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食の戦争

カテゴリー:社会

著者  鈴木 宣弘 、 出版  文春新書
 食料の安さだけを追求することは、命を削ることと同じである。
 私も、まったく同感です。生活が苦しくなっているなか、なんでも安ければいいという考えが広まり、強くなっています。でも、食料を得るには大変な苦労がいります。安全かつ安心して食べられる食料を安定的に確保するのは国の最低限の責務でしょう。それを安倍政権は放り投げようとしています。TPP参加です。
 日本全国の郵便局でアフラックの保険を売り出すといいます。アメリカの民間保険会社に郵便局が乗っとられようとしています。郵政民営化とは、実は、アメリカ資本への市場開放だったのです。小泉純一郎に大勢の日本人がうまうまとだまされてしまいました。そして、今なお、だまされたことを自覚していない日本人が多数います。
中国の富裕層は、日本へ輸出している自分の国の野菜は食べず、日本から輸入した5~10倍の値段の日本の野菜を食べている。なぜか?
 安い粗悪な農薬が使われているから。
 日本の食は徹底してアメリカの戦略下に置かれ、変わるように仕向けられてきた。アメリカは、第二次世界大戦後、余剰小麦の援助輸出なども活用しながら日本の食生活をじわじわと変革していった。
 巧妙な食料戦略は功を奏し、いつしか、アメリカの小麦や飼料穀物、畜産物なしでは、日本の食生活が成り立たないような状況がつくられていった。食糧自給率が39%にまで低下しているのはその証である。
 日本政府は、国内の肉牛農業者や酪農業者には成長ホルモンの使用を禁じている。しかし、輸入については何の制限もしていない。
アメリカの企業であるモンサントは、1990年代半ば以降、次々と大手種子企業を買収し、現在では、世界のトウモロコシ種子市場の41%、大豆種子市場の25%、主な野菜市場の2~4割を占めている。
 モンサントは、遺伝子組換え(GM)作物の開発をすすめ、大豆で93%、トウモロコシで92%、綿花で71%、菜種で44%をGMが占めている。
 日本の農業は「過保護」ではない。日本の農業保護制度は、世界的にみて、かなり低い。日本農業は過保護だから高齢化したのではない。むしろ、関税も国内保護も削減し続けてきたために高齢化などの問題が生じた。
 TPPに参加して、この流れを加速させてしまったら、日本の農業は完全に崩壊してしまう。輸出で経営が成り立つ農家はいないし、考えられない。
 アメリカのスティグリッツ教授は来日したとき、次のように言った。
 「TPPはアメリカ企業の利益を守ろうとするもので、日米国民の利益にはならない。途上国の発展も妨げる」
 TPPとは、人口の1%ながらアメリカの富の40%を握る多国籍な巨大企業中心の、「1%の、1%による、1%のための」協定であり、大多数を不幸にするもの。
 たとえ99%の人々が損失をこうむっても「1%」の人々の富の増加によって統計としての富が増加すれば効率的だという、乱暴な論理である。
 安倍政権がすすめているTPP交渉参加は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の典型です。
農産物を安く買いたたいてもうかったと思う企業や消費者は間違っている。それによって、国民の食料を生産してくれる産業が疲弊し、縮小してしまったら、結局、みんなが成り立たなくなる。
 本当にそのとおりです。私よりひとまわり若い著者の講演を聞いたことがありますが、本当に明快な話でした。TPP参加は阻止しなければいけないという熱意がひしひしと伝わって来る本です。ぜひ、ご一読ください。
(2013年8月刊。710円+税)

