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忘れられた日本史の現場を歩く

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 八木澤 高明 、 出版 辰巳出版
 岩手県奥州市の山中に人首丸の墓碑がある。
 平安時代に、京都から坂上田村麻呂が大軍を率いて、東北地方を征服しようとやってきた。激しく抵抗していたのは蝦夷(えみし)と呼ばれる人々で、その首領はアテルイそして腹心のモレ。アテルイは地の利を生かして789(延暦8)年に始まった一回目の戦いでは大勝したが、794年に始まった二回戦では、ついに大敗し(801年)、アテルイとモレは投降した。坂上田村麻呂は二人を京都に連れて行き、助命を嘆願したが、アテルイたちの力を恐れる朝廷は、斬首を命じた。大阪の枚方市にある牧野公園にはアテルイとモレの首場が今も残っている。
 アテルイたちのあとに朝廷に立ち向かったのが人首丸。
 しかし、人首丸も806(大同元)年に朝廷軍によって打ち取られた。年齢は15歳か16歳。はるか遠くに北上川が流れる北上盆地が見渡せる山中に人首丸の墓石がある。
 私がアテルイなる人物を初めて知ったのは、高橋克彦の「火怨(かえん)」(上下。講談社)でした。アテルイの「遊撃戦」が生き生きと描かれていて驚きました。その後も、熊谷達也の「まほろばの疾風」(集英社)、樋口知志の「阿弖流為(あてるい)」(ミネルヴァ書房)、久慈力の「蝦夷・アテルイの戦い」(批評社)と続けて読みました。いずれも蝦夷を未開の野蛮人とはみていません。すごい人たちがいたものだと驚嘆しました。
長崎県の上五島の中通島には潜伏キリシタンが建てた教会がある。もちろん、江戸時代に建てられたのではなく、明治になって禁教が解かれてからのこと。
 上五島は、私が弁護士になった年(1974年)4月、日教組への刑事弾圧が全国的にあり、まだバッジも届いていなかったので、先輩からバッジを借りて出かけたという、思い出深いところです。
 著者は、日本史に登場してくるけれど、忘れ去られたような場所を訪ねて歩いたのでした。
(2024年6月刊。1760円)

アイヌもやもや

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 北原モコットゥナシ ・ 田房 永子 、 出版 303Books
 アイヌ民族と差別について、マンガをふくめて問題点が手際よく紹介されている本です。私自身も読んで大いに反省させられました。
 沖縄の人から見ると、九州・四国・本州の人々は「やまとうんちゃ(やまとの人)」です。同じように、アイヌ民族からすると「シサム」と呼びます。初めて知りました。
 日本は「単一民族国家」だとか「一民族一国家」という、アイヌ民族という少数民族の存在を無視した言い方をする人が少なくありません。これは、たしかに間違いだと私も思います。
 ちなみに、「奄美・琉球民族」という表現は、私には正しいものとは思えませんが…。
 在日コリアンを含めて、多数の外国人労働者が現に日本に存在していることも無視してはいけない現実です。私は福岡市内でフランス語を学んでいますが、そのフランス人講師は、フランスの歌手にもサッカー選手にも起源はフランス外の人が驚くほど多数いることを紹介していました。国際交流が進んで世界平和につながっていくことを私は願っています。ところが、今、ヨーロッパでは移民排斥を主張する極右勢力が支持を集めているという悲しい現実があります。
 1899年に制定された北海道旧土人保護法は、名称からして「旧土人」といういかにも差別的な法律ですが、アイヌの農耕民化・和風化をすすめるため、アイヌに農地が用意された。しかし、和民族に対しては1人あたり10万坪なのに、アイヌに対しては1戸(1人ではなく)あたり1万5千坪だけ。ケタ違いでした。
 1980年代、札幌市の高校で、社会科の教師が、「誤ってアイヌと結婚しないように」と言って、授業でアイヌの「見分け方」を解説した。信じられません。これって偏向教育そのものですよね…。
 マイクロインバリデーションとは、相手の感情、経験を排除・否定・無化すること。
 「北海道には歴史がない」とか、「開拓」「フロンティア」を礼賛するというのは、アイヌの歴史・被害の否定なのだ。そのとおりですよね。
 そもそも平安時代の書物(新撰姓氏録)を見ると、当時の貴族の10人に3人は渡来人だったし、平安京を開いた桓武天皇の実母は、百済(くだら。朝鮮半島にあった古代国家の一つ)の人だった。これは歴史的事実です。
 アイヌ人なんていないというのは、見ようとしないから見えないというだけ。なるほど、そのとおりです…。
(2024年6月刊。1760円)

