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「東京裁判」を読む

カテゴリー:日本史(戦後)

著者  半藤 一利 ・ 保阪 正康 、 出版  日経新聞出版社
 「東京裁判」を全否定したと思われるNHK経営委員の発言がありました。その常識のなさには呆れるばかりです。なるほど、戦勝国による「東京裁判」に問題が全くなかったわけではありません。しかし、侵略国家・日本が裁かれるべき対象であったことは否定できない歴史的事実だったと思います。この本は、そのことをいろんな角度から実証的に明らかにしています。
 完全無欠の裁判でなかったのは事実だが、その不備を根拠に、そこで明らかにされた事実までも「東京裁判史観」として全否定するのは間違っている。忘れてならなのは、裁判は連合国側の一方的な断罪に終始したのではなく、日本側も大いに主張し、根拠を提出して、裁く側の問題点を突いていたことだ。
東京裁判でもっとも重要なことは、検察(連合国)側が出てくる情報を日本国民はほとんど知らなかったということ。その驚きが、当時の日本人が東京裁判を肯定した大きな理由だった。そこでは、戦争という名目で、日本の軍事指導者がかなり無茶をやった事実が明らかになった。
東京裁判は1946年5月3日に始まり、2年半に及んだ。裁判の場所は市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂を改造した。
 占領政策を円滑にするため天皇の戦争責任は問わないというアメリカの方針に従う検察側は、弁護側以上に天皇への言及に神経質になっていた。
 東京裁判では日本軍による南京大虐殺も問題とされた。
 中支那方面軍司令官の松井石根(いわね)は、尋問で日本軍による暴虐行為を「南京入城と同時に知った」と答えており、虐殺が事実であったことは否定できない。そして、殺害された人が「30万人」というのが過大であったとしても、同胞が無残に殺害された中国人の憤りに変わりはないだろう。
 まことに、そのとおりです。「30万人」が過大だとしても、虐殺された人数がゼロになるわけではないのです。こんなところで、「コトバ遊び」をしてはいけません。
 ポツダム宣言は、軍隊の降伏であって、国家の無条件降伏ではない。
 東京裁判の検察側証人として、日本紙芝居協会の会長が登場する。軍国紙芝居も、言論統制の一環だった。この証人には驚きました。井上ひさしの劇にも登場します。
 日本軍による真珠湾攻撃について、ルーズベルト謀略説というのがある。しかし、そんなことを言う人こそ自虐史観だ。それほど日本人はバカだったのか。ルーズベルトに「はめられた」というけれど、日本人はそんなにバカではない。
 広田弘毅は、大事なところで無能だった。陸軍の言いなりになった、その責任は大きい。
 一番問題なのは、2.26事件のあと、首相として陸軍の要望を全部うけいれてしまったことにある。軍部大臣現役武官制も陸軍から要求されて認めているし・・・。軍部を抑えるために出て行ったような顔をして、実際には、軍部からいいように操られた。
 昭和10年代に広田広毅が外交官を代表する形で出て行ったことは日本の最大の不幸だ。
 板垣征四郎・陸軍大臣について、昭和天皇は、「あんなバカ、見たことない」と言った。「臣下として、最低のレベル」だと・・・。
 南京大虐殺にしても、南から言った日本軍は虐殺をあまりしていない。だから南から攻めた軍人の話を聞いたら、虐殺はなかったことになる。
 弁護側は、虐殺の事実自体は否定しきれなかった。日本国民は南京虐殺事件のことを本当に知らなかったので、愕然とした。
 インドのパール判事も、南京虐殺については事実として認定している。
 東京裁判とはどういうものだったのか、それを知るときに絶好の手がかりになる本だと思いました。
(2009年8月刊。2200円+税)

