法律相談センター検索 弁護士検索

消えた子ども社会の再生を

カテゴリー:社会

著者  藤田 弘毅 、 出版  海鳥社
今の子どもたちは本当に可哀想です。子どもは子ども同士で群れをなして遊ぶのが一番です。私は団塊世代ですから、子どものころどこもかくこも子どもだらけでした。陰湿ないじめを受けたことはありません。なにしろ1クラス50人ですから、いくつものグループがあって、併立(共存)できていたと思います。
 この本に出てくるコマまわし遊び、メンコ(私のとこはパチと呼んでいました)も、芸術的な極みに達する遊びになっていました。異年齢集団で行動するのがあたりまえでした。ガキ大将というほどのことはありませんが、なんとなく、いつもリーダーがいました。
 この本は、子どもたちが大人に頼ることなく、子どもだけの集団遊びをつくり出していく苦労が明らかにされています。そして、そのことに案外、親が無理解だという点もしっかり指摘されています。
 この本の出だしは、あまりにもあたりまえのことばかりで、面白くないなという気分になりました。ところが、具体的な実践面になると、そうだよね、そうだろね、という記述が登場してきて、およばすながら私も応援したくなってきました。舞台は太宰府の公園です。
 いま、ボランティアを募集しても、集まらない。
 うーん、そうなんだー・・・。今の子どもたちは、遊ばせてくれるのを待っている。異年齢のつながりは、自分たちでつくれない。子どものリーダーがいないので、大人にかまってもらいたがる。ガキ大将がいらないのが原因になっている。子どもたちは二分化している。一方に、いろんなことに意欲をわいていて、学校の成績もよく、さまざまなことに参加する、目立つ子。もう一方は、新しことに意欲がもてず、ゲームばかりしていて、親が提示することをいやいやながらしている子。大学生のボランティアは、大人が遊んでくれただけで、子ども社会をつくるためには役に立たない。
 うへーっ、私は40年前の大学生のころセツルメント活動をしていましたが、そんな指摘は受けたことがありません・・・。時代が変わったのでしょうか?子どもたちが真剣になるのは、競いあうとき。そして、その場の一番強い人に、承認を求める。とくに男の子は承認してもらいたいという本性がある。
 この承認を与えるのが、ガキ大将の役割の一つである。昔の子ども社会では、大きい子が教えることもあったが、ほとんどは小さい子が大きい子のやるのを見て真似ていた。
 子ども社会で認められることが大切なことだと分かると、いちいち大人に報告に来ることはなくなる。そして、自立心、社会性が身につく。大人って仕事ができる人は、自立心、創造性、社会性など、人間としての基礎的な能力を備えた人。
 子どもたちの集団遊びの大切さを改めて分からせてくれる本です。
(2013年4月刊。1500円+税)
 周囲の田んぼの稲穂が重く垂れています。週末の稲刈りがあるところも多いようです。紅い彼岸花は盛りを過ぎました。アキアカネが飛びかい、モズの甲高い鳴き声が聞かれます。
 わが家の庭は、いまピンクと朱にいろどられています。ピンクは芙蓉の花、朱は酔芙蓉です。朝のうち純白だった花が午後には朱に染まります。まさしく酔った感じになるのにいつも心を打たれます。
 チューリップの球根がホームセンターで売られています。これからチューリップを植えつける準備をします。

