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「あの時代」に戻さないために

カテゴリー:社会

著者  福岡県自治体問題研究所 、 出版  自治体研究社
 発行主体は自治体問題を考えるシンクタンクとして発足し、研究会などを開催するほか月刊の情報誌も発行している研究所です。
 毎月の研究会で発表した福岡の弁護士4人の論稿が収録されています。巻頭の論文を宮下和裕事務局長が書いています。
 明治憲法は明治23年(1890年)から終戦後の1947年まで生きていたので、56年半の生命だった。しかし、現在の日本国憲法は既に67年なので、10年以上も長生きしてることになる。ちなみに、明治維新(1868年)から敗戦までは77年ですが、本年は、敗戦から70年になります。戦前の日本は、77年のあいだに、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦と相次ぐ戦争を遂行していました。しかし、戦後70年近く、日本は一度も戦争に直接加担していません(間接的には、朝鮮戦争そしてベトナム戦争に大きく加担していますが・・・)。
 日本国憲法、とりわけ9条は戦争と紛争の絶えない今日の国際社会において光かがやく存在になっていると思います。ノーベル平和賞を本年こそ九条にもらいたいものです。
 押し付け憲法だから無効だという人がいます。私には信じられません。
 ワシントン大学のロー教授は「奇妙なことだ」と指摘する。
 「日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支援が強固だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する道を選ばなかったのは、日本人の賢明さだ」
 椛島敏雅弁護士は貧困問題からみた自民党の改憲草案の問題点を指摘しています。
 民間労働者の平均年収は461万円(1999年)が406万円(2009年)へと55万円も減少(10%強)している。預金ももたない世帯が3割から4割もいる。生活保護を受けている人が216万人、160万世帯もいる。日本人の6人に1人は貧困ライン以下で暮らしている。
 ところが、1億円以上の預金を有する日本人が200万人以上いて、こちらも年々増えています。日本でも両極分化が進行中なのです。
 永尾廣久弁護士は集団的自衛権の容認は立憲主義に反し、平和主義を踏みにじる危険なものだと指摘しています。「自衛権」といっても、日本が攻撃されていないのですから、正当防衛のような自衛権ではありません。安倍政権は、この点を意図的に混同させようとしているのです。
 そして、この集団的自衛権とセットになっているのが、12月10日に施行予定の特定秘密保護法です。近藤恭典弁護士が、その危険な問題点を詳しく指摘しています。
星野圭弁護士は、安倍政権の雇用改革の危険性を掘り下げています。今や、労働組合に属しない労働者が大半となり、非正規社員が増えて、労働者の団結力が著しく低下させられている。解雇を容易にし、残業代の支払いまで企業に免除しようという法制がつくられようとしています。
本当にとんでもない「安倍改革」です。安倍首相は、富める者はますます富めるように、貧しい者はハナから考慮することなく切り捨て、そして軍需産業を栄えさせて、日本の若者をアメリカ軍と一緒になって戦場へ駆り出そうとしています。
戦後70年の日本は、平和な国、戦争のない国・ニッポンでやってきました。これを再び「戦前の日本」に戻すなんて許せません。
定価1000円で、150頁ほどのブックレットです。
11月22日の都久志会館の市民集会でも販売します。ぜひ、ご一読ください。
(2014年10月刊。1000円+税)

