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雪に咲く

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  村木 嵐 、 出版  PHP研究所
 新潟は高田藩の筆頭家老・小栗美作(みまさか)の壮絶な生涯を描いた小説です。
 越後高田藩は中将家である。藩主の光長の祖父は二代将軍秀忠の兄にあたるので、武家の長子相続からすれば、格は将軍家より上になる。
 加えて、光長の母は三代家光の同母姉だ。光長ほど、家康に血筋の近い者はいない。御三家にしても、九、十、十一男の筋にすぎず、将軍家すら三男の筋だ。
ときの大老は酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清。越後高田藩のことを何かと気にかけてくれる。ところが、雅楽頭は、同時に密偵を越後高田藩に潜入させ、情報を得ていた。
 仙台藩家老・原田甲斐が乱心して、一門重臣の斬殺に及び、自身も討たれた。そこで、仙台藩譜代の原田家は断絶処分を受けた。
 光長の継嗣が41歳のという若さで突如として亡くなった。子どもがいない。さあ、どうするか・・・。
 藩内が二手に分かれ、対立抗争が次第に激化していく。筆頭家老の美作を気に入らない者たちは、美作邸へ押しかけて来るようになった。
 家で騒動が起きたら、幕府により御家断絶の危機があります。それで、美作はじっとガマンし続けたのでした。ところが、将軍綱吉の時代になると、お家騒動のおきたところは、どんなに名門であっても、容赦なく家断絶が命じられるのです。
 綱吉も犬ばかりを大切にしたのではありません。そして、ついに苛酷な刑が申し渡しされるのでした。
江戸時代も、域内のいたるところで、派閥抗争が激しかったようです。江戸時代の人間関係の難しさがよく伝わってくる本でした。
(2013年12月刊。1700円+税)

三秒間の死角

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  アンデシュ・ルースルンド 、 出版  角川文庫
 スウェーデンのミステリー小説です。
 刑事マルティン・ベッグシリーズは読んだことがあります。『笑う警官』など、スウェーデン社会を背景とした警察小説はとても読みごたえがありました。
 解説には、これは警察小説であって、警察小説ではない、と書かれています。難しい表現ですが、この本を読むと、なんとなくうなずけるものがあります。
 共作者は、自らも犯罪をおかして服役した経験があるというのです。ですから、刑務所のなかの描写は真に迫っています。
ストーリーを小説にするわけには生きませんので、スウェーデンの刑務所を描写したところを紹介してみます。日本とは違った問題点があることが分かります。
 東欧マフィアの事情分野は三つ。銃の取引、売春、クスリ。スウェーデンには刑務所が56ある。それをマフィアが掌握する。おおぜいのヤクザものに借金を負わせて、意のままに操る。
 刑務所のなかには、クスリや酒に支配されている。クスリや酒の持ち主が、すべてを意のままに動かしている。刑務所のなかに大量のクスリを持ち込み、まずは値段を落とし、先行している連中を蹴落とす。そして、取引を独占してしまえば、値段を一気につり上げる。クスリが欲しいのなら、その値段で買え、いやなら注射を辞めればいいと客に言い渡す。
どの刑務所でも、毎日、毎時間、目覚めている時間のすべてが、クスリを中心に回っている。定期的な尿検査をかいくぐってクスリを持ち込み、使うこと。それがすべてだ。面会に来る家族に、尿を、検査しても陰性を示す尿を持ち込ませることもある。持ち込んだ尿が高値で売買されることもある。そして、尿検査で妊娠しているという反応が出てしまったことさえある。
 靴下を買うお金にも困っている連中にクスリを売りつける。彼らは借金を抱え、塀の外に出てもなお、借金を返すために働くしかない。彼らこそ、資本であり、犯罪のための労働力である。
ポーランド国内では、500もの犯罪組織が日々、国内資本をめぐって争いを繰り広げている。国をまたいで暗躍する、さらに大きな犯罪組織の数も、85に及ぶ。
警察が武装して戦闘に入ることも珍しくはない。毎年5000億クローナ以上に相当する価値の合成麻薬が製造されている現実を前にして、国民はひたすら首をすくめている。
 毎朝、看守のあける開錠からの20分間、午前7時から7時20分までの20分間に、すべてがかかっている。この20分間を生きのびることができれば、その一日は安泰だ。鍵が開き、「おはよう」の声がかかってからの20分間は生と死の分かれ目だ。計画的な襲撃は、必ず、看守たちが警備室に引っ込んでコーヒーを入れ、休憩しているあいだに行われる。区画に職員の姿がなくなる20分間。刑務所内で近年おきた殺人事件は、まさにこの20分の時間帯に起きていることが多い。
 規則でがんじがらめの日本の刑務所では、あまり収容者同士の殺人事件を起きているという話は聞きません。そこが、北欧と日本の大きな遠いように思われます。
 スウェーデンの刑務所と警察組織の一端に触れた気になる文庫本でした(上・下の2冊)。
(2013年10月刊。840円+税×2冊)

