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憲法主義

カテゴリー:司法

著者  南野 森・内山 奈月 、 出版  PHP研究所
 まことに失礼ながら、実は、あまり期待せずに読みはじめたのです。そこらの若いオネーチャンに、大学の先生が難しい話をして煙に巻く・・・、なんてことまでは、さすがに思いませんでしたが・・・。
 ところが、AKB48の一員という女子高生(今は、慶応大学生)の受け答えが、実に明確で講義する南野教授とのからみあいも絶好調で、話がスムーズに進行していくのです。聞き手の良質な受け答えがあるため、南野教授も大いに乗って話が弾みます。
 あまりにポイントを突いた指摘がありすぎて、つい、この女性(ひと)は、本当に歌手で、高校生なのかしらんと、疑ったほどです。まあ、皆さん、私に騙されたつもりで、ぜひ手にとってこの本を読んで、憲法の本髄をつかんでくださいね。
 内山さんという女性(ひと)は、なんと、日本武道館のコンサートで、憲法48条と100条を暗誦したというのです。ええっ、48条と100条って、何が書いてあるんでしたっけ・・・。
 48条  何人も、同時に両議院の議員たることはできない。
 100条 ①この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
 実は、私も南野教授と変わらず、AKBのことをほとんど知りません。その歌を聞いたこともなければ、彼女らの姿を見たこともありません。新聞記事で「総選挙」なるものがあることを知っているだけです。私は新聞の芸能とスポーツ欄を読むことはありません。
 この本が読みやすいのは、重要なところは赤エンピツでアンダーラインが既に引いてあることです。先手を打たれています。そして、ところどころに、内山さんの手書きと思われるノートがあって、これまた復習の要点(ポイント)が明示されていて、理解を助けてくれます。
 明治憲法には違憲立法審査の制度がなかったというのを初めて認識しました。そして、明治憲法の下では、違憲の法律があったかどうか、はっきり分からないというのです。
 もちろん、現行憲法には、法律が憲法に適合しているのかどうか審査する条文があります。この始まりは、1803年、アメリカの最高裁判所が言い出したこと。
 何が人権なのか、何をもって人が生まれながらにしてもっている権利とするかは、実は、すごく難しい問題だ。
 人権を脅かす国家を倒して、あるいは、そこから離れて新しい国家を設立する。そのときに書かれたのが憲法。だから、憲法の目的は人権を保障することにある。
 立憲主義とは、権利を保障するために国家権力を分立する。そうすることによって、国家権力を制限するというもの。
 法律は一般の人々を相手にするもので、憲法は国家権力を相手にしている。
 憲法を守らなければいけないのは国家権力。一般人、国民は法律を守らなければいけない。国民は憲法によって縛られる存在ではない。だから、99条に国民は入っていない。
日本の政治はうまくいっていないかもしれないが、仕方がない。民主主義は、決して最高の政治体制ではないけれども、民主主義よりましなものはない。
 集団的自衛権の行使容認を閣議決定で安倍首相は強行しました。この本は、その直前に書かれています(発行は7月29日ですが・・・)。そこで、次のように指摘されています。
 これまで国家権力ができないとしてきたことを内閣の解釈でできるとするのは非常に危ない。国家権力を縛る憲法を、国民の判断を経ずに弱めることになるから。
 南野教授の講演を聞いたことがありますが、とても明快・平易で、爽やかでした。この本が若い人に広く読まれることを心から願っています。
(2014年8月刊。1200円+税)

