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刑事裁判ものがたり

カテゴリー:司法

著者  渡部 保夫 、 出版  日本評論社
 27年前の本の復刻版です。前にも読んでいましたが、司法、とりわけ刑事裁判の本質を当の刑事裁判官が鋭く語った本として一読してほしいものです。
ただし、木谷明弁護士(元裁判官)の解説によると、著者(渡部保夫)は、平賀書簡問題では所長を擁護するばかりで、的確な行動をとることが出来なかったと厳しく批判されています。司法行政官としては欠陥もあったようですが、刑事裁判官としては、大いに実績を上げたようです。
 日本では、刑事裁判の原則が奇妙に転倒している。無実の者であっても無罪判決を得るのは非常に困難であり、検察側が有罪の判決を得るのは簡単である。
日本では、重罪も軽罪も、1年間に400万人が起訴されて被告人となるが、そのうち無罪になるのは全国で1年間を通じて、わずか400人ほど。
 自白こそは、刑事裁判における最大の「つまずきの石」である。
 人は、ある身体的、心理的な環境の下では捜査官から追求されると、意思の弱さなどのために、案外、簡単に虚像の自白をするものだ。罪を犯していないのに、捜査官からさまざまな圧力を受けて虚像の自白をした場合には、機会をみて自白を翻そうとする。
 誤判の起きる根本的原因には、誤った意味の経験主義がある。次のように考えがちだ。
 我々は毎日、犯罪の捜査をやり、また裁判をやっている。それだけで、犯罪の操作や事実認定について十分に熟達できる。それ以上、ことさら研究する必要なんかない。
 しかし、どんなことでも、単に経験を重ねるだけで熟達できるわけではない。
 長年、同じような仕事を続けていると、とかくマンネリズムに陥り、新鮮な感覚を失いがちになる。そうすると、「疑わしきは被告人の利益に」という裁判原則に対する忠誠心がゆるみがちになる。そうなんですよね。マンネリズムは怖いものです。
裁判官の洞察力にも限界がある。裁判官は、自己が平凡な通常人であることを自覚すべきである。裁判官は謙虚でなければならない。
 今も新しい、学ぶべき司法の本です。
(2014年6月刊。900円+税)

先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています

カテゴリー:生物

著者  小林 朋道 、 出版  築地書館
 鳥取環境大学のコバヤシ教授による先生シリーズも、なんと8冊目です。すごいですね、驚嘆するばかりです。
 この書評コーナーでずっと紹介してきました。生き物観察を通じて生物の神秘を知るのは面白くもあり、人間の存在を深く考えさせられます。
 私が今回の本を読んでもっとも印象に残ったのは、ツバメにコバヤシ教授が何回も襲いかかられたというくだりです。親ツバメたちにとって、子どもを襲う危険な存在だったのでした。
 ツバメは、つがいで共同して巣作りをし、子育てする。つがいの2個体が相次いで巣に戻ってきたとき、巣づくりや子どもたちへの餌やりを先に終えたほうは、そのまま飛び立つのではなく、あとの個体が作業を終えるまで待っている。そして、あとの個体が作業を終えると、そのまま飛び立っていくのではなく、待っている相手の横に止まる。そして、互いの労をねぎらうかのように顔を見合わせて、それから一緒に飛び立つ。
 ええーっ、これって、夫婦のコミュニケーションが大切にされているっていうことですよね・・・。驚きました。
 コバヤシ教授が、親鳥のいない留守に巣に接近し、ヒナたちと目線を交わし、写真をとったころ、親鳥が巣に戻ってきた。ピチーッ、ピーッ、ピーッという甲高い、強烈な声がした。ヒナたちは一斉に身をかがめ、巣の奥に身を隠す。急いで巣から離れたコバヤシ教授の頭上を飛びかい、その数が次第に増えてきた。攻撃するように飛びかうツバメたちにはかなり迫力があった。
さすがのコバヤシ教授もタジタジになってしまったのです・・・。
 写真もたくさんあり、学生たちのさまざまな反応も面白おかしく紹介されていて、今日もコバヤシ教授は元気いっぱいなのでした。いつ読んでも面白いシリーズです。
(2014年5月刊。1600円+税)

