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日清戦争

カテゴリー:日本史(明治)

著者  大谷 正 、 出版  中公新書
 日清戦争が、いつ始まり、いつ終了したのか、明確になっていないということを初めて知って驚きました。
 日本と中国(清)が戦争したのは朝鮮戦争の支配権をめぐるものだったわけですが、台湾についても戦争があり、その終期が不明確だったのです。
 日清戦争の始まりが曖昧なのは、日本政府の先制・奇襲攻撃をごまかそうとする隠蔽工作の結果でもあるのです。
中国では、地方の郷勇組織が近代的軍隊へ転換しはじめ、それを中央政府が認知した。日本は、中央政府が主導して徴兵制軍隊をつくった。この違いは大きい。国土の広さの違いからくるところもあるのでしょうか・・・。
日本では、1873年の徴兵令公布とともに徴兵制による近代軍が誕生した。
 1893年、日本軍の師団編成が完結したものの、兵站部門には問題が残り、日清戦争においてトラブル多発の一因となった。
 1892年8月、第二次伊藤博文内閣が成立した。
 1894年、伊藤首相は日清協調を主張したが、外相の陸奥宗光が開戦を主張した。
 対清・対朝鮮強硬論が高まり、ジャーナリズムの多くも、これに同調し、9月の総選挙を前にして、政党の多くが対外強硬論を競うなか、伊藤内閣は朝鮮半島からの撤兵に踏み込みきれなくなった。
 当時の清政府の内情は、日本人以上に複雑だった。清の光緒帝は、1887年から親政を始めていたが、依然として重要国務には西太后が関与した。そして、直隷総督・北洋大臣の李鴻章が重要な発言力をもっていた。李鴻章は、日本との開戦回避に動いた。西太后も同じ。主戦論は、光緒帝と若い側近たちが唱えた。
 李鴻章が2300人の兵士と武器を牙山(朝鮮)に送るという情報に接し、7月19日、日本政府と大本営は対清開戦を決定した。しかし、この段階でも、明治天皇や伊藤首相は清との妥協の可能性を探っていた。
 7月25日、豊島付近で日本の連合艦隊が清海軍と遭遇し、戦闘が始まった。豊島沖開戦である。
 宣戦布告あるいは開戦通知の前に日本海軍は清軍艦を攻撃した。その前の7月23日、日本軍が漢城(今のソウル)の朝鮮王宮を攻撃して占領。朝鮮国王を「とりこ」にした。
 後日、不都合な事実は隠され、歴史の書き換えがなされた。王宮占領は、先に射撃をしてきた朝鮮兵に反撃して日本軍が王宮を占領した自衛的・偶発的な事件だとされた。
 7月29日、日本軍が清軍と戦闘するなかで、「死ぬまでラッパを吹きつづけた木口小平(当初は、白神源次郎だった)」の話がつくられた。
 海陸で戦闘が始まると、日清両国とも、宣戦布告に向けて動き出した。
 日本政府部内では、開戦の名目をどうするかで議論続出となり、まとまらなかった。
 ようやく、8月2日に閣議で8月1日に開戦と決まった。
 9月10日の閣議では、それより早く、7月25日を開戦日とすることになった。とすると、7月23日の戦闘は日清戦争ではなくなる。
 「石橋を叩いて渡る」慎重な性格の明治天皇にとって、日清戦争は不本意な戦争だった。清に負けてしまうかもしれないことを、天皇は大いに心配していた。
 「朕の戦争にあらず、大臣の戦争なり」と明治天皇は高言した。相当にストレスがたまっていた。
 広島に大本営が翌4月まで置かれた。明治天皇が出席した大本営の御前会議は、実際に作戦を立案決定する場ではなく、多くは戦況報告を聞く場だった。
 開戦前の明治天皇は対清戦争に消極的だったが、広島では次第に戦争指導に熱心になっていった。心配に反して、日本軍が清軍に勝っていったからです。
 台湾では、日本の領土になることを拒否する地元有力者らが独立を求めた。唐景松は5月25日、台湾民主国総統に就任した。「虎旗」を国旗とする、アジア最初の共和国が生まれた。台湾の抗日軍は激しい戦い、日本軍を悩ませた。そのうえ住民の激しい抵抗と台湾の風土病のマラリアや、赤痢や脚気が蔓延した。このようにして日清戦争の死者の過半は台湾でのものだった。
 10月、日本軍が全面攻撃すると、劉永福はイギリス船で大陸へ逃亡し、台湾民主国は滅亡した。
 1896年春、日本軍が占領していたのは、台湾の西部のみだった。台湾の南部、東部そして原住民の暮らす山岳地帯は未占領だった。山地住民の制圧は1905年ころまでかかった。
 日清戦争に参加した日本軍兵力は25万人に近い。軍人軍属は40万人。そのうち30万人以上が海外で勤務した。そして、死亡したのは1万3千人。その原因は、脚気・赤痢・マラリア・コレラの順に高かった。
清軍の戦力となったのは「勇軍」(郷勇ともいう)と練軍で、総員は35万人だった。
 日清戦争は、閣議決定によって8月1日に始まったとされているが、誤りだ。
 日清戦争は三つの戦争相手国など、相手方地域の異なった戦争の複合戦争だった。
 第一に、日清戦争は朝鮮との戦争、清との戦争、そして台湾の漢族系住民との戦争という三つがあった。
 日清戦争は1894年7月23日の日本軍による朝鮮王宮攻撃に始まった。そして、日清戦争の終期は、1895年3月30日の休戦条約調印、5月の講和条約調印によって法的には終了した。しかし、朝鮮との戦争、そして台湾住民との戦争は1896年4月の大本営の解散でも終結しなかった。
日本にとって、日清戦争はもうかる戦争だった。一方の清は、日本へ支払う賠償金2億両(日本円で3億1100万円)を自力で捻出できず、外債依存の泥沼に陥った。
 そして、日本政府が得たお金(3億円)は、陸海軍の要求を8割まかなうというものだった。清からの賠償金の8割が、その後の日本軍の軍備拡張に充てられた。
 歴史の真実を知ると同時に、日本軍の野蛮な侵略作戦は許せないという気分にもなりました。
(2014年6月刊。860円+税)