ナチ・ドイツの精神構造

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  宮田 光雄 、 出版  岩波書店
 安倍内閣の副首相が日本の政治もナチスに習ってやればいいと放言して顰蹙を買いましたが、この本を読んで、ナチス・ドイツを反面教師とすることが今求められていると痛感しました。
ナチ党は1932年秋の選挙で最初の衰退の徴候をみせ、6月の国会選挙と比較すれば得票率を14.6%も減少させた。党財政は逼迫し、組織の弱体化に直面していた。
 ヒトラーが政治取引においてあくまでも固執して譲らなかったのは、独裁的条項の非常大権を行使しうる大統領内閣首相としての地位だった。
 1933年1月30日、いわゆる「合法的」路線の上に政権にたどり着いたヒトラーとナチズムにとって、この時点から、ようやく本来の意味での「権力獲得」が始まった。「合法性」戦術を、本来の「反革命」戦略と結合し、政治的・社会的・思想的な対抗勢力を短期間に出し抜き一掃する、独自の権力掌握の技術が編み出されなければならない。ここに、敵をも同盟者をも欺瞞する第二の合い言葉が「国民革命」の観念が登場した。
新たに成立したヒトラー政権は1933年3月の授権法による権力的基礎の確立まで、最初の数週間、「国民革命」「国民的高揚」のスローガンのもとに行動した。ヒトラーは、ナチ政権の首相としてではなく、「国民革命」の連立政権首相として演技してみせた。
 ポツダムの日(1933年3月21日)、元帥服をまとった老大統領ヒンデンブルクの前に、ヒトラーは無帽のまま頭を下げ、「旧き偉大さと若き力の婚姻」を宣言した。
 ヒトラーは首相就任宣誓後、数時間もしないうちに国会の即時解散を断行した。ヒトラーの計画は、掌中に握った国家戦力の全手段を投入して総選挙を実施することにあった。
 2月初頭、新聞・言論の自由を厳しく制限し、2月末の国会炎上事件をきっかけとして憲法の規定する基本権を停止させた。
 「国民と国家の防衛のための緊急命令」は、ナチ政権の政治的敵対者に対するテロと迫害の合法的手段を提供した。
 3月5日の国会選挙は、政府の弾圧と干渉のもとに左翼政党は必要な広報手段を奪われ、世論は閉塞させられた。他方、ナチ党は、組織的な宣伝戦を展開し、ラジオをはじめとするマス・メディアをほとんど無制限に動員した。それでも、投票の結果、ナチ党は得票率44%で、単独支配できず、他党と同盟せざるをえなかった。左翼も30%以上の支持を得た。
この選挙の得票率は88%にのぼり、1932年秋の国会選挙(得票率80%)に参加しなかった350万人が得票動員された。550万もの新しいヒトラー支持票の半分が従来の棄権者から成り立っていた。
「授権法」は、首相ヒトラーの当初からの目標だった。1933年3月23日、「国民と国家の艱難を除去する法律」が圧倒的多数の賛成(449票対94票)で可決された。この「授権法」によって、ヒトラー政権は、今後4年間にわたって議会の協働なしに、しかも、「憲法と異なった」立法をもなしうる権限を与えられた。
 「授権法」の結果、大統領の非常大権は不要となり、大統領の指示に依拠する非ナチ系閣僚の比重は低下した。
「授権法」は、1943年5月の総統布告によって延長され、「第三帝国」全期間を通じて妥当し、事実上、「国会炎上緊急命令」とともに「ナチ憲法」を構成した。
 7月の「新政党組織禁止法」、そして12月の「党と国家との一体性の確保に関する法律」によって、ナチ党による一党制国家が布告された。
 無制限の権力掌握の過程は、イタリア・ファシズムでは7年を必要としたのに対して、ドイツでは、わずか10ヵ月をもって完了した。
 1934年9月のナチ党大会において、ヒトラーは、改めて変革的過程としての「ナチ革命」の終結を宣言した。
 1938年以降、政府そのものが指導的機能を失い、閣議が召集されることはなかった。
 全将兵から閣僚をふくむ全官僚が、憲法への宣誓の代わりに、「ドイツ国および国民」の指導者ヒトラーに対して忠誠誓約を行うようになった。
 1933年から1938年まで、国民投票が5回も実施されたが、それは確実な成功を予見したうえでなされたものであった。
 国民投票って、必ずしも民主的意思の発言とか、民主的統制の手段ではなく、独裁者の行為を正当化するものとして多用されるというわけです。恐ろしいことです・・・。
 反ユダヤ主義は、現実の支配体制に由来する一切の政治的害悪と大衆的不満を無力な少数者に転嫁し、社会的緊張を解放することに役立った。大衆暗示のもつ魔術的効果こそ、ナチ政治宣伝の最大の関心事であり、一切の思考や個性を殺し巨大な大衆集会や大衆行進は、明らかに人間を画一化する魔術的儀式にほかならない。
 収容所を秘密のヴェールにつつみ、テロの噂を断片的に流布させるナチズムの手口がいっそう戦慄すべき未知なるものへの一般的不安を亢進させた。
 現実の敵が一掃されたあと、いまや「潜在的」敵に対する追跡が開始され、テロは社会全体に向けられた大衆テロに発展する。いたるところにテロの雰囲気が広がり、全体的不安が全生活を支配した。
 テロは、批判的知性を無力感と孤立感に陥れる。それは、集団全体の匿名性のなかへ自己を埋没させようとする避難性向を強めずにはいない。
 445頁もの、ずっしりと重い本格的なナチ・ドイツの研究書です。いま、多くの人に一読をおすすめしたい本です。
(1991年4月刊。5631円+税)