歴史を繰り返すな

カテゴリー:社会

著者  坂野 潤治・山口 二郎 、 出版  岩波書店
 2014年は、戦後の終わり、あるいは新たな戦前の始まりという転機になるかもしれない。
 安倍首相による、あまりに没理論的な集団的自衛権行使容認の閣議決定を目の当たりにして、そのような思いが頭をよぎる。もちろん、ここで戦後を終わらせてはならない。
 そのためには、1930年代以降の日本の歴史と、戦後の歩みを理解することが出発点となる。歴史を繰り返さないという決意を固めることが必要である。
 いま、最も大切なのは、日中友好。問題は、中国の反日感情が歴史的に深い根を持っていることを、多くの日本人が分かっていないことにある。
 山県有朋のような権力の中心は、中国の強さを意識してきた。しかし、一般の日本人は、1905年以来、一貫して中国を蔑視してきた。その前は、大国として中国を恐れ敬っていたのですよね。ところが、戦後は、ずっと下に見てきた中国が、今や目の前で巨大な存在になっている。
日本の政治家が、一般国民と同じ目線で中国問題を考えると、対応不能になってくる。
安倍首相は戦争ごっこをやってみたいのだろう。何か戦争ゲームというか、テレビゲームでもやっているつもりで考えている。
迷彩服を着て、腕で小銃を構えて、泥沼をはいずり回ってという経験をもっている国民と、もっていない国民とでは、戦いにはならない。
 今の安倍政権は、近代的な立憲主義を一切無視し、論理がなく、矛盾だらけだ。本当に平和を守りたいのなら、九条を守るだけでなく、近隣諸国と仲良くしなくてはダメ。
日本はアジアの国々に攻めこんでいって、たくさんの人々を殺し、最後には負けてしまった。この現実を見ないまま、戦後体制をつくってきたことのツケが非常に大きくなっている。
 日本人はアメリカと戦争したとは思っているけれど、その前にずっと中国と戦っていたことを忘れてしまっている。
 19年戦争論というけれど、多くの日本人の中には1941年12月から4年戦争論でしかない。
 1941年12月より前の日中戦争期の「失敗の研究」がない。
 日本は、平和国家という日本のアイデンティティを自ら捨てるべきではない。
 戦前の軍事ファッショに、日本の貧困層が期待を託してしまった。
 今の日本では、国民はむしろ平和志向を強めている。
 政策よりも政治の安定性を優先するという志向がある。現状をあまり変えたくないという安定志向が安倍政権を支えている。
 知性を軽んじることは、歴史を軽んじることと表裏一体。未来を考えられない社会では過去にも関心がない。
 大学時代に世の中について問題意識を持っていた人たちも、会社に入って30年もすると、そんな問題意識はすっかり摩滅してしまって、ひたすら成長戦略みたいなことばかり論じるようになってしまっている。政治を変えて、社会の矛盾に立ち向かうという姿勢を維持している人がほんとうに少なくなった。
 もちろん、これではいけませんよね。社会の矛盾を直視して、変えるべきところは大胆に変える。そのため、少しずつでも行動すること。これが自分のためでもあり、世のため、人のためでもある。
 そんな初心を思い起こしてくれる本でもありました。
 この状況でモノをいわないのなら、学者、知識人が世の中に存在している理由はない。
 本当にそう思います。まったく同感です。
(2014年8月刊。1500円+税)
私と同世代の作家である赤川次郎が岩波書店の広報誌『図書』11月号に次のように書いています。まったく同感ですので、ご紹介します。
 「戦後生れの私にも、「戦争中ジャーナリズムはこんな空気だったのかな」と思わせる、この何k月かの「朝日叩き」の異常さである。
 「慰安婦」をめぐる報道の一部に間違いがあったといっても、国連が発言しているように、事の本質巣は少しも変わらない。もともと「強制」という点を世界は問題にしていないのであって、「慰安婦」の存在そのものが人道的な罪なのだ。「朝日叩き」で、慰安婦の存在自体を否定しようとするのは、国際社会と日本の人権感覚のずれの大きさを浮き彫りにするばかりである。
 「日本の信用を傷つけた」というなら、「フクシマ」の原発事故こそ、今も収束の見通しさえ立たず、汚染水の流出を止められずにいる。それでいて、「原発はコントロールされている」と国際舞台で発言し、「欠陥商品」と承知で海外に原発を売り込む安倍政権こそ日本の信用を傷つけている。
 今も数日に一度はどこかで地震のある日本。そこに「原子力の平和利用」と世論を誘導し。原発建設を推進したのは、正力松太郎氏ひきいる「読売グループ」である。「フクシマ」の後、読売新聞は全世界に向けて謝罪すべきだった。
 「朝日叩き」に熱中する「読売」「産経」、そして「週刊文春」「週刊新潮」はジャーナリズムの第一の役割が「権力の監視」であることなど全く忘れてしまっているようだ。社内に「これでいいのか」と疑問を持っている記者は一人もいないのだろうか?
 文春、新潮という、私も長年付き合って来た文芸出版社が、この騒ぎの中に加わっていることは悲しい。確かに、どちらももともと保守的な性格の出版社だが、かつては知性と良識を具えた保守だった。「売国奴」だの「非国民」だのと言う汚い言葉を平然と使うのは、民主国家の出版社として恥ずべきことだ。
 それに、これらの新聞も週刊誌も、今まで「誤報」したことがないと言うのだろうか?自ら誤ちを検証して掲載したことがあるのか。
 人を非難する前に、まず我が身を振り返るべきだろう」

