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マッキンゼー

カテゴリー:アメリカ

著者  ダフ・マクドナルド 、 出版  ダイヤモンド社
マッキンゼーとか大前研一と聞くと、私には「金の亡者」というマイナス・イメージしかありません。世の中、すべて、お金。カネ、かね、金。お金がすべてを決める。いやですね、そんな世の中って・・・。
マッキンゼーには、オフィスや役員室を占領している、成功を収めた同窓生(アラムナイ)立ちのネットワークが世界中の隅々まである。
 マッキンゼーで年配のコンサルタントは、めったに見かけない。この組織は経験より若さを好む。
マッキンゼーは、価値があるのか疑わしい仕事に対して莫大な手数料をとっている。現実には、単に重役の仕事をしているだけ。
過酷なコストカットのために正当な言い訳を求めている経営者たちにとって、マッキンゼーは頼りになるコンサルタントであるばかりでなく、責任を負わせられる都合のいいスケープゴートである。
 問題は、マッキンゼーの高価な費用は、果たして、本当に見合っているのか。それは難問だ。
コンサルタントは見かけがあってこそ成り立つもの。コンサルティングとは、学位の証書からは分からない能力を、服装やマナー、言葉づかいという外見によって伝えるもの。
 マッキンゼーは、自分たちは企業の最高責任者のためだけに働くのであって、下役たちには用がない。要するに、マッキンゼーは、あくまでも経営者のために働くもので、労働者のためにはならないのですね。この本を読んで私が理解したことは、これでした。よく分かりました。だから、費用も超高額なのですね。
 マッキンゼーは、人材開発をうまくやっている。わずかな金額で若くて未経験な人材を雇いそれからクライアントの費用で教育させる。
ハーバード大学の卒業生にとっても、マッキンゼーへの就職が一生の仕事になることはめったにない。
 多くのコンサルタントは、1年に最大で2000時間分の報酬請求ができる。
 マッキンゼーを雇ったクライアントが、彼らにはその価値がなかったと明言することは、ほぼない。
 これという「商品」のないマッキンゼーにとっては、関係がすべてだ。
 賢明なクライアントは、マッキンゼーを使う最善の方法は入り込ませないことだ。
 マッキンゼーは、自信がすべてだ。成功の秘訣は、成功しているようにふるまうこと。
 マッキンゼーが成功したもう一つの理由は、世界中の経済界に同窓生と友人を送り込んだことにある。
 マッキンゼーは、あの最悪の悪徳企業エンロンからなんと年間100万ドルももらっていたのに、無傷で生きのびたのでした。マッキンゼーは、エンロンで稼いだだけでなく、エンロンを崇拝の対象に押しあげて、その福音を伝えて、「石油企業家」を称賛した。マッキンゼーは、不正な手段で成長していたエンロンを事実上誇大宣伝した。
 ところが、マッキンゼーは、刑事でも、民事でも、被告人になることはなく、議会公聴会に社員が証言を求められることもなかった。これには、業界関係者の多くが憤慨した。
マッキンゼーって、大企業と経営者のためのコンサルタント会社と経営者のためのコンサルタント会社だということがよく分かる本でした。
 コストカットって、要するに、冷酷な人減らしですよね。でも、それだけで企業が発展するとは、とても思えません。
(2013年11月刊。2400円+税)

大人のための「恐竜学」

カテゴリー:恐竜

著者  土屋 健 、 出版  祥伝社新書
アメリカにはダイヤモンド公園という広大な公園があって、ダイヤモンドを土なかから探し出すことができるそうです。私は、そんなところに行くより、カナダのアルバータ公園とかにいって、恐竜の発掘現場に行きたいです。日本でも天草とか福井県に恐竜がよく発掘されているところがあります。ぜひ一度、現地に行ってみたいものです。
 今のところ、残念ながら、恐竜とのご対面は上野の東京科学博物館くらいです。
 宮崎の成見弁護士は私の尊敬する先輩ですが、各地の恐竜展には欠かさず行くようにしているとのこと。うらやましい限りです。
 この本は、今さら子どもには訊けない、最新の恐竜学が解説されています。
 恐竜は鳥盤類と呼ばれる動物たちと今の鳥類をふくむ竜盤類と呼ばれる動物たちから成る。両方とも陸上を歩いた爬虫類である。
恐竜とは、体の下に足がまっすぐのびた爬虫類。
 鳥類は恐竜の一部である。クビナガリュウや翼竜は恐竜ではない。
 恐竜は、短くとも6600万年という途方もない時間を経て化石になっている。
 この化石化の過程はまだ明らかにされていない。
恐竜は二足歩行型の方が、四足歩行型よりも足が速かったとみられている。
 ティラノサウルスは、陸上動物史上まれにみる高度な肉食動物だった。そこで、肉食恐竜をこえるものとして「超肉食恐竜」と呼ばれている。
恐竜は肉食、植物食、雑食といろいろいたが、多くの恐竜は基本的に植物食だった。
 多くの恐竜の寿命は30歳前後。
 小型の恐竜は内温性だったのではないか。大きな竜脚類の恐竜は外温性。このように、一概に恐竜をどちらかに決めつけてしまうのは難しい。
 恐竜は2億年近くも、この地上にいた巨大な生物体です。人類とは共存できそうもありませんが、ロマンをかきたてられる存在ですよね。
(2013年10月刊。780円+税)