言葉をおぼえるしくみ

カテゴリー:人間

著者  今井 むつみ・針生 悦子 、 出版  ちくま学芸文庫
 いま、私の孫(2歳)がコトバの羅列から文章を話せる段階に移行しようとしています。どうやって単語から文章になっていくのか、私にしても興味深いところです。動画で送られてくるので、その変化がよく分かります。
 高校3年生が知っている単語は6万語。18歳といっても、初めの1年間は話せないので、17年間で6万語を獲得したことになる。1日平均100語に近い。これは、今まで知らなかった言葉を、1日に10語覚えようと言われたときの大変さを考えると、とんでもない多さである。2歳から6歳までのあいだに、子どもは平均して1日6語、多いときには1日10語を覚えていく。
 2歳児の話すコトバで、意味の誤りは5%未満でしかない。子どもは、はじめて遭遇したコトバの意味をあれこれ迷わずに推論できる。これは、第一のパラドックスだ。
 そして子どもは、その領域の単語をすべて学習し終わるまで、個々の単語が使えないというわけではない。これが第二のパラドックスだ。
 生まれたばかりの子は、他の女性の声よりは、母親の声を好む。それは、胎内で耳にした音になじんでいることを示している。
 生後5日のフランスの乳児は英語と日本語のようにリズム構造の異なる外国語を区別することが出来た。
 子どもは、一種の「思い込み」をもってコトバの学習にのぞんでおり、その「思い込み」に合致したものを最優先して語の意味を考えている。
 4歳児は、形容詞が名詞(モノの名前)ではないことは分かっている。子どもは、2歳台で最初の助数詞を使いはじめる。それからしばらくしても、子どもの使える助数詞の種類は、なかなか増えない。5歳児になっても、助数詞を間違いなく使いこなせるレベルには達しない。
 外国人にとって擬態語の学習がとても難しいということは、音と意味とのあいだの「ぴったりくる」感覚を身体で覚えるためには、幼少時に日常生活のさまざまな状況で、大量の擬態語を聞き、自分で使うことが必要だということを意味する。
 日本語では、主語によって動詞の形が変わることはない。中国語では、動詞はそもそも活用せず、いつも同じ形だ。
 英語で「2犬」というが、日本語では「2匹の犬」というように、数えるための助数詞をつける。
 英語は、主語や目的語を省略しない。日本語は、主語を省略できるのが特徴だ。
 大人と一対一で向きあったとき、大人に対して自分の意見を述べるのは良くないこととする文化圏がある。日本も、その一つですよね・・・。そのような文化的圧力の下では、子どもは本当の力を発揮できない可能性がある。
赤ちゃん学って、本当に面白いですよね・・・。
(2014年2月刊。1400円+税)

スクリプターは、ストリッパーではありません

カテゴリー:社会

著者  白鳥 あかね 、 出版  国書刊行会
 私のような、映画好きの人には、たまらない本です。私も、この本を3時間かけてじっくり読んだあと、映画館に駆け込みました。
日活の創成期から、その全盛期、そしてロマン・ポルノ、純愛路線、暴力団抗争映画・・・。映画製作の現場を記録し続けた女性への聞き書き集です。
 スクリプターという職業を、私は初めてしっかり認識しました。といっても、デジタル映画ではスクリプターはあまり必要がないとのことです。
 スクリプターとは、スクリプト・スーパーバイザーのこと。洋の東西を問わず、映画制作スタッフの一員として欠くことの出来ない重要存在。1933年に、トーキー(同時録音)が現場に導入され、撮影済みのフィルムと録音された音を合わせる編集作業が大変複雑になった。そのため、撮影現場では克明なメモをとるようになった。このメモをスクリプトと呼ぶ。そして、記録を取る人をスクリプターと呼んだ。
 前のカットからつながるように指示を与えるのはスクリプターの役目で、演技だけでなく、服装や持ち物に至るまで細かくチェックする。撮影中は、常時、シナリオ全体の流れを念頭に置いて、前後のシーンの流れとマッチしない演技や台詞について、監督に対して適切にアドバイスする。
 完成試写を見終わっても、スクリプターは撮影中に変更した芝居の内容やセリフをすべてあらたに書き直して完成台本を作成する。
 著者は、昭和27年に破防法反対のデモをしているときに警察に捕まったのですが、その直後の写真があります。珍しい写真です。
早稲田大学文学部仏文科を卒業して、やがて日活に入社します。若き森繁久彌と一緒に仕事するなど、有名なスターとともに映画製作の現場でがんばるのです。映画づくりの裏話が満載ですから、本当に面白いです。
今の天皇を主人公とした映画(『孤独の人』)がつくられたなんて、ウソのような話です。主人公の皇太子は絶対にうつしていけなかったとのこと。見てみたいですね。DVDで手に入るのでしょうか・・・。
 映画って、どこか抜けているほうがいい。そのほうが、みる側にとってはアラ探しができるし、アラが見えるくらいのほうが楽しい。
 なーるほど、完璧な映画というのでは、ダメなんですね・・・。
著者の結婚式は、公民館で公費200円の会費制結婚式。それも、なんと二組同時に。そして、「ケーキ入刀!」と叫ぶと、スクリーンに大きなウエディング・ケーキがうつり、それに入刀。本物のケーキは買えなかったのです。この合同結婚式の司会が、なんとフランキー堺と小沢昭一。すごい司会者です。
 小林旭の「渡り鳥」シリーズを制作する話が続きます。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎という豪華スターが活躍する時代です。
吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」は残念ながら、みた記憶がありません。その制作現場のスタッフが全員泣いていたというのは感動的です。
 小百合の眼に光をあてている証明部の助手が、その演技に感動して手がふるえて光が揺れ始めた。撮影する人も泣いていてキャメラの商店があっているのかどうか、ラッシュを見るまで不安でしょうがなかった。スタッフ全員が泣いていた。もう一回とは絶対に言えないカットだった。
ここまで書かれると、みないわけにはいきませんよね。吉永小百合と浜田光夫の映画です。
 日本の映画史を知るうえでは欠かせない貴重な本だと思いました。いやはや、映画も本当に奥が深いですね。最後に、この本のタイトルは意味深・・・でした。人生、何が起きるか分からないものです。
(2014年4月刊。2800円+税)