動物が教えてくれた人生で大切なこと

カテゴリー:生物

著者  小菅 正夫 、 出版  河出書房新社
 旭山動物園の前園長による本です。私と同世代の著者は、獣医師として旭山動物園に就職し、今では日本有数の動物園となった旭山動物園の中興の祖となりました。
 オオカミはペアリングがうまくいくと、一生を添いとげ、決して別れることがない。ただし、夫婦となる衝動がない限り、妥協してペアリングになることはない。そして、それは出会った瞬間に「縁」を感じとることがあるようだ。
 これって、人間に似てもいますし、まったく似てもいないといえますね。一目ぼれは、人間にもありますが、人間社会では「不倫」、離婚はあたりまえですからね・・・。
仲の良いオシドリ夫婦とよく言われますが、実は、オシドリは一夫一妻制どころか、乱婚制なのである。
野生のチンパンジーの雄同士は、グルーミングによって協力関係を維持している。
ゴリラは、近親交配を避けるため、幼いころから一緒に育ったオスとメスはお互いを避けあう習性を持っている。
カバ同士は、口を大きく開けたほうが勝ち。
「カバさんの歯磨きイベント」で、カバが大きく口を開けるのは、目の前になんか大きなものがあると、とりあえず自分の口を大きく開けて、「自分のほうが大きい」と自己主張しているということ。そのとき、開いた口に歯ブラシをあててこすっているだけ。
サルのメスは、α(アルファ)オスと儀礼的な交尾はするが、妊娠の可能性を自覚すると、自分の好みのオスと交尾してそのオスの遺伝子をもった子を妊娠している。うひゃあ、ですね。
チンパンジーは、人の心の動きを読みとって行動する。あるとき、著者が仲間と夕食を一緒にとる約束をしたら、チンパンジーの一頭が著者の言うことを聞かなくなった。からかったのです。
 動物は、相手の顔つき、声、におい、殺気などを総合して、相手の心を読むことができる。
 チンパンジーは、人間に育てられると、チンパンジーには育たない。チンパンジーは交尾するのにも学習が必要。群れのなかで育たないと交尾は出来ない。
 戦前の日本にあった動物園は全国にわずか16。それが、戦後、もっと多いときに98園あり、今では87園になっている。今、ゾウのいない動物園が増えている。そうなんです。私のすむ町にある動物園でも、先日、ゾウが死んだあと、結局、よそから入れることは出来ませんでした。
 これは、動物園の怠慢が原因だと著者が激しく批判します。つまり、オスとメスをペアにして飼わなかった、その努力をせずに一頭のみ飼う動物園が多かったということです。そうなんですね・・・。今や、ゾウは絶滅危惧種なのである。
 さすがに動物の生態を詳しく、よくつかんで紹介している本です。
(2014年8月刊。1400円+税)

虹の岬の喫茶店

カテゴリー:人間

著者  森沢 明夫 、 出版  幻冬舎文庫
 不思議なストーリー展開の本です。でも、それでいいのです。多少あいまいで、ええっ、どうしてそうなるのと不思議感があるくらいが、ちょうどいいのです。何事も論理的にきちんとしすぎると、ギスギスしてきます。心にゆとりをもたせるためには、いくらかのミステリーがあったほうが前向き思考になじむのです。
 映画「ふしぎな岬の物語」も早速みました。この本を読んでいましたから、本にあって映画にないもの、映画にあって本にないものが分かりました。両者あいまって、映画を見終わったとき、ほんわかした気持ちになって帰路につきました。いい映画をみた後は、いつも、ありがとうございましたと心の中で叫んでしまいます。
 この本、そして映画は、吉永小百合のために書かれ、つくられたようなものです。彼女も年齢(とし)をとりました。でも、本当に美しいです。反核・平和のために今も大きな声をあげているのも偉いものです。ギラギラしたところがなく、ちょっととぼけた味わいすら出しているところが、たまらなくいいのですよね。
 吉永小百合の、私にとっての秘密は、週に何日もプールで泳いでいるというのに、顔にゴーグルの跡が見あたらないことです。私なんか、週に1回しか泳いでいませんが、目のまわりには、はっきりしたくぼみがあります。
 ゴーグルの違いなのでしょうか・・・。誰か、その秘密を知っていたら、教えてください。
岬の先にある古ぼけた喫茶店が舞台です。実際に、房総半島に、こんな喫茶店があるそうです。誰か、ブログで紹介してくださいな。でも、常連以外の客はなさそうですから、きっと採算はとれないでしょうね。それでは長続きしないのではないかと心配になります。
 毎朝、湧き水を汲みに行って、コーヒーを湧かします。そして、「おいしくな-れ、おいしくなーれ」と呪文をとなえるのです。
 ブラックのコーヒーって、私はあまり好みではありませんが、本当においしそうです。そんな青息吐息の喫茶店に、食いつめた刃物職人が夜中に泥棒に入ります。女主人は、「泥棒さんも大変ね」と声をかけ、心を通わせるのです。
 私も、弁護士として、同じような思いを何度もしました。食いつめたあげく、無人の倉庫に泥棒に入ったところ、たまたまやって来たパトカーにライトを浴びせられ、逃げようとしたけれど、何日も食べていなかった空腹のため、何歩も走れないで倒れてしまったというケースを担当しました。私と同世代の人たちが食うに困って「犯罪」には知る姿をみると、本当に身につまされます。
 安倍首相の進めている弱者切り捨て政策は本当に許せません。たまには、ほんわり、じんわり感を味わいたい人には、強くおすすめの本であり、映画です。
(2014年6月刊。648円+税)