刑事弁護プラクティス

カテゴリー:司法

著者  櫻井 光政 、 出版  現代人文社
新人弁護士養成日誌というサブタイトルのついた本です。著者の長年にわたる活動実績と熱意には本当に頭が下がります。
 「季刊・刑事弁護」で連載されていましたので、このうちいくつかは読んでいましたが、こうやって本になって改めて読んでみますと、その指導のすごさが実感できます。そして、厳しい指導を受けて大きく成長していった新人弁護士は幸せです。
弁護人は被告人の良き友人になろうとする必要はない。被告人も友だちがほしくて弁護人を依頼しているのではない。だから、人間的に立派な人だと思ってもらう必要もない。被告人の弁解を十分に聞いて、法律的にきちんと主張すること、捜査官、裁判所に手続を守らせること、そのための努力を払えば、被告人は弁護人を弁護人として信頼するはずである。弁護人としては、それで十分である。
生まれ育った境遇も現在置かれている立場もまったく異なる被告人と弁護人との間の信頼関係は、所詮そこまでのことと心得るべきである。弁護人も報酬の多寡はあるけれど、仕事でのつきあいなのだから。
「先生のおかげで生まれ変わりました」などと言っていた被告人が数ヶ月後に同種事犯で逮捕され、「また先生にお願いしたい」などと連絡してくるのは驚くほどのことではない。そんなことで「自分の努力は何だったのか」などと嘆く弁護人がいたら、その思い上がりこそ戒められるべきである。弁護士が「お仕事」で数ヶ月つきあっただけで、人は生まれ変わったりはしない。一般的に言えば、接見回数が多すぎることによる弊害は、少なすぎることに比べて、はるかに少ない。
私自身は、1回の面会時間は少なくして、なるべく回数を重ねるように心がけています。この本にも、接見時間が4時間とか、とても長い新人弁護士の話が出てきますが、1回にあまりに長時間かけるのは他人(はた)迷惑(別の弁護人が接見できなくなることになります)でもありますし、仕事として効率的でもありません。
たとえ新人だろうが、バッジをつけたら一人前の弁護士だ。自分の責任で事件に対応しなければならない。困難な問題に突きあたったときに、先輩弁護士に意見を聞くのはよい。しかし、最初に何をしたらよいのか分からないようなときは、明らかに自分の手にあまるのだから、そのような事件を受任すべきではない。一つひとつが生の事件であることを忘れて、あたかも単なる学習教材のように接する姿勢があるとしたら、たいへんな間違いである。
情状弁護においては、被告人が再び罪を犯さないようにすることを大きな柱のひとつに据えている。目先の刑の長短よりも、その後の被告人の立ち直りのほうが、被告人のためにも、ひいては社会のためにも重要だと考えている。そのための努力を惜しまないことが、弁護士の矜持だと心得ている。
この点は、私もまったく同感です。被告人に対して、なるべく温かく接して、社会は決してあなたを見捨てていませんよ、というメッセージを送るのが私の役目だと考えています。
裁判所により仕事をしてもらおうと思ったら、弁護士は手を抜いてはならない。
この指摘は私にも大変耳の痛いものがあります。大いに反省させられます。弁護士生活40年になる私がこうやって新人弁護士養成日誌を読んでいるのも、初心を忘れないようにするためなのです。ありがとうございました。
(2013年9月刊。1900円+税)

憲法問題-なぜいま改憲なのか

カテゴリー:司法

著者  伊藤 真 、 出版  PHP新書
著者は、自分のことを護憲派だと思ったことはないと言います。
 ええーっ、だって・・・と思うと、次の言葉で救われます。なるほど、なるほど、です。
 自分のことを改憲派でもなく、「立憲派」だと思っている。
 著者が現憲法にも変えたほうがいいという点も示唆に富んでいます。たとえば、こうです。
 現憲法は人間中心であるがゆえに、動物や植物に、さらにいうと地球と共生していくという視点がない。地球環境に言及する条項もあっていい。なーるほど、ですね。
 しかし、憲法の基本から逸脱すると、憲法で社会を良くするつもりで改正したのに、逆に悪くなってしまったという自体を招きかねない。
 604年に聖徳太子が制定したといわれる十七条の憲法にも、立憲主義の考え方が隠れている。「官吏は賄賂をとるな」(5条)、「任務をこえて権限を濫用するな」(7条)、「国司や国造は人民から勝手に税をとるな」(12条)という条項には、国民を守るために国家権力を縛ろうという意図が込められている。
 このように、マグナ・カルタより600年も早く、日本には国家権力を縛る考え方が存在していたわけである。
ちなみに十七条憲法でよく紹介されている「和をもって貴しとなし」というのは、このころあまりに争いごとが多くて裁判が増えすぎたので、いい加減にしろ、もっと仲よくなりなさいというものであって、日本人が仲良くしていたというのではありません。誤解しないようにしたいものです。
安倍首相と自民党の96条改正先行論は、改憲の「裏口入学」であって、真の目的は戦争放棄を誓った9条の改正にある。
 自民党改憲草案の前文には、日本は「天皇をいただく国家であって」としている。これは、国民の上に天皇がいて、権威のある天皇に国民が従属しているという構図を想起させる。そして、改憲草案の前文第二段には、日本が戦争加害者になったことに触れていない。
 夫婦同姓が日本の伝統的な家族のあり方だというのは誤解。夫婦同姓がスタンダードになったのは、明治以降のこと。それまでは夫婦といえども別姓があたりまえだった。有名な北条政子は源頼朝と結婚しても名前は変わっていない。
 個人の尊重は、立憲主義にもとづく憲法の根底にある大事な考え方である。人間を身分や制度から解放して、かけがえのない個人として尊重しようとするもの。一人ひとりが多様に生きていることこそがすばらしい。それが個人の尊重の意味。ところが、自民党の改憲案は「個人」から「個」をとって、「人」とした。「個」をとったということは、人を自立した個人ではなく、「人」という集団としてとらえているということに他ならない。
 人を個人として扱われなくなれば、個人としての責任も曖昧になる。
人々が苦労して発展させてきた立憲主義の歴史をふまえたとき、時代の針を巻き返すような自民党の改憲案を認めることが、はたして正しいことなのかどうか、ぜひ考えてほしい。
 わずか250頁の新書ですが、最新の知見と論点を盛り込んで改憲論の問題点をじっくり考えさせてくれる本になっています。一読をおすすめします。
(2013年7月刊。760円+税)