キンダートランスポートの少女

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 ヴェラ・ギッシング 、 出版 未来社
 チェコ人の子どもたちが、ナチス・ドイツの侵攻直前に集団でイギリスに疎開して助かったという話の当事者が語った本です。
 先日、天神の映画館(KBCではなく、キノ・シネマ)でみた映画「ワン・ライフ」のパンフレットで紹介されていたので、至急とり寄せて読みました。
 チェコにいた1万5千人ものユダヤ人の子どもたちがヒトラーのユダヤ人絶滅政策によってホロコーストで殺害され、強制収容所から生還できたのは、わずか100人だけでした。
 ところが、ロンドンで村の仲買人をしていた30歳のニコラス・ウィントン(愛称はニッキー。元ユダヤ人)が、チェコに入ってユダヤ人の子どもたちをイギリスに集団疎開させる事業に取り組んだのです。大変な事務手続がいります。輸送費用もかかります。子どもたちを引き受けてくれるイギリス人家庭も探さなくてはいけません。それをニッキーは仲間と一緒にやったのです。
 ヒトラー・ナチスがチェコを併合する前の3ヶ月間にニッキーはやり遂げたのです。でも、最後の列車の便に乗っていた子どもたち250人は列車に乗り込んだものの、ついに引きずりおろされ、死に追いやられてしまいました。ニッキーは、自分たちの努力で助けた669人の子どもの存在を誇るというより、むしろ助けられなかった250人の子どもに申し訳なく、罪の意識を感じてしまい、戦後ずっと自分たちの行動とその成果を封印して生きていたのです。
 それが、1988年2月にイギリスのテレビ番組で取り上げられ、ついに世の中にニッキーたちの取り組みが知れ渡りました。助かった669人の子どもたちが、先日の映画では子や孫たちが増えて6000人になったとされていました。「シンドラーのリスト」や日本人外交官「センポ・スギウラ」の話とまったく共通します。
私は、ガザに侵攻したイスラエル軍の蛮行は、まさしく「ユダヤ人虐殺」と同じようなもので、立場を変えて「虐殺」が進行していて、今も止まっていないことを思い、涙が止まりませんでした。
 この本には、なぜチェコのユダヤ人の子どもを受け入れたのかと問われたイギリス人の答えが紹介されています。
 「私は自分が世界を救うことができないことも、戦争を止めさせることができないことも分かっていたけれど、人を一人助けることはできると思ったんだ」
 ニッキーはイギリスで棟の仲買人として安楽な生活をしていたのです。しかし、チェコに行って子供たちが危ないと思ったら、救助活動しなくてはいけないと思って行動を開始したのでした。もちろん、一人でやれることではありません。大勢の仲間と一緒にやったことです。
 でも、肝心なことは誰かが口火を切って動き出す必要があるということです。
 ウクライナもガザも戦火を止める必要があります。尖閣諸島が中国にとられないように日本が軍備を増強するのは仕方がない。そんなことを考えている問題ではないのです。むしろ、日本(政府)の行動こそ戦争を招いている。それを一刻も早く日本人みんなが自覚すべきだと、映画をみて、本を読んで痛切に思いました。
(2008年5月刊。2500円+税)

なぜ東大は男だらけなのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 矢口 祐人 、 出版 集英社新書
 私が57年前に東大に入学したとき、私のクラス(50人)の女性は2人でした。ちなみに、司法修習生になったときも、女性はクラス2人しかいませんでした。
 2年生のとき、東大闘争が始まり、クラス討論をするなかで2人の女性の志向が判明しました。1人は全共闘支持、もう1人は民青(共産党)支持でした。どちらも都内出身だったような気がします。民青支持の女性とは一緒に行動することも多くて会話もしましたが、全共闘支持の女性とは、ほとんど会話した覚えがありません。大学を卒業して30年ほどしてのクラス同窓会に全共闘支持だった女性は出席していました。東京都庁に就職して、それなりのポストを歴任したのだと思います(なかなかのやり手だったという印象が残っています)。
 東大の女子学生の比率は2割。しかし、東大だけではなく、京都大学も同じ。国立大学の女性比率はどこも4割に達していない。学部でみると、女性の比率がもっとも高いのは教育学部で45%。文学部は28%で、法学部は23%。
 昔も今も東大に入るのにはお金がかかる。天性の才能だけではなかなか合格できない。テストに向き合う技術、それに関連する情報へのアクセス、両親と教師の理解と支援、それらを支える資金が必要。東大入学の上位高校には中高一貫が多い。そこは年間100万円ほどの学費、このほか寄付金を求められる。
 東大は女性の入学を1946年まで認めていなかった。NHK朝ドラの「寅子(ともこ)」が明治大学に入学できたのは昭和のはじめでしたね…。
 そして、今、東大は学費を年10万円も値上げしようとしています。とんでもないことです。これは東大がけしからんという前に、国の文教政策が間違っていることによるものです。軍事予算のほうには何兆円も惜し気もなく、湯水のように使うのに、肝心な人間の育成には「お金がない」と称して出し惜しみするから、こうなるのです。
 大学生の授業料は無料にし、むしろ生活費を支給(貸与ではなく)すべきなのです。
 これは夢物語でもなんでもありません。ヨーロッパでは国の発展のために必要な投資としてやっていることです。いわゆる「人材育成」は自己負担とし、何の役にも立たない軍事予算には権限なくムダづかいする。こんな支出構造は変える必要があります。
 それにしても、東大生の政党支持率のトップが自民党だと聞いて、耳を疑いました。なんで、あんなデタラメ放題の政権党を若い人たちが支持するのか、信じられません。
ともかく、東大に限らず、大学ではもっと自由に伸び伸びと研究できる環境を早急につくり上げないと、日本という国の将来は真っ暗ですよ。多様性の確保こそ発展の保障なのです。
(2024年2月刊。1089円)