剣術修行の旅日記

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  永井 義男 、 出版  朝日新聞出版
江戸時代は、現代日本の私たちが想像するほどには閉鎖的でも、固定的な社会でもなかったことがよく分かる本です。
 20歳前後の佐賀藩の若者が、諸国へ武者修行の旅に出かけ、行き着いた先で当地の人々と親しく懇親を深めていたのでした。
 この本の主人公は佐賀藩の二刀流の使い手の若き武士です。幕末の2年間、東京(江戸)はおろか、遠く東北は秋田まで出かけています。青年武士の名前は、牟田文之助高惇(たかあつ)。鍋島家の家臣です。
 文之助は訪れた藩のほとんどの藩校道場でこころよく受け入れられ、思う存分に、他流試合をしている。しかも、夕方になると、文之助が宿泊している旅籠屋(はたごや)に昼間、道場で立ち会った藩士らが次々に訪れ、酒盛りをしながら歓談している。そして、出立を延期するように懇願され、地元の名所旧跡や温泉に案内された。
牟田文之助は鉄人流の免許皆伝を得ていた。鉄人流は宮本武蔵の二刀流の流れを汲む。牟田文之助は、嘉永6年(1853年)8月、藩から諸国武者修行の旅を許可された。ときに24歳(満22歳)。佐賀藩は、「文」では優秀な者を各地の漢学塾や蘭学塾に留学させていたし、「武」では剣術や槍術にひいでた者に諸国武者修行をさせていた。
 江戸時代の教育は文武とも基本的に家庭と個人のやる気にまかされていた。
 諸藩に藩校ができたのは、ほとんど江戸時代の中期から後期にかけてだった。
 御家人でも読み書きができない人もいた。無教養な幕臣は多かった。剣術の稽古など、一度もしたことのない幕臣は多かった。
 全国諸藩のなかでも、佐賀藩の藩士教育の充実は際立っていた。
剣術流派は、わずか3、4流が江戸時代になって次々と枝分かれし、江戸末期には700流以上にまでなった。
 江戸時代の中期に、竹刀と防具という画期的な道具が工夫され、剣術は飛躍的に発展した。竹刀と防具の採用で試合形式の稽古、うち込み稽古ができるようになり、剣術はがぜん面白くなった。人々は初めてスポーツの面白さに目覚めた。画期的な娯楽の登場だった。当時は娯楽が少なかった。
 江戸においては、剣術道場は当時のベンチャービジネスだった。剣術で頭角をあらわすのは、武士の家に生まれること、武家の血筋であることはまったく無関係だった。もって生まれた才能と、その後の努力で決まった。
 諸藩は藩士が武者修行にでるときには、手当を支給していた。ただし、旅費は出るものの、交際費までは出ない。許可が下りると、藩から修行人に手札が渡される。手札は藩の身元保証書で、いわばパスポートである。この手札を示さないと、藩校道場は修行人を受け入れなかった。
 修行人宿には無料で泊まれた。藩相互に修行人を優遇する慣例ができあがっていた。
 諸藩の藩士の諸国武者修行は、当時の旅行業界にとって大きな市場だった。修行人は年間を通じて大切な顧客だった。ただし、当地で武者修行の実績のない修行人は普通の旅人扱いとなり。有料となった。
 武者修行の実態は他流試合ではなく、他流との合同稽古だった。衆人環視のなかで勝敗が明らかになるような他流試合はしなかった。大勢の修行人が諸国を、遍歴していた。
 そして、気に入ったら、そこに何日も何週間も、果ては1ヶ月以上も長滞在することがあった。そして、現地の人々と親しく交流していた。
このように、藩の垣根をこえた交流があっていたわけです。この日記を書いた文之助はその後、明治になって佐賀の乱に加わり、懲役3年の刑を受けています。明治23年に61歳で亡くなったというのですが、詳しいことは分かっていないようです。
 それにしても、幕末に、このように伸び伸びと諸国を遍歴して武者修行をしていた青年武士がいたなんて、驚きますよね。江戸時代のイメージが一新しました。江戸に関心のある人には一読を強くおすすめします。
(2013年8月刊。1600円+税)