法制度からみる現代中国の統治機構

カテゴリー:中国

著者  熊 達雲 、 出版  明石書店
 中国共産党の党員は8513万人(2012年末)。1949年の建国時の19倍であり、全人口の6.3%を占める。労働者出身は8.5%で、農業・林業・漁業出身者が3割弱を占めている。そして、知識人党員が32%と、もっとも比率が高い。
 共産党員になるのは容易ではなく、煩雑な手続が必要であり、要件も厳しい。
共産党は、中央指導部に設置されている「中央政法委員会」を通じて司法とつながっている。中国は裁判権を独立した権力とみなさず、それを検察権、捜査権、行刑権等の権力に入れて政法権としてまとめて一括して指導している。最高人民法院は、この中で他の機関と並列する一機関にすぎず、特別な地位を与えていない。裁判所の地位は低い。行政機関の国務院、軍事機関の中央軍事委員会と比べ、裁判機関の最高人民法院、検察機関の最高人民検察院は、地位が何段階も低い存在である。裁判機関、検察機関の長は、いずれも共産党中央委員会の委員にすぎない。
 法律解釈権は、最高人民法院のみしか行使できない。人民法院の院長、副院長、各裁判廷の院長から構成される裁判委員会は中国の裁判所内のユニークな裁判組織だ。裁判委員会は、二つの業務を担当する。一つは、重大・難事件を討議し、判決を決定する。二つは、裁判の経験を総括する。合議廷は裁判委員会の結論に従って判決文を作成する。 人民法院で言い渡された判決は、人員法委員長及び裁判委員会によって容易に改正できる。裁判機関の独立は確立されていない。中国には20万人近い裁判官がいる。
裁判官は腐敗の多発する職業である。1995年から2013年にかけて、84人の裁判所所長と副所長が汚職腐敗で摘発された。2008年から2011年にかけて、712人、795人、783人、519人の裁判官が検挙された。集団腐敗事件が増加する傾向がある。2002年には、武漠市中級法院の13人裁判官と44人の弁護士が関与していた。中級法院は、腐敗がもっとも深刻である。
 中国の弁護士は23万人をこえる(2012年)、法律事務所も2万に近い。弁護士は弁護事務の独占権が認められていない。
 司法試験の受験者は年々増加し、2013年には40万人に達している。
 中国の司法の実情を知ることのできる本です。
(2014年6月刊。2800円+税)

