。そして、ナチス・ドイツは禁欲的生活を国民に強いていたのか・・・。いろんな疑問を次々に解明していく本です。
 ヒトラーは、女性について慰みもの以上の価値を認めていなかった。そして、恋愛や結婚も印象操作の道具程度のものと考えていた。
 多くの女性が私(ヒトラー)に好意を寄せているのは、私が結婚していないからだ。闘争期には、これが重要だった。映画俳優と同じだ。彼に憧れる女たちは、彼が結婚したら何かを失ってしまい、もはや彼は偶像ではなくなる。
 ヒトラーは、総統が民族に貢献する私心なき指導者であるというイメージを守るため、若い愛人の存在を国民の目から隠し続けた。
 ヒトラーは、高潔さを装う偽善的な姿勢をとり続けた。ナチス・突撃隊の幹部が粛清された1934年6月30日の「長いナイフの夜」は、隊長のエルンスト・レームが同性愛者であることは周知の事実で、ヒトラーもそれをながく黙認していた。しかし、突撃隊と国防軍の対立が表面化したとき、ヒトラーは政治的理由からレームを切り捨て、道徳的純潔の擁護者になりすました。
「健全なる民族感情」の代弁者をもって自認したナチズムは、疑いなくヌードの氾濫を黙認し、奨励すらしていた。ナチズムは、社会生活にはびこるエロティズムをユダヤ人の責任に帰することで、ナチス自身がそれを促進していた事実を曖昧にしていた。
 ナチス・ドイツでは婚前・婚外交渉が一般化していた。ナチ党が権力を掌握してから、警察は、街娼の摘発・逮捕を通じて「街頭の浄化」を進める一方、売春宿の営業を監視・規制することこそ警察の義務だとした。市当局も売春の存続に関心を払っていた。国防軍も売春宿を必要と認め、売春婦の逮捕は控え目にするよう求めた。
戦争が始まると、政府はただちに政令を出して売春の管理を強化した。国防軍は政令にもとづき、帝国全土および占領地域で軍用売春宿を次々に設立した。
 「公的な不道徳」の撲滅を唱えて売春の一掃に乗り出すかに見えたナチズムが、結局のところ売春の封じ込めと組織化に舵を切った経緯は、道徳的に純潔な体制という外観を守りつつ、実際には性欲の充足を奨励して、これを国家目的に動員しようとする狙いを照らし出している。
 ナチス・ドイツの支配の本質をえぐり出した本だと思いました。
(2012年9月刊。1800円+税)