銀二貫

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  髙田 郁 、 出版  幻冬舎文庫
 江戸時代の大坂を舞台にした、味わい深い市井(しせい)小説です。
 ちなみに、市井(しせい)とは、辞書によると、昔、中国で、井戸のあるところに人が集まって市ができたことから、人家の集まっているところ、まち、ちまたを言うとされています。
 悪人は出てきませんが、寂しさから主人公に辛く当たってしまう番頭は存在します。といっても、根っからの悪人ではありません。
主人公は武士の子なのですが、10歳のとき、目の前で父親が親の仇として斬殺されてしまいます。身寄りのなくなった男の子を商人が引き取り、寒天問屋に丁稚奉公させることになりました。
 NHKの時代物としてテレビでシリーズ放映されたようですが、もちろん私はみていません。
 武士の子から商売人に、しかも丁稚奉公からスタートするのですから、辛いことばかりだったでしょうが、そこを歯を食いしばって耐え抜くのです。そして、取引先の娘と仲良くなっていきます。とてもうまい展開です。果たして、この先はどうなるのか、頁をめくるのがもどかしい思いに駆られます。地下街の喫茶店で読みふけったのですが、コーヒーを飲むために手を伸ばすのも惜しいほどでした。
 そして、主人公には次々に不幸が襲いかかってくるのです。大坂も、江戸と同じで、何度も大火事に見舞われてしまいます。ちなみに、大阪ではなく、大坂でした。
 「遊んでもらっていた」女の子も消息を絶ち、再びあらわれたときには、顔に火傷をしていました。
 いやはや、このあと、いったいどうなるのでしょう・・・。
 そして、寒天問屋のほうも、思わしくありません。主人公は寒天をつくる現場に行って修行します。そして、新製品づくりに挑戦するのです。
 喫茶店で読み終えたときには、心の中が、ほんわか、ほっこり温まっていました。
 強くおすすめしたい江戸時代小説です。それにしても、タイトルがいいですね。読んでいくうちに、内容にぴったりだということが分かります。
(2013年7月刊。600円+税)

有次と庖丁

カテゴリー:社会

著者  江 弘毅 、 出版  新潮社
 私は料理ができませんし、しませんので、庖丁のありがたみがさっぱり分からないのですが、プロの料理人は、それこそ庖丁一本というように庖丁を大切にするようです。
 この本は、その庖丁を扱う京都の老舗の周辺を丹念に取材しています。なるほど、そうだったのかと思わずうなずいてしまいました。「有次」は、ありつぐと読みます。創業は元禄3年、1560年という超老舗です。禁裏(きんり)御用鍛治にさかのぼる店で、現在の当主は、なんと18代目。
 京都市中庸区錦小路通御幸町西入ル。錦天満宮の鳥居がある寺町通りから錦小路を西筋一本の御幸(ごこ)町通りをこえて三軒目。鍛治町219番地だ。
 京都の老舗の、あらゆる業態の店では、必ず「有次」印の道具が使われている。ウナギ専用の京サキ庖丁、フグ専門店の出刃包丁、鶏肉店の相出刃庖丁、漬けもの店で大きな赤かぶらを切る両刃庖丁、スシ店の柳刃刺身包丁、カマボコ屋の練り物や天ぷらのすり身をつくる付庖丁。
 「有次」の多種多様な料理道具は、料理人たちの技とこだわりに応えた本物のプロ仕様だ。
 創業が永禄3年(1560年)というと、戦国時代のまっただ中、桶狭間の合戦があった年。関ヶ原の戦いはもっと後の1600年だ。
 さすがによく切れる。だから、おしゃべりしながらつかう庖丁ではない。そんなことをしていたら、自分の手をスパッと切ってしまう・・・。
 良い庖丁というのは、よく切れるうえに、切れ味が長く持つのが一番。切れ味を決定するのは研ぎ。その前に、毎日のお世話が大切だ。「有次」の扱う庖丁は鉄。だから、さびないように、毎日、使い終わったらクレンザーをつかって磨く。
 庖丁をまな板の上にきっちり置いて、刃の方向へ汚れを落としてやる。そして、乾いたタオルで、しっかり拭いてあげる。食器乾燥機を使うと、刃が傷む。自然乾燥で片付けること。
 使い終わって片付けるときには、「ありがとう」と言って、庖丁をみがく。
 「有次」で庖丁が主力商品になるのは、明治から大正にかけてのこと。それまでは、庖丁ではなく、小刀をつくっていた。
 「有次」の店員は、毎日のように、ユーザーの店をまわり、料理人から要望を直接きき、注文をとって修理やメンテナンスをする。これこそ、すぐれた庖丁を京料理界に普及させ、さらによりすぐれたものに昇華させる原動力だ。
 「有次」の和庖丁は、メイドイン堺だ。料亭などのプロは、9割が堺でつくられた刃物・庖丁を使っている。
 毎日、つかった庖丁をきちんと手入れするというのは、信じられませんが、それほど、使い勝手のいい庖丁なんだと思いました。日本のプロ職人は健在なんですね。
(2014年3月刊。1600円+税)

