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霧社事件

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  邱 若龍 、 出版  現代書館
1930年(昭和5年)10月、日本統治下の台湾の山岳地帯で起きた先住民(タイヤル族)の放棄とその顛末が台湾人によって劇画となっている本です。
 この霧社事件については、既にいくつかの本を紹介していますし、最近は映画も見ていますので、私にはイメージがよくつかめますが、映画を見ていない人には、ぜひこの劇画を読んで山岳地帯とタイヤル族の生活、そして蜂起にいたる日本の圧政をイメージをつかんで実感してほしいと思います。
 タイヤル族は、台湾の先住民のなかではもっとも広範囲に分布し、強い民族性をもっていた。顔の入墨(いれずみ)と首狩りは民族の戦闘性の象徴となっていた。主として焼き畑と狩猟で生計を立てていた。ところが日本統治下では、山地は官有林として没収され、首狩りはもちろん厳禁、銃も奪われた。
 反抗事件が次々に起きたが、ことごとく圧倒的火力を有する日本軍によって制圧された。
 タイヤル族において入墨は個人の成長や能力を社会が認知したしるしとして重要な意味をもっていた。それがあることによって結婚も許されるのである。
 入墨がない者は、永遠に子ども扱いされる。入墨をするには、女子であればきれいな布を織れることが必要。男子であれば少なくとも敵の首を一つ持って帰ることが条件である。
いやはや、これはすごい民族ですね。でも、人を殺して一人前というのは、アメリカでも同じようですよ。少なくとも、ベトナム戦争のころ、徴兵制のあったアメリカでは一人前の男は人が殺せることという不文律があったということです。たしかに、アメリカ人はいつまでも国の内外でよく人を殺していますよね・・・。
日本人が大勢集まる運動会に狙いを定めて、一斉に襲いかかり、日本人だけを老若男女、ほとんど全員殺してしまったというのが霧社事件です。そのなかには、日頃お世話になっていたはずの日本人医師までいたといいますし、日本人の子どもまで助かっていないのですから、それほど日本への憎しみは激しかったのです。
 300人のタイヤル族の青年たちが4000人もの日本軍を相手に1ヶ月以上も戦ったのでした。日本統治下の台湾で起きた事件として忘れてはならないものだと思います。
 ネットで見つけて、アマゾンで購入しました。
(1993年4月刊。1700円+税)

戦国大名の「外交」

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  丸島 和洋 、 出版  講談社選書メチエ
外交というと、国家間の交渉というイメージですよね。戦国大名が「外交」していたというのは、ちょっと変ではないですか・・・。でも、著者は変ではないと言います。
戦国大名は、一つの「国家」だった。戦国時代は、日本という国の統合力が弱まり、戦国大名という地域国家によって、列島が分裂していた時代なのだ。うーん、そうなんですか・・・。
 今川義元は、「ただ今は、おしなべて自分の力量をもって国の法度(はっと)を申し付け、静謐(せいひつ)することなれば」と、高らかに宣言している。
 紛争当事者の双方が中人(ちゅうにん。いわば仲人)と呼ばれる第三者に問題解決を委託し、中人の調停によって和解するという中世の紛争解決方法を中人制と呼んだ。
 このとき、起請文(きしょうもん)の交換が重要な意味をもつ。起請文は、前書(まえがき)と神文(しんもん。罰文=ばつぶん)からなる。起請文には、花押に血判がすえられることが多い。血判は指先に傷をつけて、血を花押の上に滴(したた)らせる。
 秀吉は、戦国大名間の戦争の本質は、国境紛争にあると理解していた。
国境あたりの国衆は、「両属」(りょうぞく)や「多属」を余儀なくされた。つまり、隣接諸大名に同時に従属することで、自領が戦場になることを避けようとした。
 同じように国境付近の村落は、「半手」(はんて)という知恵をつかった。半手は、「半納」「半所務」(はんしょむ)とも呼ばれ、敵対する大名双方が、国境の村落の中立を認めるもの。だから年貢については、両方の大名に半分ずつ納める。これって映画「七人の侍」を思い出しますよね。百姓はしたたかに生きていたのです。
大名同士でとりかわす外交書状には厳密な作法が存在した。書札礼(しょさつれい)というのは、どのような書式で書状を書くかによって、自分と相手方との政治的、身分的な差異を表現する。
「書止文言」(かきとめもんごん)には
対等な相手に書状を送るとき・・・・、恐々謹言
目上には・・・・・、恐惶謹言
目下には・・・・・、謹言
さらに身分の低い相手には、書止文言はなく、「候也」と書く。
 草書で字体を崩して書くよりも、行書さらには「真」で書いた方が厚礼である。
 もっとも丁重されたのが、相手に直接書状を送らず、その家臣に宛てて書状を送るということ。形式上の宛先は相手の家臣である。こうやって、ひそかに意思が伝達されていた。
 側近だけでも外交交渉が可能でありながら、一門・宿老を起用せざるをえなかった。これは、戦国大名の特徴の一つである。
 「路地馳走」(ろじちそう)とは、領国に達するまでの「安全な」交通路を軍事外交上のさまざまな手段をつかって、確保したどり着いた使者などについて宿舎などの手配をして、本域まで送り届けること。
 戦国大名の外交において、外交官である「取次」は不可欠な存在である。交渉相手に深入りをしてしまうという危険性をもっている。
戦国大名が「外交」していたという指摘に驚かされました。
(2013年8月刊。1700円+税)