霧社事件

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  邱 若龍 、 出版  現代書館
1930年(昭和5年)10月、日本統治下の台湾の山岳地帯で起きた先住民(タイヤル族)の放棄とその顛末が台湾人によって劇画となっている本です。
 この霧社事件については、既にいくつかの本を紹介していますし、最近は映画も見ていますので、私にはイメージがよくつかめますが、映画を見ていない人には、ぜひこの劇画を読んで山岳地帯とタイヤル族の生活、そして蜂起にいたる日本の圧政をイメージをつかんで実感してほしいと思います。
 タイヤル族は、台湾の先住民のなかではもっとも広範囲に分布し、強い民族性をもっていた。顔の入墨(いれずみ)と首狩りは民族の戦闘性の象徴となっていた。主として焼き畑と狩猟で生計を立てていた。ところが日本統治下では、山地は官有林として没収され、首狩りはもちろん厳禁、銃も奪われた。
 反抗事件が次々に起きたが、ことごとく圧倒的火力を有する日本軍によって制圧された。
 タイヤル族において入墨は個人の成長や能力を社会が認知したしるしとして重要な意味をもっていた。それがあることによって結婚も許されるのである。
 入墨がない者は、永遠に子ども扱いされる。入墨をするには、女子であればきれいな布を織れることが必要。男子であれば少なくとも敵の首を一つ持って帰ることが条件である。
いやはや、これはすごい民族ですね。でも、人を殺して一人前というのは、アメリカでも同じようですよ。少なくとも、ベトナム戦争のころ、徴兵制のあったアメリカでは一人前の男は人が殺せることという不文律があったということです。たしかに、アメリカ人はいつまでも国の内外でよく人を殺していますよね・・・。
日本人が大勢集まる運動会に狙いを定めて、一斉に襲いかかり、日本人だけを老若男女、ほとんど全員殺してしまったというのが霧社事件です。そのなかには、日頃お世話になっていたはずの日本人医師までいたといいますし、日本人の子どもまで助かっていないのですから、それほど日本への憎しみは激しかったのです。
 300人のタイヤル族の青年たちが4000人もの日本軍を相手に1ヶ月以上も戦ったのでした。日本統治下の台湾で起きた事件として忘れてはならないものだと思います。
 ネットで見つけて、アマゾンで購入しました。
(1993年4月刊。1700円+税)

戦国大名の「外交」

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  丸島 和洋 、 出版  講談社選書メチエ
外交というと、国家間の交渉というイメージですよね。戦国大名が「外交」していたというのは、ちょっと変ではないですか・・・。でも、著者は変ではないと言います。
戦国大名は、一つの「国家」だった。戦国時代は、日本という国の統合力が弱まり、戦国大名という地域国家によって、列島が分裂していた時代なのだ。うーん、そうなんですか・・・。
 今川義元は、「ただ今は、おしなべて自分の力量をもって国の法度(はっと)を申し付け、静謐(せいひつ)することなれば」と、高らかに宣言している。
 紛争当事者の双方が中人(ちゅうにん。いわば仲人)と呼ばれる第三者に問題解決を委託し、中人の調停によって和解するという中世の紛争解決方法を中人制と呼んだ。
 このとき、起請文(きしょうもん)の交換が重要な意味をもつ。起請文は、前書(まえがき)と神文(しんもん。罰文=ばつぶん)からなる。起請文には、花押に血判がすえられることが多い。血判は指先に傷をつけて、血を花押の上に滴(したた)らせる。
 秀吉は、戦国大名間の戦争の本質は、国境紛争にあると理解していた。
国境あたりの国衆は、「両属」(りょうぞく)や「多属」を余儀なくされた。つまり、隣接諸大名に同時に従属することで、自領が戦場になることを避けようとした。
 同じように国境付近の村落は、「半手」(はんて)という知恵をつかった。半手は、「半納」「半所務」(はんしょむ)とも呼ばれ、敵対する大名双方が、国境の村落の中立を認めるもの。だから年貢については、両方の大名に半分ずつ納める。これって映画「七人の侍」を思い出しますよね。百姓はしたたかに生きていたのです。
大名同士でとりかわす外交書状には厳密な作法が存在した。書札礼(しょさつれい)というのは、どのような書式で書状を書くかによって、自分と相手方との政治的、身分的な差異を表現する。
「書止文言」(かきとめもんごん)には
対等な相手に書状を送るとき・・・・、恐々謹言
目上には・・・・・、恐惶謹言
目下には・・・・・、謹言
さらに身分の低い相手には、書止文言はなく、「候也」と書く。
 草書で字体を崩して書くよりも、行書さらには「真」で書いた方が厚礼である。
 もっとも丁重されたのが、相手に直接書状を送らず、その家臣に宛てて書状を送るということ。形式上の宛先は相手の家臣である。こうやって、ひそかに意思が伝達されていた。
 側近だけでも外交交渉が可能でありながら、一門・宿老を起用せざるをえなかった。これは、戦国大名の特徴の一つである。
 「路地馳走」(ろじちそう)とは、領国に達するまでの「安全な」交通路を軍事外交上のさまざまな手段をつかって、確保したどり着いた使者などについて宿舎などの手配をして、本域まで送り届けること。
 戦国大名の外交において、外交官である「取次」は不可欠な存在である。交渉相手に深入りをしてしまうという危険性をもっている。
戦国大名が「外交」していたという指摘に驚かされました。
(2013年8月刊。1700円+税)

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