クルクス対戦車戦

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  山崎 雅弘 、 出版  光人社NF文庫
 ナチス・ドイツとソ連が太平洋が激突したことで、有名なクルクス対戦車戦を再評価した本です。
 本のオビを紹介します。
 「ドイツ軍2800輌、68万5000人。ソ連軍3000輌、125万8000人。空前絶後の兵力の相まみえた大会戦の全貌をソ連崩壊後に明らかになった史料をもとに描く決定版。独ソ最大の地上戦」
 1943年7月のクルクスの戦いは、史上最大の戦車戦と称される。
 1943年2月、スターリングラードの戦いが終わり、ドイツ軍が降伏した。スターリングラードでの大敗北のあと、ヒトラーは資源の確保、そしてイタリアやルーマニア・ハンガリーなどの同盟国をいかにしてつなぎとめるかという政治問題に心を奪われていた。スターリングラードの勝利のあと、西方への攻勢を強めようとしたソ連に対して、ナチス・ドイツのマンシュタインの大反撃が功を奏した。ソ連軍は、補給体制を整備しないままに攻勢を継続していた弱点をつかれてしまった。
ドイツ軍のもつティーガー戦車は1942年秋から生産開始となった頑強な重戦車である。旋回砲塔に搭載する8.8センチ砲と分厚い装甲は、ソ連軍のT34戦車や対戦車砲では太刀打ちできなかった。ソ連側の強味は、敵(ドイツ側)の攻勢計画に関する詳細な情報と、それにもとづく兵力の集中だった。そして、別働隊のパルチザンが活躍した。
 ソ連空軍機は、ドイツ側のレーダー装置によって探知され、その多くが撃墜された。その結果、ドイツ空軍が制空権を握り、多くのソ連軍T34戦車が空からの攻撃によって撃破されてしまった。
 1943年5月から8月にかけてのクルクス決戦において、敵に先手をとらせたりソ連側が戦略的に勝利した。しかし、ソ連側は途方もない損害を蒙った。戦死者が7万人、負傷者が11万人の18万人。これはドイツ軍の3倍。投入兵力の14%に及ぶ。
 ソ連軍がクルクス会戦で喪失した戦車は1614輌。それでも、ソ連軍の軍事組織としての土台は揺らぐことなく、すぐに体勢を立て直して新たな攻勢に取りかかった。
一般に、ドイツ軍はクルクス会戦で回復不能なほどの大損害を蒙り、それが第二次世界大戦におけるドイツの敗北を決定づける要因になったとされている。しかし、それは正しくない。クルクス会戦におけるドイツ軍の戦死者は1万人(投入兵力の2%)、負傷者は5万人(同7%)。損害合計は6万人ほど。ドイツ軍は、「戦略的大戦を喫した」というほどのことではない。ドイツ軍の戦争遂行能力を根底から揺るがすほどの決定的なダメージをドイツ軍の組織にもたらしたわけではなかった。
 東部戦線のドイツ軍装甲部隊は、クルクス会戦によって部分的に「非稼働状態」にはなったが、「全損」させられたわけではない。ドイツ軍の戦車は、ソ連軍の砲弾よりも、むしろ連日にわたる苛酷な対戦車戦闘の繰り返しで消耗し、戦闘力を減衰させられた。
 戦略的情勢がドイツ軍の退潮へと転じるなかでも、ドイツ軍装甲部隊は、攻撃的な「電撃戦」に代わる「機動防御」を展開し、ベルリン陥落までの2年間にわたって、ソ連軍に多大の出血を強いることができた。
そうだったんですね・・・。クルクス会戦でナチス・ドイツ軍は再起不能の状態に陥ったのかと思っていました。
 この本を読むと、ソ連軍が大変な人的・物的損害を蒙りながらも、必死に歯をくいしばって耐えてドイツ軍に頑強に抵抗していた状況がよく分かります。
 ここでは、他の場面で頻出するスターリンの戦略指導の誤りはなかったようです。本当でしょうか・・・。クルクス会戦、戦車戦に関心をもつ人には必読だと思いました。
(2014年8月刊。900円+税)

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