筑紫君磐井と「磐井の乱」

カテゴリー:日本史(古代史)

著者  柳沢 一男 、 出版  新泉社
 福岡県八女市には北部九州最大の前方後円墳である岩戸山古墳があります。
 この古墳は、6世紀の前葉に築造された。同時期の古墳としては、日本列島第四位の規模。
岩戸山古墳の特徴は、膨大な数の人物や動物、そして多種の器財を模した石製表飾(ひょうしょく)。これは石人石馬とも呼ばれる。
 そして、何より、この古墳をつくったのが、古墳時代最大の内戦といわれる「磐井(いわい)の乱」の当事者である筑紫君(ちくしのきみ)磐井の可能性が強いことで注目を集めている。
 磐井は、日本書紀や古事記にも登場する人物である。
 岩戸山古墳の石製表飾の石材は、ほとんどが阿蘇山から噴火した阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇石)である。八女地方の近くにまで阿蘇山の噴火による溶岩が流れてきていたのですね。
 岩戸山古墳の石製表飾の最大の特徴は、種類と数、そしてサイズにある。その数は、収蔵されたものだけで100点をこえる。大胆なデザインとそれを実現した製作技量。そして靫や楯に加えられた多様な図形表現のアイデアは、現代の彫刻とくらべて遜色がない。
 胄をかぶった立像を推定すると、高さ2.5メートルもの立像となる。これは磐井ではないかと推定されているようです。その他の石像も2メートルほどの大型サイズである。
 岩戸山古墳の石製品は、精緻な表現と卓抜名アイデアが詰め込まれた造形物である。二体ある馬形は、当時の最上級の馬装で整えた飾り馬をほぼ実物大に表現しており、古墳時代の石像物の最高傑作。
 古墳時代最大の内戦であった「磐井の乱」は、事件後200年たった奈良時代になっても、語り継がれるべき重大な事件として記憶されつづけた。そこで、「日本書紀」には、詳細な記述がある。
 岩戸山古墳の墳丘を築造するだけでも、毎日300人を動員して、3年の月日が必要となる。磐井の勢力は、九州中北部の諸勢力のリーダーとして倭王権の百済支援を担いながら、他方、独自に高句麗、新羅・大加耶との交渉ルートをもち、また、西日本各地の諸勢力とも連携していた。王権の絶対的強化と他方勢力の直接支配を目ざす絶対王権にとって、このような磐井勢力の動向は見逃せない事態であったに違いない。
 「磐井の乱」を制圧した倭王権は、ミヤケ制と国造制を介して地方支配と中央集権化を推し進め、古代律令国家へと突き進んでいった。すなわち、「磐井の乱」は、倭国のおける古代国家形成への転換点であった。
 昔、朝鮮半島南部に「任那日本府」が設置されていたと教えられたように思いますが、今では否定されているそうです。
 それでも、朝鮮半島南部に倭系古墳があることは事実なので、百済からの要請のもとに倭王権唐派遣された九州北部勢力がまとまった倭人勢力としていたと推定される。
なーるほど、そうだったのですね。要するに、今のような国境はない時代ですから、日「韓」自由に行き来できていたというわけです。
 岩戸山古墳に久しぶりに行ってきました。皆さんも、ぜひ行ってみて下さい。
(2014年8月刊。1500円+税)

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