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上野千鶴子の選憲論

カテゴリー:司法

著者  上野 千鶴子 、 出版  集英社新書
 私と同世代の著者は、「おひとりさま」で、女性学の研究者として有名ですが、自分は護憲派ではなく、もちろん改憲派でもない、選憲派だと言うのです。選憲派って、耳慣れない言葉です。いったい、何なんだろう。そう思って読みはじめました。
 選憲派。同じ憲法を、もう一度選び直したらいいじゃないの・・・。
 憲法は変えなくてはならないものではない。人生の選択だって、1回限りとはとは限らない。節目で、何度でも、もう一度選び直したらいい。
 民主主義には愚行権という権利もある。間違う権利も主権者の権利の一つだ。
 選憲論は、もし憲法を選びなおすのなら、いっそつくり直したいというもの。
 そのとき、どうしても変えてほしいのが、1章1条の天皇の項。象徴天皇という、わけの分からないものは、やめてほしい。これがある限り、日本は本当の民主主義の国家とは言えない。1条改憲。これは選憲の一つの選択肢だ。
 危険な首相が登場する確率は、危険な天皇の登場する確率の1000倍。この危険を無力化する可能性は10万分の1。
 選憲のもう一つの提案は、日本国憲法の「国民」を、英文のように「日本の人々」「日本に住む人々」に変えること。つまり、日本社会を構成し、維持しているすべての人々のことにする。
 歴史が教えているのは、国家は国民を犠牲にしてきたこと。軍隊は、国民を見捨てて、国家を守ってきた。軍隊は、敵だけではなく自国の国民にも銃を向けてきた。それどころか、軍隊とは国家を守るために、国民は死ねという、究極の「人権侵害」の機関なのだ。
 私たちが本当に守らなければいけないのは、国家ではなくて人間だ。
 昨年(2013年)9月の横浜弁護士会の主催するシンポジウムでの講演をもとにする本なので、とても読みやすく、分かりやすい本になっています。桜井みぎわ弁護士が講演会の実現に骨を折ったことも紹介されていて、その桜井弁護士のすすめから読んで、こうやって書評を書いています。定員1100人の関内ホールが満杯になったというのですから、すごいものです。
 いつものように切れ味するどい話がポンポン飛び出し、聴衆を圧倒したのだと思います。初めて知りましたが、1981年に発表された「琉球共和社会憲法C案」なるものがあるそうです。琉球(沖縄)は、戦後ながくアメリカ軍の統治下にあり、日本人が沖縄に行くのにビザが必要だったのです。沖縄の人々は祖国復帰運動を大々的にすすめていきますが、結局、ときの自民党内閣は、アメリカと「密約」を結んで、表面上は日本に施政権を返還しました。でも、今なお、沖縄には、たくさんのアメリカ軍基地があります。
 その前文は、この「密約」があるなかで沖縄が日本の一部になったことを知り、日本国民の忘れっぽさを皮肉る内容になっています。
 いろいろ考え直すところが多い、刺激にみちた本でした。
(2014年4月刊。740円+税)

海への旅

カテゴリー:生物

著者  中村征夫 、 出版  クレヴィス
 海中の生物の、不思議で、素敵な生きざまを紹介する写真集です。
 海中に、なんとカラフルで、意表をつく形をした生き物がたくさんいることでしょうか・・・。
 ともかく圧倒されます。すごいです。
 世界各地の海に潜って、魚たちの見事な色と形と生きざまを紹介してくれる写真集です。
 これだけ生命の神秘を満載した写真集を2000円で手にして、何度でも見直すことができるなんて、本当に安いです。ありがたいことです。
 鮮やかな色と形のオンパレードです。朱色あり、黄色あり、紅白あり。量の形をしたもの、円塔形のもの。光るものも、さまざまです。いったい、何のために、どうやって光っているのか、不思議です。神秘にみちた世界が海中にもあるのですね・・・。
 天使のような可愛らしいクリオネ。プランクトンの一種です。その多くが他の生物に食べられてしまいます。しかし、それが、この生物界を底辺で支えているのです。
 イカは子を産むと、海底に沈み、他の生物に食べられてしまいます。
クマノミの顔のおかしさには、つい笑ってしまいます。ホヤの仲間は、はじめからマンガチックな笑い顔です。
 ウミムシは、まるで海中の宇宙船。どこの星から来たのでしょうか・・・。
 海中に潜り、海底を探しまわり、ときにはサメやトドと遭遇したり・・・。危険をものともせずに、海中写真をとり続ける勇気に対して、心から敬意を表します。
(2014年1月刊。2000円+税)