管理組合物語

カテゴリー:司法

著者  二木 朋子 、 出版  文芸社
 マンションの管理組合をつくり、その理事会を運営していくのが、いかに大変なことか、この本を読むと本当に痛いほどよく分かります。
舞台は東京から少し離れた風光明媚なところにある、大きなリゾートマンションです(総戸数262戸)。マンションを建設した会社は、さらに大きくもうけるため、タイムシェア制を売り出し、マンションは大混雑します。そして、管理会社を設立して、そこでも法外な利益を手にするのです。
 その仕組みに不満をもつ税理士は一人たちあがろうとするのですが、仲間(同志)は簡単には見つかりません。リゾートマンションなので日常的な交際が乏しいうえ、規約上も建設会社と管理会社の意向が貫徹する仕組みになっているからです。
 負けじと立ち上がり、苦闘するなかで、共感する住民が少しずつ増えてきます。
 かと思うと、裏切り者も出てきます。自分だけ管理会社と手打ちして、有利な条件をもらうのと引きかえに昨日の友が脱落していくのでした。
 いやはや、マンションで同志を見出すって、大変なことなんですね。
専有部分と共有部分の使い分けも微妙なところがあります。
 管理会社に対抗するため、管理組合をつくり、理事会を設立します。それも大変でした。管理会社がさまざまな嫌がらせをしてくるのです。郵便だって、きちんと配達されません。宅配便も冷凍物が玄関前に放置されて、溶け出してしまうのです。
管理会社のひどさをマンション住民に訴えようとしても、あまりに「過激」だと反発を買って、みんなから敬遠されてしまうので、それなりの配慮が必要です。
マンションの修理・修繕についても、どこからお金を出すのか、誰に頼むのか、どうやって決めるのか、いろいろ大変です。それを面倒だと思って管理会社に任せっきりにすると、とんでもなく高額になったり、手抜き工事をされたりします。
 議事録作成も、なあなあで、やっておくと、あとで後悔することも起きます。むしろ理事会のメンバーはどんどん変わっていくので、きちんと記録しておかないと、みんなの記憶に頼っていたら、すべてが曖昧になってしまうのです。
 この本では、いちおうハッピーエンドで終わっていますが、実際にリゾートマンションの管理・運営の大変さ、そして、それを解決するための手順と問題点が実践的によく分かるものになっています。貴重な小説だと思いました。
(2013年10月刊。1100円+税)