食品の裏側2

カテゴリー:社会

著者  安部 司 、 出版  東洋経済新報社
 私の法律事務所の隣にもコンビニがあります。もとはガソリンスタンドでしたが、倒産して久しく空き地になっていたところ、その周囲の家屋も追い出して広大な駐車場付きのコンビニになってしまいました。
 私は滅多に利用しませんが、所員は昼食の弁当買いなど、頻繁に利用しています。
 そのコンビニで売られているハンバーグ弁当のハンバーグが、実は、牛肉ではないというのです。衝撃的な内容です。
見た目には、デミグラスソースのかかったハンバーグ。しかし、本物のデミグラスソースはおろか、ふつうのソースもケチャップも使われていない。肉も牛肉ではなく、鶏肉と豚肉に牛脂を加えたもの。牛脂を加えるのは、柔らかさを出すためと、牛肉らしい風味を出すため。
 ハンバーグの赤茶色の美味しそうな色をつけるのは、ベニコウジカビから抽出された赤色の天然着色料。カラメル色素とあわせて使われている。
 ナポリタンにも、ケチャップではなく、トマトパウダーと酸味料などの添加物で色と味をつけている。ポテトサラダのマヨネーズは本物ではなく、添加物でつくったマヨネーズ風ドレッシング。
 ハンバーグに添えられているキャベツは、千切りにカットしたあと、次亜塩素酸ソーダで、何度も洗浄し、殺菌している。風味はなくなり、ビタミンCも壊れてしまうが、黒ずんだり、しなびたりするのを防ぐ。
 白ご飯にも添加物が使われている。古米が使われているときは、さすが「新米シール」は貼られていない。古米はぱさぱさして、美味しくないので油や添加物によって味やつやを補っている。ご飯につやを与えるために植物油を入れる。この油には乳化剤が配合されていて、炊飯油とも呼ぶ。
 さらにショッキングな事例が紹介されています。
 福岡県内の養豚農家で、コンビニの廃棄弁当をエサとして与えるようになったところ、死産が続いた。結局、250頭もの子豚を亡くしてしまった。養豚農家はあわてて元通りのエサにしたところ、お産は以前と同じに戻った。
 うひゃあ、こ、これって怖いことですよね。
私たちの生活を与える食品化学物質のうち、もっとも「わかりやすく、防ぎやすい」もの、それが食品添加物だ。食品添加物こそは自分の努力次第で自分たちに入ってくる前の段階のもの、だから玄関で食い止めることができる。そこが、他の原発やPM2.5・・・、のように容易に逃げられないものとは違う。
 この本を読んで、食品添加物の怖さを久しぶりに自覚しました。
(2014年5月刊。1400円+税)

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