リンパの科学

カテゴリー:人間

著者  加藤 征治 、 出版  講談社ブルーバックス新書
リンパとは、血管から周囲の組織に漏れ出た成分である「組織液」を吸収したもので細胞成分(主にリンパ球)と液体成分(リンパ漿)が生まれる。
 リンパ官系の源流は、組織液を吸収する毛細リンパ官である。
 心臓という「ポンプ」をもたないリンパ管では、からだの位置(重力)や姿勢によって、リンパ管周囲の筋肉などの組織が動くことにともなって受動的な管壁の収縮が生じ、くねるような蠕動(ぜんどう)運動をしたり、弁の開閉によってリンパが行ったり来たりする振り子運動などによって運ばれる。
 リンパは、リンパ節内でいろいろの生体反応を起こしながらも、やがて静脈に合流するまで流れ続けていく。リンパは、いくつもの細いリンパ管が合流した集合リンパ管に集められ最終的には血管に入って血液に戻る。
 リンパは血清に比べて、総タンパク量が少ない。リンパは分子量の低いアルブミンのほうが、グロブリンより60%多い。リンパのほうが、血液より粘土製が低く、さらさらで流れやすいため、ゆっくり流れていても循環できる。
 リンパ管を流れるリンパの中の血球をリンパ球と呼ぶ。
 リンパは、その大部分が液体成分であり、赤血球をほとんど含まないため、薄い黄色である。リンパの中にある血球は白血球であり、その大多数がリンパ球である。リンパが身体中を一周して元に戻るまでには、12時間かかる。リンパの流れを手助けするためには足首をぐるぐる回したり、ふくらはぎをもんだりするのが効果的。
 胸管やリンパ節の輸出リンパ管内のリンパは、免疫担当細胞である多数のリンパ球を含んでおり、全身をめぐって、局所の臓器における免疫反応に働いている。
 リンパ節から胸管に流れるリンパは、免疫反応を起こすための免疫担当細胞の供給という観点から欠くべからざる存在である。
 リンパ組織は、体内における警備室のようなところで、細胞や異物などの抗原が入ってくると、まず警備員として最前線で働くマクロファージ(大食細胞)がそれらを取り込み、その情報がリンパ球に伝えられる。細胞にとりこまれた抗原は、リンパ管内のリンパに乗って、近くのリンパ節に運ばれる。リンパ節内では、「免疫戦争」(抗原-抗体反応)が起こり、特異的な抗体(タンパク質)が産生される。そのときリンパ節の肥大(ぐりぐり)が確認できる。
 大切な人体内のリンパのことを知ることのできる本です。
(2013年6月刊。900円+税)

ぼくらの文章教室

カテゴリー:社会

著者  高橋 源一郎 、 出版  朝日新聞出版
文章というのは、それを書いた人の「顔」ではないか、と思えてくる。
あえて、ここには紹介しませんが、この本の冒頭にある短い文章は、まさしく、その典型的な例証だと思います。
 アップルのスティーブ・ジョブズの話も紹介されています。私は『驚異のプレゼン』という本を読んで知っていましたが、なるほど、すごい文章です。ともかく、思わず身体がぐらぐらと揺さぶられるほど、心がうたれます。
 毎日毎日、何の変哲もない単調な作業の続く労働現場にも、見方をちょっと変えると、モノカキの大いなる題材がころがっている。要は、それをとらえる視点があるかないかの違いだ。なるほど、そうなんでしょうね・・・。
 人間は、苦痛のあまり、考えることをやめてしまうことがある。しかし、人間は考えることによって初めて人間になる。
 その場所、与えられた場所、そこで生きねばならぬ場所、いまいる場所、そこに住む自らの姿を見つめること、それが「素人」の考える、なのだ。そのために「素人」は「文章」を書く。遠くまで出かける必要はない。「文章」が書かれている場所はどこでもいい。
 いつか必ず文章がうまく書けるようになる方法はある。それは、文章を読むこと。それも、「ただ」読むのではない。優れた文章、誰もかけないような文章、一見ふつうだけれど、読めば読むほど、それがもっている強い力に引きずりこまれてしまうような文章、そのときには分からなくても、ずっとあとになって「あっ」と小さな叫び声をあげ、自分が一つステップを上がった気になってしまう文章などなど。それらを、自分の中に「しみ通らせる」ように読む。
できるだけ細かく、どのように書かれているのか分析し、解釈して読む。そして、それを限りなく繰り返す。
 私が10年以上も、こうやって他人の文章を書き写す作業をしているのも、文章作法の一つなんですよね・・・。モノカキ思考の私には、とても学べる、実践的な内容の文章教室でした。
(2013年4月刊。1600円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.