明治日本の植民地支配

カテゴリー:日本史

著者  井上 勝生 、 出版  岩波書店
1995年8月、北海道大学の構内にある古河講堂で段ボール箱のなか、新聞紙に包まれた韓国東学党の首魁者と書かれた頭骨が発見された。明治39年(1906年)に北大に持ち込まれたというもの。この本は、誰が持ち込んだのか、果たして本当に韓国人の頭骨なのか、それは誰なのかを追跡するところから始まります。
 日清戦争は1894年に始まった。同じ年に、韓国では東学農民軍が蜂起した。朝鮮の危機に直面した東学農民軍が日本軍に対して蜂起し、これが朝鮮全域に広がった。参加者は数百万人にのぼる一斉蜂起である。
 この頭骨を日本に持ち込んだ「佐藤政次郎」を調べた。ついに、札幌農業高を卒業し日露戦争(1904年)に召集され、終戦後、朝鮮に派遣された人物だと判明した。日本の綿花栽培事業のための木浦出張所の所長となった。そのころ、東学党の乱に遭遇し、処刑された人物の頭骨を得た。
 1905年11月、日本は第二次日露協約により、朝鮮を強制的に保護国とし、政治支配権の多くを奪う。翌1906年2月、アメリカから陸地綿種子をとり寄せ、日本の綿花栽培事業が始まった。
問題の頭骨が東学農民軍指導者の遺骨であることに間違いないことが確認されると、遺骨の奉還式が行われた。
 まず1996年5月29日、北大文学部で行われた。そして、韓国・全州で遺骨の鎮魂式が行われた。
 この本では、日清戦争と同じとき、日本軍が抗日東学農民軍を大量虐殺していた事実を暴き、それが戦史に隠されていないことを明らかにしています。それは、体験ないし目撃した日本軍将校が二人も自殺してしまうほど、ひどいものだったのです。
 掃討作戦は徹底した凄惨なものだった。日本軍は直接、大量殺戮に手を下した。
 自死した二人の日本軍将校は、精神に深い打撃を受けたのだ。東学農民軍を殲滅する作戦は、地獄絵のような戦場だったにちがいない。
 捕らえた、負傷した東学農民軍は拷問のうえ、焼き殺した。
東学農民軍をいかに日本軍が虐殺したのか、はるばる北大まで運ばれていった頭骨から調べていった本です。
 このような歴史を日本人は忘れてはいけないとつくづく思いました。
(2013年8月刊。2100円+税)