中国農村の現在

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 田原 文起 、 出版 中公新書
 これは面白い本でした。中国については相当数の本も読み、何回か行ったこともありますので、それなりに分かったつもりでいましたが、実はまったく分かっていないことをこの本を読んで、よくよく自覚しました。
 韓国の、かの有名な「爆弾酒」ほどではありませんが、中国の宴会には酔いつぶれるまで乾杯を繰り返す儀式があります。私はそんなことはしたくありませんので、そんなときは、全然飲めないことにして逃げます。実は少しは飲みたくても、ガマンするのです。
 中国官界の宴会には、表向きの賑(にぎ)やかさの裏に、言外に秘められた意味がある。村幹部を含め、現代の「官場」に生きる人々は腹芸に長(た)けた役者であり、タヌキでもある。つまり派手な宴会にしておいて形式的に歓迎を表明しておくと、相手の本意を察した客人は気持ちよく引き上げてくれるだろうということ。だから、そんな腹芸を知らない、うぶな日本人は宴会の翌日、みんなが歓迎してくれていると思っていると、あわわ、まだここにいたの…という反応に出会うというのです。こんなこと、日本では考えられませんよね…。
 農村地帯に住む人々は、大都市の住民と自分たちを比べることはしない。あくまで身近な村人とのあいだで比べて競争する。なので、4階建の家が村のあちこちに次々に建つ。1階は物置きにして、2階に住む。3階と4階は、子どもたちが戻ってきたら、そこに住まわせる。それまでは内装せず、コンクリート打ち放しのまま。
 家は巨大であり、勇壮であり、豪華なものでなければいけない。周囲が4階建の家なのに、自分のところは3階建てというのは「面子(めんつ)を失う」ことになる。こうやって、村から大勢の人々が都会に出稼ぎに出ているところでは、次々に4階建の家が立ち並んでいく。
 中国で分家になるのは、日本と違って、本家が優位に立つことはない。あくまで兄弟間の徹底的な平等の関係が前提であり、兄弟は親の財産を公平に分配する。
 中国では古い古い昔から戦乱の時代が続いたため、非常に流動性の高い社会であった。ここが、日本社会と決定的に違います。日本には地縁的なムラ社会が古くからありましたが、戦乱に明け暮れた中国には、そんなものはありません。では何があるかというと、血縁。安全保障の最後のよりどころは血縁だったのです。すると、どうなるのかというと、血族の中の誰かが出世すると、その人は一族を援助する「道徳的義務」を負うのです。
 もちろん、これは日本にもないわけではありません。でも、韓国や中国ほど一族(血縁関係)に尽くすということはないように思います(私個人もそうですし、私の周囲にも見当たりません)。
 若い農村出身者にとって、大都市は憧れの対象ではあっても、自身との「引き比べ」の対象ではない。都市は働くだけの場所でしかない。
 伝統的な中国の農村には「村八分」はなかった。血縁にもとづく実力関係のほうが大事であり、地縁的な共同体が存在しなかったので、「村八分」というのは村民の行動を制御する力にはなりえなかった。
自分に関係のない人間と付きあうのは面倒くさい。これが家族主義者である中国村民の心情を的確に代弁している。
 中国の農村地帯に入り込んで聴き取りすることの難しさがひしひしと伝わってくる本でもありました。
(2024年2月刊。960円+税)

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