実践・訴訟戦術

カテゴリー:司法

著者  東京弁護士会春秋会 、 出版  民事法研究会
 これはタイトルどおりの本です。とても実践的な、訴訟をすすめていくうえで役に立つノウハウが満載です。初心者や若手だけではなく、ベテラン弁護士が読んでも、そうか、そういう手があったのかと、おもわず膝を叩いて反省されるような本なのです。この本を読まないと損しますよ。
とても実践的な本であるというのは、読みやすく、分かりやすく、具体的であることにもよります。若手・中堅・ベテランが新人弁護士の疑問にこたえていく座談会方式なので、しかも、答える三者が微妙に違う答えをしたりするところが、また面白いのです。
 座談会方式の本は、ともすれば散漫に流れやすいのですが、そこはうまく編集されていて、ぴしっと締められています。
訴訟の勝敗は間接事実で決まる。間接事実を主張するなかで、どちらが人間性、人情的なものの裏付けがあるか、という点も重要である。司法は、単なる機械的な判断ではなく、裁判官という人間が裁くものであり、最後によりどころとなるものは人間性なのである。
訴訟は勝訴するにこしたことはないが、依頼者が訴訟を通じて紛争についてどのように納得して終了したか、ということも大切。
この本にも内容証明を出すことが第一歩と書かれています。しかし、私はもう20年以上も内容証明を出したことはありません。すべて配達証明です。形式の制約がありませんし、証拠も同封できるからです。
 内容証明は電子郵便でも出せますが、形式があまりに窮屈すぎます。なぜ、配達証明のことが書かれていないのか、不思議です。
弁護士からの内容証明は、FAXで回答する。これは、私も同意見です。もちろん。郵送することもありますが、準備書面だってFAXでやりとりしているのですから、FAXで回答するのに何のためらいもありません。
 内容証明を出すとき、依頼者の主張に裏付けをとるべきか議論されています。私は、その主張が、話を聞いていて、もっともだと思えたら、あえて裏付けをとるまでもなく、相手方へ書面を送っています。
 説明しているのに、法外な金額に固執する依頼者については、そもそも受任できない。ともかく自分の主張に固執しすぎている人には要注意。さっさと辞任したほうが、あとでストレスを抱え込まないための秘訣ですね。税法上の理由から、連帯保証債務で和解するときには、残債免除ではなく、「連帯保証契約を合意解除する」という条項を入れるべき。うむむ、これは知りませんでした・・・。
 家事調停の申立書には、あとで話し合いをまとめるためにも、あまり感情的なことは書かないほうがよい。
 紛争の当事者はカッカしていることが多く、相手を言葉でやっつけてほしいと注文をつけてくることが多いのですが、それに乗らないように注意します。
 訴状は、費用をもらって1ヵ月内、遅くとも3ヵ月内には裁判所に提出する。
そうですよね。簡単な訴状なら1ヵ月以内に出すべきです。
 訴状には、淡々と事実を語ることが大切。そして、要件事実を落とさない。
 スーツ、ネクタイは必須。靴も重視される。ただし、一番大切なのは清潔感だ。
 法廷で発言するときには、立って行う。そのほうが裁判官や相手方が聞こえやすい。
 感情的にならない。代理人が本人化しないように注意しておく。
最終準備書面は非常に意味がある。尋問にどんな意味があったのかを説明する。そして、裁判官が判決を書きやすくしてあげる。
 不利な証拠は出さない。弁護士は、嘘は言わないけれど、本当のことをすべて言うわけでもない。証拠の提出にあたって、立証責任を意識することは、まずない。
 弁護士はベストを尽くすことが大切。裁判官がどんな心証をもっているかは、基本的に分からないのだから、立証責任の有無にとらわれず、主張・立証を尽くすべき。
尋問は事前準備がすべて。依頼者に「陳述書を読んでおいて」ではダメ。一緒に読み合わせをする。尋問テストは何回でもする。当日も、午前中に尋問テストをする。
 これは、いかがなものでしょうか。私は、前日は記録一切を読まないようにお願いしています。ここで何を言うべきか、何と書いてあったか思い出そうとする一瞬の間があくことを恐れるからです。
 尋問するときには、あとで調書になったとき、読みやすくなるように意識しておく。なるべく上品に、丁寧に質問する。子どもに言って聞かせるような感じを心がける。
 反対尋問では総花的質問であってはならない。深追い、ダメ押しはしない。
 弁護士にとって、法廷は演じる場所、パフォーマンスの場である。基本的に淡々と質問していてもクライマックスでは声を大きくする。
 最後のあたりに、辞任と解任の実践上の違いが論じられていますが、もらっていた着手金を返すのか、全額なのか、半額なのか。悩ましいところです。
 早く完全に縁を切りたいときには、もらった実費もふくめて全額返却することもある。
 本当に、そのとおりです。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2014年2月刊。2300円+税)