ライス回顧録

カテゴリー:アメリカ

著者  コンドリーザ・ライス 、 出版  集英社
ブッシュ大統領の下で国務長官をつとめた著者が、その激動の日々を振り返っています。上下2段組で670頁もある大作です。世界のあらゆる動きを視野に入れた政策決定と行動ですから、それを追うだけでも目がまわってしまいます。まさしく超人的な仕事ぶりです。
 51歳にして黒人女性初の国務長官に就任したというのですから、よほど頭が切れる女性なのでしょう。顔写真をみると、怜悧そのものです。ちょっと怖い印象です。
 少しの間でも寝て、体を動かすエクササイズを欠かさないなど、体調管理も十分に気をつけていたことが分かります。
 それにしても、アメリカのホワイトハウスから見た日本の存在感のなさはどうでしょうか。驚くべきものがあります。国務長官として日本を注視していたなんて、とても感じられません。
 日本を見るときには、日中、日韓などで、あまり問題をおこしてくれるなという程度なのです。670頁もあるこの本のなかに、日本についての記述はほとんどありません。わずかに出てくるところを紹介します。
 アジアには多国間の外交組織はない。二国間の関係があっても、大半はこじれている。日本と韓国、韓国と中国、日本とロシア、日本と中国、どの関係も第二次世界大戦のまだ癒えない傷を負っている。
アメリカは、韓国そして日本との安全保障上の同盟関係を大幅に刷新した。
 日本人は控え目だ。感情を見せずに、形式のなかに本音を隠して、なかなか奥が見透かせない。日本は近隣地域において、中国からだけでなく、アメリカの同盟国である韓国からも信頼されていない。日本のポーズは多少は役に立つだろうが、大きな効果は期待できない。
アメリカは、軍事的にも経済的にも太平洋の一大パワーとなった。
 韓国、日本、オーストラリアといった友好的な民主国があり、この変貌いちじるしい地域において、アメリカは足場を維持するだけの十分な力をもっている。そのなかで弱点になってきたのが日本だった。大幅に遅れ、強く求められていた省庁と経済の改革に着手することを小泉首相は決断した。しかし、小泉の退任後、日本は再び合意政治に逆戻りした。とても国を前進させることができるとは思えないような、誰とでも取り替え可能な首相が何人も続いた。日本を訪問するのがどんどんユーウツになってきた。
 日本は、停滞し老化しているだけでなく、周辺諸国からの増悪で呪縛されているように思えた。個人的にも、日本人との相性は良いとは言えなかった。
 日本は、拉致問題についてのアメリカの援助が得られなくなると困るというだけの理由で、北朝鮮についての六カ国協議の失敗を望んでいるのではないかと感じることが多かった。
 変動するアジアにおけるパートナーとして、アメリカは自身ある日本を必要としていた。だが、2006年の小泉純一郎の首相退任とともに、そうした日々は消え去ってしまったようだ。
 アメリカの同盟国で成熟した民主主義国家である韓国がアメリカの長年の友人である日本に深い疑念を抱き続けていることには、どう対処すればよいのだろう?
 日本にも詳しい国務省のメンバーは、「菊紋の工作員」という蔑称で呼ばれることが多かった。
ここにはジャパン・ロビーとも呼ばれるアーミテージやナイという人々はまったく登場してきませんが彼らがホワイトハウスに全然影響力を持っていないことが、ここにも反映されていると受けとりました。
 著者が、チェイニー副大統領と、それに連なる「ネオコン」一派と厳しく争っていたと解説のなかで指摘されています。
チェイニー副大統領の率いる「ネオコン」一派と、パウエル・ライスの「隠健」派と、パウエル・ライスの「隠健」派とが抜きがたく内部で対立していた。
 そして、ライス国務長官は、日本の保守政権をこき下ろした。太平洋を挟んで、日本とアメリカの相互不信は増殖していった。
いまの安倍政権のやっていることは、大局的に見ると、アメリカの手のうちではあるけれど、実はアメリカ一辺倒でも必ずしもなく、アメリカからすると容認できない部分も多々ふくまれているように思われます。安倍政権の特異性という危険性は、そこにもある気がします。
よみ通すのに骨の折れる本ですが、読みはじめると、なかなか面白いことが書かれています。アメリカの視点からみた国際政治がよく分かります。ただし、キューバ制裁をいまだに合理化・正当化しているところなんて、いかにも時代錯誤としか思えませんでしたが・・・。
(2013年7月刊。4000円+税)