ネットと愛国

カテゴリー:社会

著者  安田 浩一 、 出版  講談社
 日本を愛しているのは自称右翼の専売特許ではありません。むしろ、素直に愛せる日本を子や子孫に守り伝えたいと思っているのが左翼ではないでしょうか・・・。
 ザイトク会という特異な団体がマスコミを騒がしています。「在日特権を許さない市民の会」というのですが、「在日」の人に「特権」があるなんて、まともな人の主張とは思えませんが、本人たちはいたって本気のようですから、怖いです。
 そして、その「ザイトク会」は会員が1万1000人というのです。それだけ、世の中の真実をまともに見れない人がいるということですから、悲しくなります。しかも「ザイトク会」の幹部のなかに祖父が在日韓国人だったという人物もいるというのです。そう言えば、ユダヤ人を大虐殺したナチス・ドイツのトップにもユダヤ人の血が混じっている人が何人もいたようです。
 在特会のリーダーの桜井誠の本名は高田誠。北九州八幡西区の出身。高校生までは影の薄い男だった。
 在特会は2007年1月にスタートした。幹部のほとんどが本名ではなく、ペンネームをつかっている。本部事務所の住所も公表していない。在日の人の通名を「特権」と批判しながら、自らは通名を名乗るというのは、どういう神経でしょうか・・・。
 新右翼団体「一水会」は、在特会を「まるで弱い者いじめで、とうてい賛同できない」ときびしく批判する。
 在特会のメンバーは既存の右翼を嫌う者が多い。右翼と混同されないよう、「特攻服」を着ない。
 在特会はソフトバンクを攻撃する。オーナーが元韓国籍だから。
 私は、これだけで、なんと心の狭い人々なんだろうかと哀れに思いました。これでは世界平和も何もあったものではありません。
この本は、「在日特権」なるものが、全くのデマだということを事実をあげて証明しています。私もまったくそのとおりだと思います。
 在日の人に生活保護が多いというのも「特権」ではなく、そういう現実があるという悲しい状況を反映しているだけなのです。それを「特権」だなんて、話がアベコベです。
 そして、ヘイトスピーチは単なる言論の域をこえて(逸脱していて)、もはや犯罪(コトバによる暴力)です。京都地方裁判所などが犯罪としたのは正当な判断です。
 「ザイトク会」の実態を明らかにした労作です。それにしても、こんなにも心の狭い人が増えている日本は心配です。マスコミは、きちんと犯罪(現行犯)とみて扱うべきです。間違ってもヘイトスピーチを言論の自由のレベルで論じるべきではありません。その点では、判例にしたがう必要があります。
(2013年6月刊。1700円+税)

こんなとき、会社は訴えられる!

カテゴリー:司法

著者  渡辺 剛 、 出版  中央経済社
 熊本の若手弁護士による、中小企業の経営者向けの分かりやすくて実践的な、「被告」にならないための心得を解説した本です。
 弁護士の文章にしては実に明快で、実践的なのに驚嘆して読みすすめました。そして、最後の「著者紹介」を読んで、なるほど、と納得しました。
 著者は、もともと名古屋大学の経営学部で経営組織論を専攻していたのです。そのうえ、顧問会社に対する経営指導をしたり、商工会議所で中小企業経営者を対象とする法律セミナーを担当してきた経験が本書に生かされているのでした。
 そんなわけで、本書は中小企業の経営者が裁判で「被告」として訴えられないための「リスクに気づく能力」を高めるための本なのです。
中小企業の経営者にとって、知らないうちに訴えられ、費用や労力、時間をさかれるというのは最悪の事態。そんな費用・労力・時間は社会の経営に役立てるべき。社長が「リスクに気づく能力」を身につけ、リスクの発生可能性を最小限に抑えることは、これからの訴訟社会においては欠かせないもの。
 本書の目的は、法律の勉強ではなく、企業の利益を防衛するために必要な「気づく」センスの向上にある。
 大事なことは法律に何と書いてあるかを学ぶことではない。そんな細かいことは専門家にまかせたらよい。専門家に相談すべきことが目の前に起きているかどうか、この判断ができたら、経営者としては十分なのだ。
 裁判は生き物だと言われている。そして、裁判はそれ自体で、会社にとって損失が生じている。裁判にたとえ勝ったとしても、かかった時間や労力は回復できないし、弁護士費用なども、基本的にはすべて自腹になる。
 客からのクレームは正当なクレームなのか、単なる金銭目的のクレーマーなのか、その見きわめが求められる。
 問題社員を解雇するときには金曜日の夕方に呼び出し、人事役員と弁護士が同席のうえ、解雇通知書を手渡す。そのうえで、解雇通知を渡して解雇したこと、月曜日に自主退職する意思があるときには、それを受けて解雇通知は撤回することを告げる。このとき、解雇通知書には、そのまま裁判所に提出できるくらい詳しい解雇理由をあげておく。
 金曜日に言い渡すのは、土日をはさむことで、家族や第三者に相談して考える時間を与えるため。いずれにせよ、解雇するための段取りは事前に十分に検討しておいて損はない。
 わずか200頁たらずの本ですが、経営者のセンスみがき、リスクをいち早く発見し、どう対処したらいいか、いつ専門家に相談するかを身につけるのに格好の本となっています。
 私にとっても勉強になりました。ありがとうございます。
(2013年12月刊。2200円+税)