創作の極意と掟

カテゴリー:社会

著者  筒井 康隆 、 出版  講談社
 申し訳ありませんが、この著者の本はほとんど読んだことがありません。
 それでも、作家になる心構えと、その秘訣が書いてあるというのですから、読まざるをえません。しっかり読んでみました。
 たしかに、いろいろ反省させられることの多い本ではありました。しかし要は、何をテーマとして書くか、ということですよね・・・。
 小説を書くとは、もはや無頼(ぶらい)の世界に踏む込むことであり、良識を拒否することでもある。
 ええーっ、良識を拒否しないと小説は書けないのでしょうか・・・。良識ではなく、いわゆる常識を拒否するというのなら、それなりに理解できるのです。
筆舌に尽くしがたいという表現は使ってはならない。
 また、作者自身が性的興奮するためにエロチックに描写するというのは、絶対にやってはならない。小説の色気は、男女のエロチックな愛欲描写などとは無関係に存在する。
 作家は、すべからく色気を持たねばならない。そのためには、常に誰かを恋し続けていなければならない。
 なるほど、そうなんですよね・・・。
あらゆる小説には、迫力がなくてはならない。それは真実だ。迫力とは、文章の力によって生じるものである。それほどの考えもなく、ルーティン・ワークとして小説を書いてしまうような作家の作品から迫力が生まれることは絶対にない。プロは、己の職業をこよなく愛している。金銭的なことは二の次で、ひたすら、いい仕事をしようとする。
 うむむ、これは弁護士にとっても、まったく共通していますよね・・・。小説を書くのは大変なことだと言うことは、一度、挑戦してみた身として、本当に身に沁みてよく理解できます。
 そして、本が売れるためには、読者の興味・関心をひきつけなければいけません。その微妙な兼ねあいが、とても難しいのです。それでも、小説を書きたいと私は考えています。新しく創造した世界で、私の分身たちを生き生きと動かしてみたいのです。
 そんな私にとって、とても参考になる本でした。
(2013月刊。1300円+税)