電鍵砦の一矢

カテゴリー:社会

著者  菊沢 長 、 出版  一葉社
 NTTに立ち向かった無線通信士たちの20年に及ぶ戦いが、大部の小説になって紹介されています。
NTTの民営化のなかで無理な合理化と人員削減が強行されていきます。刃向かう労働者には「異単長」の配点が命じられます。「異単長」という言葉を初めて知りました。異業種、単身赴任、長時間通勤の頭文字を並べた、リストラによって生まれた造語です。労働者を使い捨ての道具のように考えている資本の冷酷さをあらわす言葉ですね。
 労働組合がストライキを打たなくなって(打てなくなって)久しい日本では、労働組合の存在が本当に影の薄いものになってしまいました。労働者自身が労働組合について、自分たちを守ってくれる存在だと考えていないのではないでしょうか。第二人事部の役割を果たしているにすぎないとしか言いようがない組合が多すぎます。
今でこそ全電通は会社側の施策を周知し、一方的に了解を取りつけるだけの労務対策部的な機関に変貌しているが、かつては労働条件改善のために重要な役割を担っていた。
 そうですよね。総評を支える有力な単産でした。国労とか全逓とか・・・。
船舶通信士労働組合というものがあるそうです。全日本海員労働組合から独立した職業別の労働組合です。現役70人、退職者150人の構成。
海上にも人員削減の波が押し寄せている。衛星通信の普及、電子技術の進展によって専任の通信士を置かず、船長などが兼任している。そうすると、どうしても片手間仕事になって、わずらわしいからとスイッチが切られたりして、肝心な通信がお互いに届かなくなったりする。それが危険を招き、大惨事にいたることがあるのです。
遭難警報91.4%が誤報という報告がある。遭難通信の誤発射、誤操作が起きている。
 無線局廃止差止裁判をはじめ、いくつもの裁判をたたかいますが、司法は大資本を味方し、連戦連敗です。それでも、国際的な労働法に照らして、日本の労働条件の一方的に切り捨ては許されないと、スイスに出かけILDに訴えるのでした。
 ジュネーブでは、私のよく知る牛久保秀樹弁護士が活躍したようです。
 しかし、2002年から始まったNTTリストラ裁判では、全国各地の裁判所がNTTによる遠隔地は移転を断罪し、一人100万円の慰謝料を支払えといった判決を出していきました。NTTに「アリ」が勝ったのです。長年の苦労が少しだけ報われたわけです。
 それにしても、労働者無視の労働法改悪はひどいものです。
(2013年6月刊。2400円+税)