倒壊する巨塔

カテゴリー:アメリカ

著者  ローレンス・ライト 、 出版  白水社
 アルカイダと9.11への道、というサブタイトルのついた上下2冊の大作です。
 サウド王家、とくにファサイル国王の子供たちとビンラディン家の絆は非常に強かった。父王の載冠前後おけるビンラディンの得難い尽力を、息子たちは決して忘れなかった。
アフガン戦争の最初の数年間、ビンラディンは「生身の参加への恐怖」から、実際の戦場とは十分な距離をとっていた。この事実を、ビンラディンは後に大きく恥じることになる。
 ビンラディンがムジャヒディンのために1000万ドル近く集めたことによって、アフガン・ジハードにおける最高民間財務責任者と目されるようになった。
ビンラディンは、ジハードを戦うアラブ義勇兵とその家族に旅費と住居と生活費をもれなく提供した。毎月の支給額は1家族あたり300ドルだった。このビンラディンの出してくれるお金に惹かれて人が集まってきた。
 サウジ政府はアフガン・ジハードに対して年間5億ドルもの資金提供を行っていた。この資金は、アメリカ政府が管理するスイスの銀行口座に振り込まれ、ムジャヒディンの支援活動につかわれた。
 多くのアラブ青年をペシャワールに呼び寄せた誘因は、アフガニスタンで勝利を勝ち取ることではなく、死を迎えることだった。殉教こそ、まさにアッザームが若者やビデオなどで売り込んだ商品だった。華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的な損失に人々がうちひしがれている場所では、そうした誘惑は、とりわけ甘美に響いた。
 殉教という行為は、報われることのあまりに少ない人生の理想的な代替物をそうした若者に与えた。輝ける死によって、罪人は最初の血のほとばしりとともに許され、死に至る以前に、すでに天国にそのところを得るといわれている。ひとりの殉教者の犠牲により、一族の70人が地獄の業火から救われるかもしれない。
 貧しい殉教者は天国で、地球そのものよりも価値のある宝石で飾られる。カネがなければ女性と知りあうチャンスすらなく、しかも高望みをいとう文化のなかで育った若者が、ひとたび殉教者になりさえすれば、72人の処女と夫婦になる喜びに浸れるという。黒い目の美しい乙女たちが、肉と果物とこのうえなき清浄なワインというご馳走とともに殉教者を待っている。
 アッザームが描いてみせた殉爛たる殉教者のイメージは、死のカルトをつくり出し、やがてアルカイダの中核部分を形成していく。これに対してアフガン人にとって、殉教という行為は、それほど高い価値をもっていなかった。このようにして数千人のアラブ人、実際に戦場に行ったのは数百人ほど、が戦況の推移に実質的な変化をもたらしたことは一度もなかった。
 アルカイダは、アフガニスタンで新兵を採用した。新兵はビンラディンに忠誠を近いというサインをし、秘密厳守を誓った。その見返りとして、独身者は月1000ドルのサラリー、既婚者は月1500ドルを受けとる。全員に毎年、故郷への往復チケットが支給され、1ヵ月の休暇が与えられ、健康保険制度も完備していた。