中国革命と軍隊

カテゴリー:中国

著者  阿南 友亮 、 出版  慶應義塾大学出版会
1920年代、30年代の中国、広東省における党・軍・社会の関係を詳細に分析し、中国革命と軍隊との関係を根本的に問い直した意欲的な本です。450頁もある大部な本なので、読み通すのに、少々苦労しました。
 1980年代以降に復活した中国での現地調査において、共産党によって抜本的に変革されたはずの農村社会における伝統的人間関係の根強い生命力を示す事例が数多く発見された。そこで、共産党が実際にどこまで農村社会を変革できたのか、疑問の声があがった。
 農村社会における伝統的な人間関係の根強い生命力の発見は、共産党による社会変革こそが国民党を圧倒する原動力の源となったという従来の定説の見直しを迫るものであった。
 1930年代までの中国の軍隊は、基本的に生産から遊離した貧民・流民を主たる兵士の供給源とする傭兵軍隊であった。軍隊に応募した兵士の圧倒的多数は、失業・破産・貧困農民出身であった。
 困窮する農民は多く、兵士になろうとする人間も多い。こうして中国では徴兵制を広く実施する必要もなく、募集すればすむ。蒋介石の国民革命軍ですら、募集して得た兵隊であった。
 20世紀前半の中国ではほぼ無尽蔵に傭兵を供給し続ける困窮した地域社会という兵士の生産地、そして兵士に対して常に一定の需要をもっていた軍閥の傭兵軍隊という消費者によって巨大な兵士市場が形成されていた。
 中国の傭兵軍隊の兵士の大半は、独身の貧困農民であり、軍隊の募兵に応募する主たる理由は、毎日食事にありつくこと、一定の給金を得ること、掠奪を通じて一攫千金を狙うことであった。それらを通じて生存の確保と貧困からの脱出を図ることであった。
平均的な兵士は、大義名分や国家に対する義務よりも利益のために戦う傭兵的性格が強く、戦場でリスクを回避しようとする姿勢が顕著で、戦況が不利になると、兵士の脱走、降伏、敵方への寝返りが頻発した。
 兵士は、往々にして各級の将校が自らの責任で募兵したため、その将校と直接的利害関係をもち、忠誠心もその将校に向けられる傾向が強かった。つまり、中国の傭兵軍隊は最高司令官を核とする一極集権的組織ではなく、多極分権的性格が強かった。このため、個々の兵士の脱走のみならず、師団長や旅団長が部隊ごと敵に寝返るという行為が頻繁にみられた。
 20世紀前半の中国において膨大な数に達していた民間の自衛団体の構成員は、匪賊とともに、軍閥の軍隊にとって重要な兵士の供給源となっていた。
 1923年末から1924年初めにかけて、共産党は農民運動を党の指導下で武装化し、それによって農民の生活水準向上に立ちはだかる既得権益層の武力に対抗すると同時に、「革命軍隊」に農民を動員するための基盤を構築するという構想を打ち出した。
 1923年6月の大会以降、共産党は都市住民に加え、農民をも兵士の重要な供給源とみなすようになり、農民の制度的武装化に関する構想を展開していった。
 ところが、1923年の終わりころになると、共産党指導部は、既存の自衛隊団体と農民運動、土地改革などによる農民の「解放」(社会変革)とが両立しがたいという社会状況を認識するに至った。
 1924年、著しく統制を欠いた軍隊を抱えた孫文は、麾下の将兵が職務に殉じる覚悟に欠け、利害を重視して職分に違反することを嘆き、革命に従事するはずの麾下の軍隊と「軍閥」の軍隊とのあいだに目立った差異がないことを認めざるをえなかった。
 1924年7月、広州に農民運動講習所(第一期)が開講した。ここは農民自衛軍の士官学校であった。農民自衛軍の拡大は、広東社会の既得権益層の強い警戒と反発を招くこととなり、広東各地で既得権益層と農民境界との確執、既存の自衛団体と農民自衛軍との衝突が顕在化した。農民自衛軍の役割は、本来、村落の防御に限定されていた。
 国共両党の推進した農民運動の過程で組織された新たな民間武装団体の農民自衛軍と旧来の民団との抗争は、一見、社会変革に伴う摩擦を象徴しているようでありながら、実は往々にして宗族間の械闘の論理に支配されていた。
 国共両党が1924年以降、普及に努めた農民自衛軍が1927年に軍隊に編入され、一つの部隊として戦闘に従事したのは画期的なことであった。それは極めて限定的ながらも、民間武装団体を通じて農民を制度的に軍隊に動員するという1923年以来の共産党の軍隊建設構想が実現したことを意味した。
 1927年ころ、国共両党が民団はもちろんのこと、農民自衛軍に対しても必ずしも末端組織に至るまで十分な指導権を確立していたわけではなかった。
 1928年、海豊における土地革命は障害に直面し、遅々として進まなかった。土地の分配に対する農民の反応が共産党の予想よりも複雑で、土地革命は多くの時間と労力を必要とする困難な作業であった。土地の分配は、決して順風満帆ではなかった。
 土地の境界の破壊に関する農民の理解を得ることは非常に難しかった。それを一因として、土地の分配がなされたのは、狭い範囲に限定された。土地境界の破壊は、少なからぬ農民の思惑・利益に反していた。多くの自作農が頑強にこれに抵抗した。土地所有権の否定は、自作農の抵抗を招いた。そして、それには宗教の論理も作用していた。宗族の共有地である「族田」が多く存在した。他の宗族に属するよそ者に土地を渡したしたくないという心理も働いた。
 一部の宗族が共産党に味方する一方、他の多くの宗族が共産党に頑強に抵抗した。
 1928年1月の時点で、共産党は県内を平定して土地革命に着手するどころか、県城を失い、陸豊から駆遂される危機に直面していた。
 土地革命は遅々として進まず、住民の蒙った恩恵は均等ではなかった。公平を重視する農村社会では、これは重大な問題であった。このころ紅軍は戦うたびに小さくなり、戦うたびに弱くなった。陸豊では、反共産党の名のもとに不倶戴天の敵同士であった黒旗と赤旗との連携が進み、複数の宗族から白旗を掲げる連合軍(白旗)が形成された。海陸豊における共産党の勢力は多分に宗族の論理に依存していた。同地の共産党には、郷神や地主が相当数ふくまれていた。
 共産党は、社会変革して新たな武力を手に入れたのではなく、前から存在した武装宗族を活用した。このように、国共の相克は、実は清代以来の宗族間の抗争の延長という側面を有していた。
 土地の没収・分配や地域社会からの紅軍兵士の獲得は、現地の共産党指導部にとって始めての試みだった。そして、着手した時点では、農民の頑強な反対と抵抗に遭うことを想定していなかった。それでもたもたしているうちに国民党軍の襲撃を受けてしまった。
 このように、国共内戦期の土地革命は、少なからぬ障害・混乱に直面し、なかなか共産党の計画どおりには進展しなかった。
 なーるほど、そういうことだったんですか。土地革命の成功イコール共産党の軍事力の増強という図式は必ずしも現実を反映したものではないということです。刮目させられました。
 40歳の若手学者による貴重な労作です。
(2012年8月刊。6800円+税)