第二次世界大戦・影の主役

カテゴリー:アメリカ

著者  ポール・ケネディ 、 出版  日本経済新聞出版社
 1943年秋、ドイツ空軍は押し寄せる米軍機の大編隊を相手に、明白な勝利を収めていた。
 ノルマンディー上陸作戦の開始当時、フランス鉄道網は年初と比べて30%にまで減少していた。7月当初には、わずか10%に減っていた。だから、ドイツ軍は、フランス西部に応援部隊を送るどころか、前方部隊を引き揚げることもできなかった。
 1946年6月から10月までのあいだに、ドイツのパイロットと搭乗員1万3000人が戦死した。ドイツ空軍の編隊長クラスは、おもにマスタングに撃墜されていた。その痛手からドイツ空軍は立ち直れなかった。このようにして連合軍がヨーロッパ西部の制空権を握ったのは、Dデーのわずか3ヵ月ほど前だった。
 1944年2月から5月にかけてのドイツ空軍打倒は、接戦だったかもしれないが、史上最大の勝敗を決する軍事行動でもあった。
 戦略航空攻勢は、ドイツ国民の士気を打ち砕くことはできなかった。いくら打ちのめされても、ドイツ人は戦いをやめようとはしなかったし、ナチス政権打倒に立ち上がろうともしなかった。英米空軍の無差別爆撃は、かえってドイツ国民の戦意を高揚させてしまった。
 1943年2月、アフリカ大陸はチュニジア中部の岩山の戦略的要路カセリーヌ峠をめぐって、アメリカ軍部隊が初めてドイツ軍と本格的に交戦した。カセリーヌ峠の戦いは、1942年始めにフィリピンでマッカーサーのアメリカ軍が日本軍に敗北して以来、アメリカ軍が第二次世界大戦で味わった最大の屈辱だった。カセリーヌ峠の戦いにはアメリカ兵3万人が投入され、そのうち6000人を失った、戦車183両、半装軌車104両、砲20門以上、ジープとトラック500台以上を失った。これに対してドイツ軍の死者はわずか201人だった。
 ところがドイツ軍の電撃戦も、その後は停止させられた。それはイギリス軍のシャーマン戦車ばかりではなく、広大な地雷原と、大量の砲とバズーカ砲を使用する特殊な対戦車大隊が功を奏した。
 イギリス軍のモントゴメリー将軍は全面的な攻勢をかけ、ドイツのロンメルは苦戦した。壮絶な戦いが終わったとき、イギリス軍の戦車は200両が大破し、走行不能に陥っていたが、それでも600両が残っていた。これに対して、ロンメルには30両しか残っていなかった。
 ドイツは3つの戦線で戦い、いっぽうソ連はドイツとだけ戦っていた。連合軍が北アフリカと地中海に進出したことにより、ドイツ国防軍最高司令部は、もっとも精強な師団をスターリングラードの戦いから引き抜かざるをえなかった。そもそもドイツが全方面で強力な軍事力を発揮するのは無理だったのだ。北アフリカに上陸した英米連合軍は、スターリングラードの戦いにも影響を及ぼした。また、シチリア上陸も、クルスクの戦い(戦車戦)に影響を与えた。
 ソ連のつくった初期のT-34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。T-34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
 T-34戦車は、ドイツ軍とのクルクス戦車戦で敗退したあと、望まれていた改良が修理・製造工場で進められた。
 ジューコフは、大規模な地雷原の敷設に専念した。これは、ロンメルやモントゴメリーが地雷を重用したのと同じだ。アメリカ軍は地雷戦をあまり利用していない。エルアラメインの戦いで示されたように、地雷原は攻撃側がそれを突破するのに苦労するため、防御側に行動する貴重な時間をもたらす。
 クルスクの戦いでは、これがさらに大規模に実証され、世界最大の地雷原戦とまで呼ばれている。ドイツ軍の高速の装甲攻撃を擾乱するのに、縦深地雷原にしくものはない。
 赤軍の防御地雷原は、優秀な土木工兵部隊が敷設し、奥行が25~40キロあった。
 1943年半ば以降、アメリカからソ連に対して、スチュードベイカーのトラックが陸続と送られ、ジープも至るところにあった。赤軍の車両の半数以上(66万5000台のうち58%)は国産だったが、アメリカ製のトラックとジープのほうが、はるかに頑丈で信頼できた。アメリカ製の車両はもっぱら戦闘部隊の武器弾薬の輸送に使われ、ソ連製のトラックは予備の補給品の輸送や傷病者の後送に使われた。
 アメリカ製トラックをイギリスの輸送船国が運び、ジューコフの前線部隊の機動性が向上したというのは不思議な共存関係だ。
 赤軍のクルスク防御の成功と翌年の着実な西進には、赤軍がドイツ軍よりも優れていた三つの事柄が役立った。架橋能力、欺瞞の技術、そして膨大なパルチザン網だ。
 第二次世界大戦の戦史を読むときには欠かせない視点が満載の大変な力作でした。知らなかったことが多く、最後まで興味深く読みとおしました。
(2013年8月刊。3500円+税)