ビンラディンはアフガン・ジハードのさい、サウド王家のメンバーと密かに接触し、アメリカの参戦に対する感謝の気持ちを伝えている。
サウジアラビアの駐米大使、バンダル・ビン・スルタン王子は、ビンラディンが訪ねてきて、こう言ったことを憶えている。
 「ありがとうございます。世俗主義者、不信心者のソ連を排除するため、我々にアメリカ人をもたらしてくれたことに感謝します」
 世界にあまたの国があるけれど、互いにかくも異なりながら、かくも深い相互依存にある二国間関係はほとんど例がない。それがアメリカとサウジアラビアの関係だった。
同時多発的な自爆攻撃スタイルをアルカイダはとった。これは目新しく、リスクをともなう戦法だ。複雑で手間がかかるため、失敗の可能性や当局に事前に察知される危険性がそれだけ増す。だが、ひとたび成功すれば、比較にならないほど注目を全世界から集めることが出来る。
 アメリカの情報機関にとって、ビンラディンやザワヒリの動向をつかむ最善の方策は、彼らが使用する衛星電話の追尾だった。探索機を当核地域の上空に飛ばしていれば、電話を逆探知することによって正確な位置を割り出す手がかりが得られる。
 2000年10月12日、イエメンの港町アデンにいたアメリカ海軍のミサイル駆遂艦「コール」にモーターボートが近づいてきて爆発した。死者17人、負傷者39人。この攻撃はビンラディンにとって大勝利だった。そのおかげでアフガニスタンにあるアルカイダ系の基地は新兵たちであふれかえり、湾岸諸国の篤志諸国の篤志家立ちはオイルダラーの詰まったサムソナイトのスーツケースを携えてやってきた。資金が隅々まで行きわたりだした。
 タリバン政権の指導部は、この国にビンラディンがいるとの是非をめぐって意見対立を続けていたが、カネ回りが良くなるにつれ、制裁や報復への懸念はあるものの、アルカイダに対してより協力的になっていった。
 2001年7月5日、アメリカの国家対テロ調整官ディック・クラークは、アメリカ国内を管轄する各政府機関FAA(連邦航空局)、INS(移民帰化局)、沿岸警備隊、FBI、シークレット・サービスなどの代表を一堂に集め、ひとつの警告を発した。
 「何か非常に人目をひくような、派手な出来事が、それも近々起こるはずである」と全員に申しわたした。
 9.11のあった日の夜、私は何も知らずに福岡の先輩弁護士たちと会食し、ホテルに戻ってテレビをつけたのでした。最初みたとき、何の映像が理解できませんでした。世の中には信じられないことが起きるものです。
この本を読むと、あのテロ行為は、アメリカが育成したテロリストたちがアメリカに牙を向いたという意味で必然だったということが分かります。とんでもないことですが、結局、アメリカの暴力的体質は報復の連鎖を生むものだと言うことなのです。根本的な発想の転換が求められています。
(2009年10月刊。2400円+税)