日本型雇用の真実

カテゴリー:社会

著者  石水 喜夫 、 出版  ちくま新書
今や若者が正社員として働くことが大変難しい時代です。非正規雇用。派遣やパート・アルバイトで職を転々としている若者が本当に増えました。そして。財界はそれを当然のこととしています。安倍首相は、若者をつかい捨てをさらに拡大しようとしています。でも、本当にそれでいいのでしょうか?
 かつての日本型の終身安定雇用こそが日本の経済成長を支えてきたのではないでしょうか。私たち団塊世代までは確固としてあった日本型雇用の良さは再認識されてよいと私は確信しています。
著者は平成の初めに労働省に入省し、23年のあいだ労働官僚として働き、今は京都大学の教授です。労働経済論、雇用システム論が専門です。
大企業は、一般論として雇用流動化論を言いながら、自社としては中核的な人材の温存は至上命題である。人材ビジネスでは、事業拡張を狙いながら、失業者の職業紹介など、公的、社会的責任を背負い込むことがないように駆け引きする。経済官庁は、労働分野の規模緩和を言いながら、自らの行政分野の拡張を虎視眈々と狙っている。
 構造改革とは、新古典派経営学の考え方に立って、市場メカニズムを生かそうと言うことに尽きるのであって、それ以上のものはない。改革の行き尽くした先に何があるのか、その社会ビジョンを語ることができるはずもない。
構造改革を通じて正規労働者と非正規労働者の格差が拡大したことは事実であり、業績・成果主義型賃金は中高年齢層の賃金格差を拡大させた。
 労働者への所得分配には、労働組合の団結を基礎においた賃金交渉力が不可欠である。格差問題を甘く見て、市場競争や業績・成果主義を喧伝し、働く人々の連帯を軽視するような社会的風潮が助長されてきた。
そして、社会問題にとりくむ人々の誠意や努力をくじいたという意味で、新古典派経済学、構造改革論、そして格差社会的幻想論は大変に罪深いものであった。業績・成果主義にすることによって自らの能力が正しく評価され、自分の賃金が上がると思い込んだ大衆的な無知もあった。しかし、業績・成果主義は、市場価値に連動させて賃金を決めたというだけで、その人のもつ能力を公正・公平に評価するというのは別問題なのだ。
企業側は、全体として賃金を抑制することを考えていたのだから、業績・成果主義の恩恵を受けられるものがほんの一部に限られたのも当然のこと。
 この結果、日本の労使関係は予想以上のダメージを受けた。総額としての人件費は抑制できても、人材が生み出す付加価値・創造能力は落ちてしまった。
 いつかは行き詰まる運命にあった自由主義経済が、どうにかここまで生きのびてきたのは、恐るべきことに戦争経済をバネにした均衡回復によるものだった。
 雇用の安定と人材育成を大切にし、職能資格制度によって能力の伸長と評価に取り組んできた日本企業は、今までさまざまな困難をのりこえていた。この雇用慣行と労使関係は世界に誇るべきものである。ところが、残念なことにその自尊心は傷つけられ、バブル崩壊以降、多くの日本人は自信を失ってきた。
 これからの世界が求めるものは、平和産業のなかに技術進歩の芽を見つけ、人々の多様な価値観を尊重しながら、互いに力を合わせ、新たな社会的価値を創造していくこと。企業は低い利益率のもとでも、息長く人と技術を育て、そのことによって社会からの信頼を獲得していく。ここに日本的雇用慣行の伝統を活かす日本企業の強みがある。
経済学を数式で説明するところは理解できませんので読みとばしましたが、共感できる指摘が満載の本でした。
 要するに、企業は何のためにあるのか、ということですよね。社員と社会のため、みんなを幸福にするためのもののはずですよね。それを忘れては存立できませんし、すべきものでもないと思います。
(2013年6月刊。760円+税)

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