赤穂浪士と吉良邸討入り

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  谷口 眞子 、 出版  吉川弘文館
 私の誕生日が討入りの日(師走半ばの14日)と同じこともあって、赤穂浪士の討入りは縁深いという思いがあります。映画やテレビもよく見ましたし・・・。
 150頁足らずのブックレットですが、豊富な絵と写真によって、赤穂浪士の討入り事件の意義を考えさせてくれます。
 事件が起きたのは、元禄14年(1701年)3月14日のこと。関ヶ原の戦いから100年がたち、人々は平和に慣れていました。
 江戸城の松の廊下で殿様がいきなり刀をふりあげて斬りつけたのですから、ただごとではありません。捕まって、即日、切腹を命じられてしまいました。この原因は、結局のところ、今日に至るまで諸読あるものの、不明というのです。そして、切腹を命ぜられた赤穂藩の遺臣たちは翌年12月に討入りして、成功するのでした。事件のあと、1年9ヵ月もかかったこと、47人もの集団で討入ったことに、画期的な意義があります。
 そして、討入りに成功した翌年2月に浪士たちは切腹させられたのです。47人が討入りに入って、切腹させられたのは46人。残る1人(寺坂吉右衛門)は、どうしたのかも謎のまま。逃亡したというのもあれば、密命を帯びていたという説もあります。その身分は足軽だったようです。
 そして、47士のなかに上士(家老など、身分の高い侍)が少なかったのを浪士たちは恥ずかしく思っていたということも紹介されています。まあ、仇討ちから逃げ出したくなる気分も、私は理解できます・・・。
討入りの時点で吉良邸には150人いたが。100人ほどは抵抗していない。長屋内に閉じ込められていた。したがって、47人の赤穂浪士は40人ほどを相手すればよかった。だったら、討入り側の勝ちは当然ですよね。
 それにしても、吉良上野介の息子は、どうして助かったのでしょうか・・・。
 吉良側には、戦力になるものがほとんどいなかったし、討ち入りに備えて準備していたとは考えられず、真夜中の襲撃で、心理的に追いつめられたと思われる。
 赤穂浪士は、打ち入りは死刑に値する罪であると認識していた。通常の敵討ち(かたきうち)と認められるとは思っていなかった。いわば、真夜中に他人の邸宅に押し入って殺人を犯すというテロ行為だという自覚があった。だから、命が助かるとは思っていなかった。
斬罪と切腹とでは法的なあつかいが異なる。
 上野介の49日にあたる2月4日に浪士たちに切腹が言い渡された。異例に時間がかかったわけではない。
 赤穂浪士の討ち入り事件を再現して確認した気分になりました。
(2013年12月刊。2000円+税)

絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?

カテゴリー:司法

著者  中川智正弁護団 、 出版  現代人文社
 いま、先進国のなかで死刑が残っているのは、日本とアメリカのみ。中国も死刑大国ではありますが・・・。韓国では死刑は長く停止されています。ただし、北朝鮮では、先日、ご存じのとおりナンバー2が銃殺されてしまいました。
 日本は、平安時代、810年の薬子(くすこ)の変のあと死刑を停止し、1156年の保元の乱で復活するまで死刑はありませんでした。
 最近、アメリカの死刑執行に使われる薬物の入手が困難になっているというニュースが流れていました。アメリカでは、電気椅子による処刑はなくなっているのです。薬物を使った二段階方式の死刑執行です。はじめに、いわば睡眠薬を注入し、次に薬物で死に至らしめる方式です。より苦しみを少なくするための工夫です。
 そして、日本はずっと絞首刑による死刑執行です。それに立会う人々がいます。検察官もその一人だと知って、私は検察官にならずに良かったと思いました。
 死刑の執行方法のなかで、絞首刑は次の二点で特に残虐である。
 第一に、絞首された人の意識は少なくとも5秒から8秒、あるいは2分から3分間も続き、激しい肉体的な損傷と激痛を伴う。脳の死は早くても4分から5分かかる。
 第二に、絞首刑を執行したとき、いつ意識を失うかは人それぞれであり、5秒で失う人もいれば、3分間は意識があるかもしれない。また、首が切断されるかもしれない。
古畑種基・医学博士は絞首刑をもっとも苦痛のない、安楽な死に方だとしたが、これは明らかな間違いである。脳内の血液循環が直ちに停止したとしても、脳内には多量の酵素が少なくとも数秒間は意識保つのに十分なだけ残っているので、意識の消失が瞬間的に起こることはない。また、日本の絞首刑について、執行によって頭部離断が起こりうる。
 現代日本の世論は、死刑廃止なんてとんでもないということのようですが、それは死刑執行の現場が公開されていないことにもよるのではないでしょうか。そして、死刑執行を担当する拘置所の職員の心労は簡単には回復できないものがあると思います。
 いずれにしても、日本の死刑執行の実情と問題点は、もっと知られていいことだと思います。今は、あまりに秘密主義で、多くの人が漠然と死刑制度を支持しているとしか思えません。
(2011年10月刊。1900円+税)

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