「反省させると犯罪者になります」

カテゴリー:司法

著者  岡本 茂樹 、 出版  新潮新書
 私も長く刑事被告人(被疑者)とつきあってきましたが、上辺だけの意味があるのが、崩壊的でした。ですから、反省文というのを押しつけたことはほとんどありません。新兄弟への手紙を書くようにすすめていますが・・・。
 この本のタイトルは、あまりに刺激的なので、よくあるキワモノ本かもしれないなと、恐る恐る手にとって読みはじめたのでした。すると、案に相違して、私の体験にぴったりくる内容ばかりなので、つい、「うん、うん、そうだよね」と大きくうなずきながら、最後まで一気に読みすすめてしまいました。
 著者は大学教授であり、刑務所でスーパーバイザー・篤志(とくし)面接委員です。
 反省させると、悪い受刑者がさらに悪くなる。それより、否定的感情を外に出すこと。それが心の病をもった人の回復する出発点になる。
 犯罪は、人間の心の中にある「攻撃性」が表出したもの。自分が起こした問題行動が明るみに出たときに、最初に思うことは、反省ではない。
 悪いことをしたにもかかわらず、重い罪は受けたくないというのが被告人のホンネ。
 裁判という、まだ何の矯正教育も施されていない段階では、ほとんどの被告人は反省できるものではない。
 人は、自分がされたことを、人にして返すもの。優しくされれば、人に優しくすることができる。思春期の親子関係のなかで素直さを失った子どもは、大人になっても、周囲のものに素直になれない。反省文を書かせることは危ない方法なのだ。反省は、自分の内面と向きあう機会を奪う。
子どもの問題行動は歓迎すべきもの。なぜなら、問題行動とは、「自己表現」の一つだから。問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべき。寂しさやストレスといった否定的感情が外に出ないと、その「しんどさ」はさらに抑圧されていき、最後は爆発、すなわち犯罪行為に至ってしまう。
 被害者の心情を理解させるプログラムは、驚くべきことに、再犯を防止するどころか、再犯を促進させる可能性がある。それは、自己イメージを低めさせ、心に大きな重荷を背負わせることになるから。自己イメージを低くしていくと、社会に出てから他者との関わりを避け、孤立していく。そして、孤立こそ、再犯を起こす最大のリスク要因となる。
 孤立とヤケクソがセットになると、大きな事件が起きる。
 刑務所で真面目につとめることにこそ、再犯に至る可能性をはらんでいる。自分の感情を押し殺し、心を開ける仲間をつくらないまま、ただ刑務官のいうままに、真面目に務めることによって、出所していく受刑者はどうなるだろうか・・・。彼らは抑圧している分だけ、「パワーアップ」して出所していく。社会に出しても、常に他者の目を気にする人間になる。そして、容易に人間不信となり、人とうまくつきあって生きていく意欲を奪ってしまう。
 単調な毎日を漫然と過ごすだけの受刑者にとって、被害者のことを考えるのは、もっとも向き合いたくないこと。まじめに務めていることで積みを償っているのに、なぜ、被害者のことまで考えなくてはいけないのか。これが、身勝手だけど、受刑者の言い分なのだ。
架空の手紙を書くロールレタリングは、反省の道具として使われていて、うまく活用されていない。
 抑圧していた感情を吐き出すことによって、はじめて相手の立場というものを考えられる。まずは、心のなかに抑圧されていた感情を吐き出して、一つひとつ気持ちの整理をしていくことが必要なのだ。
受刑者は、例外なく、不遇な環境のなかで育っている。受刑者は、親などから大切にされた経験がほとんどない。彼らは孤独がこわいので、居場所を求めて人と群れたがる。しかし、そこはたまり場でしかない。居場所とは、本来、ありのままの自分でいられるところ。なぜ、他者を大切に出来ないのか。それは自分自身を大切にできなくなっているから。自分を大切にできない人間は他者を大切にすることなどできない。自分を大切にできるからこそ、他者を大切にできる。
 自分を大切にできないのは、自分自身が傷ついているから。自分が傷ついていることに鈍感になっていたり、麻痺していることがある。自分の心の傷に気がついていない受刑者の心の痛みなど理解できるはずがない。
 真の反省とは、自分の内面とじっくり向きあった、結果、最後に出てくる謝罪の心。反省は最後なのだ。
よくよく納得できる本でした。
(2013年11月刊。720円+税)

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