見た、聞いた、キューバ改革最前線

カテゴリー:アメリカ

著者  千葉県AALA連帯委員会 、 出版  AALA連帯委員会
 昨年2月の10日間のキューバ訪問の旅が160頁ほどの小冊子になっています。キューバの現状とかかえている問題点がよく分かりました。
 私も、一度はキューバに行ってみたいと思うのですが、世の中、思うようにはいきません。そこで、旅行体験記を読んで、行ったつもりになるのです。
 それにしても、この冊子はよくまとまっています。半年近くの研究・編集作業が結実したもののようです。
 カリブ海にあるキューバは、アメリカから150キロメートルしか離れていないのに、アメリカによる経済封鎖が続いています。残念なことに、わが日本もアメリカに命じられ、いつものようにアメリカに逆らうことなく、キューバへの経済封鎖に加担しています。
 キューバの人口は1125万人。白人65%、黒人10%、混血25%。カトリック人口が85%。
 キューバ人の平均寿命は79.3歳と高い。60歳以上の人口は18.3%。
キューバでは、選挙権は16歳以上。国会議員の被選挙権は18歳以上だが、県会議員のほうは16歳以上。日本でも18歳以上に早くすべきだと思います。自民党が抵抗しているのです。
 キューバは共産党の一党独裁ということになっているが、国会にも20%の非党員の議員がいる。
キューバは物不足。スーパーの品ぞろえも少ない。そのため、買い物を楽しめるほどの選択の幅はない。欲望をあおり立てない社会なので、落ち着いている。しかし、物不足だから、欲望をあおり立てたら国民の不満が噴出することは十分に考えられる。
1990年からソ連経済が悪化し、キューバは非常時体制に入った。それまでソ連圏から輸入していた燃料や農業機械の補修部品が入手困難になり、機械化農業ができなくなった。そこで、都市農業運動が本格化した。
アメリカによるキューバ経済封鎖によって、キューバ経済は、いかなる緊急事態にも対処するため、「戦時経済」という性格を与えられ、過剰な在庫の保持など、経済構造が歪んでしまった。
 キューバの医師養成は目を見張るものがあります。累計では世界128ヶ国から、のべ5万人の学生が学んだ。アフリカからも、35ヶ国から学生がキューバに来ている。
 医学校では、入学金、授業料、宿泊料、食費、インターネットの使用が、すべて無料。ただし、キューバまでの往復の旅費は自己負担。
 修了するのに8年かかり、卒業後にキューバで医療活動をする義務はない。
 キューバの医療は、基本的に無料。アメリカのマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」に、アメリカ人が病気を治すためにキューバへ行ったときの情景が出ていました。
ただ、キューバの医師の賃金はタクシー運転手のそれより低い。そのため、キューバの誇るファミリー・ドクター(家庭医)が激減している。
キューバの教育も素晴らしいものがあります。ユネスコは、フィンランドとともにキューバを教育のモデル国として推薦している。
 キューバでは、保育園から大学まで学費がすべて無料で、高校も基本的に全入。一学級の定員は15~20人。うらやましいですよね、これって・・・。
アメリカのキューバ制裁が解除されないのは、国会で3分の2以上の賛成を要するところ、オバマ政権は他の重要案件を先行させ、キューバ問題の比重を軽くみて、後まわしにしているから。
 なーるほどと思いました。大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2013年9月刊。1000円+税)

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