日本鍼灸へのまなざし

カテゴリー:人間

著者  松田 博公 、 出版  ヒューマンワード
息子が東京・西国分寺で鍼灸師として働いていますので、少しその世界をのぞいてみようと思って読んだ本です。どの世界も職業の奥は深いわけですが、この鍼灸の世界も歴史と底深さがありますね。私も、ときどき自宅で娘から灸をすえてもらっています。温かくて、ときに熱さも感じますが、とても気持ちのいいもので、心地よい眠りに入れます。
 韓国のテレビの「チャングムの近い」は見ていませんが、それにも鍼灸が出てくるそうですね。同じく「ホジュン」の方は、本だけは読みました。素晴らしい本でした。ぐいぐいと作中の世界に引きずり込まれていきます。
 この本を書いた著者は、私より年長の、元ジャーナリストです。岩波新書『鍼灸の挑戦』も書いているそうですが、そちらはまだ読んでいません。日本と中国、そして韓国の鍼灸治療の現場を比較しているところもあって、大変面白く読み通しました。
 『病家須知』という江戸時代(1832年)の本がある。そのころ、病者の療養や出産、老人介護は、すべて家族の暮らしの一部だった。武士にも「介護休暇」や「産休」が与えられていた。自分と家族の身体と心の健康は自分で守るのが当然で、専門家の支援を仰ぐのは、その後だという自立ケア社会が成立していた。
 うひゃひゃ、江戸時代って、今より進んでいるところもあったんですね・・・。
むやみに薬を使用するな。祈祷を僧侶や修験者に頼むのは、ほとんど無益なことだ。心から祈れば、神仏にも伝わり、感応がある。
 食欲・睡眠欲・色欲の三欲を管理する。
鍼も灸も、生体にとっては極くささやかな刺激、微細な情報である。それ自体が強引に治すというより、不断に働いている体のおのずからなる治癒作用を応援している。つまり、生体に活力があるかないかが、鍼灸の効果を作用する。
 病気を治す自然の力の働きは、心地よい肯定的な過程をとるとは限らない。むしろ逆。病気になると、からだは熱を発し、汗を流し、下痢、腹痛、嘔吐などを繰り返す。この苦しくて悩ましい症状は、第一義的には、細菌やウィルス、有害物質を排除し、無毒化しようとする身体の防御反応、治癒反応である。こんな症状があるからこそ治癒するとヒポクラテスはこう考えた。
 なーるほど、そういうことだったのですね。だから、熱発や下痢があったとき、それを無理して止めるのは身体にかえって良くないわけなんですね・・・。
 1991年にスイス・アルプスの山中で発見された5200年前の「アイスマン」には、右膝などに入れずみがあり、それは鍼治療のあとだと考えられている。シベリアのアルタイ山中の男性ミイラにも、背中と足首に入れずみがある。これも鍼灸のせい・・・。
脳が絶対的な支配者として人体に君臨しているという、脳は至高の帝王であるという身体観は、現代科学と医学のイデオロギーであり、思いこみである可能性がある。
 中国医学の五臓、肝・心・脾・肺・腎は、心の神気のコントロールを受けつつ、それぞれ独自に精神性と機能を分けもち、五行の相生相克の論理に従って、半自立的に他の臓器と関係しながら、全体として統合されている。
 境界たる皮膚のほうが、生命維持機能のみを考えた場合、脳より上位にあることも可能である。
日本鍼灸の蘇生が熱っぽく語られる本でもありました。
(2010年6月刊。3300円+税)

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