狼が語る

カテゴリー:生物

著者  ファーリー・モウェット 、 出版  築地書館
 カナダ人が、北極圏で狼の身近なところ、もちろん大自然のなかです、一人でテントを張って居をかまえ、じっとオオカミの生態を観察した記録です。
 信じられないような話のオンパレードなので、本当に体験記なのかを疑いたくなります。
 1921年生まれのカナダ人である著者は兵士として第二次大戦の戦場にも行っています。それだから、こんな北極圏でのオオカミ生態調査という恐ろしい仕事に従事できたのでしょうね。
 ホッキョクオオカミは、体重80キロほどもある。鼻先から尾の先まで260センチ。肩までの高さは100センチ。
著者がオオカミの観察を始めて何日かすると、何世紀にもわたって普遍的に受けいれられてきたオオカミの性格についての人間の観念は明々白々な嘘だということが分かった。オオカミたちは、「残忍な殺し屋」ではなく、慈悲深く、軽蔑をこめながらも自制した態度で、著者に接した。
北極圏でもっとも血に飢えた生き物は、オオカミなどではなく、飽くことを知らない蚊の大群だ。
 オオカミは、週に1度、一族で家族の土地を巡回し、境界の印を更新する。これは、一種の、オオカミ式抗打ち作戦だ。
 オオカミは、きわめて規則正しい生活を送る。しかし、なお、決まったスケジュールに、ただ闇雲に従っているだけでもない。夕方早く、オオカミのオスは猟に行く。それは4時ころのこともあれば、6時か7時ころのこともある。夜の猟に出かけるが、それは家族の縄張り内に限定されている。通常の猟では夜明けまでに50~60キロの距離をカバーする。日中は、眠って過ごす。
 メスの狼と子どもたちは、昼型の生活を送る。夕方、オスが出かけると、メスは巣穴に入り込み、そこにとどまる。ときに、大急ぎの軽い食事をとりに食糧貯蔵庫に出かける。
 食物を巣穴の近くに蓄えたり、食べ残しをそのままにしておくことはない。いつも、当座に消費するだけの量が運び込まれる。
 食糧貯蔵庫は、近くに巣穴をもつキツネも使っていた。オオカミはキツネと共存している。オオカミの使っている巣穴のほとんどは、キツネが放棄した巣穴であり、オオカミがそれを拡張したものだった。
 オオカミのメスは、ただ一頭のオスとしか関係を結ばないし、しかも、一生連れそう。オオカミは厳格な一夫多妻主義である。
 オオカミは、ネズミを丸ごと食べ、お腹につめて単に戻る。そして、子どもたちの前で、すでに半分消化されたものを吐き出して与える。
オオカミは自分たちの言語をもち、仲間同士で会話している。遠吠え、嘆き声、震え声、クンクンいう声、不満の声、怒りの声、キャンキャン声、吠え声。お互いの声に知的に反応する。
 オオカミは犬より長生きする。20歳のオオカミもいる。
 オオカミでは、実際の親が誰なのかは、たいして重要ではない。孤児という言葉もない。
 交尾するのは、通常3月の2、3週間だけ。
 メスの狼は2歳に達するまで出産しない。オスは3歳になるまで子どもを作らない。
 繁殖可能年齢に達するまで、若者オオカミたちは両親のもとにとどまる。
 年寄りオオカミ、とくに連れあいを亡くしたオオカミたちは独身のままでいることが多い。
 オオカミは、体内に組み込まれた産児制限メカニズムによって抑制されている。食料となる動物が豊富なとき、あるいはオオカミの数がわずかなときは、メスは8頭といったように多くの子どもを産む。しかし、オオカミの数が多すぎたり、食料が少ないときには、1回の出産数は1頭あるいは2頭まで減少する。
 健康なオスのカリブーは簡単にオオカミから走って逃げられるし、生後3週間の子どもカリブーでも、特別に足の速いオオカミ以外なら逃げきることができる。だから、カリブーはオオカミを恐れる必要がない。オオカミが追跡の標的に選ぶのは、もっとも弱い個体か、何らかの欠陥をもったカリブーだ。
 オオカミは、決して楽しみのためにカリブーを殺したりはしない。労力の節約こそ、オオカミの行動指針だ。捕獲に適した虚弱なカリブーに出会うまで試験(テスト)の過程は、しばしば何時間にも及ぶ。いったん、そうした個体が選び出されると、狩りは新たな展開を迎える。攻撃するオオカミは、長い探索のあいだ保持してきたエネルギーを思いきり発散し、見事なスピードとパワーの高まりのなかで餌食を追い、カリブーの背後に迫る。
オオカミをやみくもに危険視するのは間違っていることを実感させる本です。
(2014年2月刊。2000円+税)

「どぜう屋・助七」

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  河治 和香 、 出版  実業之日本社
 浅草駒形にある「駒形どぜう」6代を小説にした、江戸情緒を心ゆくまで堪能できる小説です。
 私にとってドジョウって、なんだか泥臭い味のようで、食べてみようと思ったことはありませんでした。でも。この本を読んで、一度、1日600人の客が来るというこの店に足を運んでドジョウを食べてみたくなりました。
 なにしろ、210年の歴史をもつドジョウの店なのですから・・・。
 有名な作家である獅子文六が昭和36年に、東京の好きな店として、駒形のどぜう屋と神田のヤブをあげています。神田のヤブのほうはいって食べたことがあります。たくさんの人でにぎわっていました。
 「駒形どぜう」のほうは、はじまりは、もう江戸時代も幕末のころのことです。
 人々が助けあって生きていました。しかし、次第に殺伐な社会風潮になっていきます。ペルリの黒船が来て、新選組が京都に出来て、剣道を教える道場が大流行していました。
 こんな世相の移り変わりを、小説のなかに時代背景としてよく取り込んでいます。
 今でも「駒形どぜう」で出す酒は、伏見・北川本家の「ふり袖」、そして、「どぜう汁」の味噌は「ちくま味噌」である。
 本当に、おいしそうな店です。しっかり江戸気分に浸ってしまいました。
(2013年12月刊。1600円+税)

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