1984年

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ジョージ・オーウェル 、 出版  ハヤカワep:文庫
 ジョージ・オーウェルの『動物農場』は読んだことがありますが、この『1984年』は初めて読みました。読んだつもりではあったのですが・・・。
 ある会合で、馬奈木昭雄弁護士が60年前に書かれた本だけど、現代日本の社会とまるで似た状況を既に描き出した本だと指摘したのを聞いて、この「新訳版」を手にとって読みはじめたのです。
 いま「朝日新聞たたき」がさかんです。本当に「誤報」だったのかどうかはともかくとして、読売もサンケイもこれまで誤報など一度もしたことがないかのように「朝日」をたたく姿は、あまりに異常です。そして、一部の週刊誌と右派ジャーナリズムの波に乗って吠えたてる人がなんと多いことか・・・。言論統制としか思えません。
 従軍慰安婦の問題の本質は、強制連行があったかどうかでは決してありません。女性が望まぬ性行為を軍部によって強いられ、その状況から自由に脱出することが出来なかったことにあります。まさしく性奴隷です。「朝日」を声高に非難する人たちは、自分の娘をそんな境遇に置いていいとでも考えているのでしょうか・・・。
 安倍首相の強引な憲法破壊策動に乗っかかって、平和な日本社会を根本からひっくり返そうとする動きに、心底から私は恐怖を覚えます。
党の三つのスローガンが、町のどこにでもある。
 戦争は平和なり
 自由は隷従なり
 無知は力なり
 1984年の、この国には、もはや法律が一切なくなっている。だから何をしようとも違法ではない。しかし、日記を書いていることが発覚すると、死刑か最低25年の強制労働収容所送りになることは間違いない。
 最近の子どもは、ほとんど誰もが恐ろしい。子どもたちは、党と党に関係するもの一切を諸手をあげて礼賛(らいさん)する。党賛美の歌、行進、党の横断幕、ハイキング、模擬ライフルによる訓練、スローガンの連呼、「ビッグ・ブラザー」崇拝、それらはすべて華々しいゲームなのだ。かれらの残忍性は、ごくごく外に、国家の敵に、外国人、反逆者、破壊工作者、思考犯に向かう。だから、30歳以上の大人なら、他ならぬ自分の子どもに怯えて当たり前だ。
党員間の結婚は、すべて任命された専門委員会の承認を得なければならない。党の狙いは、性行為から、すべての快楽を除去することにある。敵視されるのは、愛情よりも、むしろ性的興奮。それは、夫婦間であろうとなかろうと同じだ。だから、当事者たる男女が肉体的に惹かれあっているという印象を与えてしまうと、決して結婚について専門委員会の承認は得られなかった。
 結婚の目的はただひとつ、党に奉仕する子どもをつくることだけだった。党は離婚を許さなかったが、子どものいない場合には、別居を奨励していた。セックスをすると、エネルギーを最後まで使い切ってしまう。その後は幸せな気分になって、すべてがどうでもよくなる。党の連中はそうした気分にさせたくはない。どんなときでも、エネルギーはち切れんばかりの状態にしておきたいわけ、あちこちデモ行進したり、歓呼の声を上げたり、旗を振ったりするのは、すべて、腐った性欲のあらわれそのものだ。心のなかで幸せを感じていたら、党の連中の言うくだらない戯言(たわごと)に興奮したりしなくなるから・・・。いやはや、とんだ社会です。
 世界は三つの超大国に分裂している。ユーラシアは、ヨーロッパ大陸など。オセアニアはアメリカ大陸など。そしてイースタシアは、中国や日本などからなる。この三つの超大国は、敵味方の組合せをいろいろにかえながら、永遠の戦争状態にあり、そうした状態が続いている。
 社会の上層の目的は、現状を維持すること。中間層の目的は上層と入れ替わること。
 上層は、自由と正義のために戦っている振りをして下層を味方につけた中間層によって打倒される。中間層は、目的を達成するや否や、下層を元の隷従状態に押し戻し、自らは上層に転じる。下層グループだけは、たとえ一時的にしても、目的達成に成功したことがない。
 プロレタリアは、党に入る資格を得ることが認められていない。そのなかでもっとも才能があり、不満分子の中核になる可能性のある者は、ひたすら思考警察にマークされ、消されてしまう。
党のメンバーは、私的感情を一切もってはならないが、同時に熱狂状態から醒めることのないよう求められる。常に熱狂のうちに生きることを求められる。
 オセアニアの社会ではビッグブラザーは全能であり、党は誤りを犯さないという信念の上に成立している。
 党の求める忠誠心は、黒を白と信じこむ能力、さらには黒を白だと知っている能力、かつてはその逆を信じていた事実を忘れてしまう能力のことだ。そのためには、絶えず過去を改変する必要が生じる。過去は、党がいかようにも決められるものなのだ。
 党は、人生をすべてのレベルでコントロールしている。人間というのは、金属と同じで、うてばありとあらゆるかたちに変形できる。
 「1984年」から30年たった今、日本社会の現実は、「アベノミクス」礼賛一色、安倍内閣持ち上げ一辺倒のマスコミ操作が強力に進行していて、本当に恐ろしい限りです。でも、まだ、希望を捨てるわけにはいきません。そんな社会にしないため、一人一人が声を上げるべきだと思うのです。
(2014年2月刊。860円+税)

猟師の肉は腐らない

カテゴリー:人間

著者  小泉 武夫 、 出版  新潮社
私は著者のファンです。新聞で連載されている美味しいものシリーズも愛読しています。
 コピリンコ、コピリンコ。チュルチュル。味覚飛行物体・・・。
 いつも、著者の手づくり料理を本当に美味しそうだなと思いながら、ツバを呑み込んでいるのです。ただ、ときどきゲテモノ喰いの話になると、私は後ずさりしてしまいます。私も蜂の子とか、バッタ、ザザ虫までは食べたことがあります。長野県人が好みますよね。でも、クモとかトカゲそしてサソリとか、そこらあたりまでいくと、挑戦する勇気はありません。
 著者は、よほどお腹が丈夫なようです。うらやましい限りです。
 この本は、お盆休みの前、わずか250頁の本なのに、3時間もかけて、じっくり味読しました。速読をもって任ずる私にしては、画期的な遅読です。途中、喫茶店を移動して最後まで没入して読みふけりました。それほど夢中になって読み尽くしたということなのです。
 なにしろ、奥深い山の中で、ターザンと呼ばれるような生活をしている男やもめの一人暮らしを著者がたずね、しばし生活をともにしたのです。そして、その男やもめ、いまこそ山奥で猟師をしていますが、かつては世界を飛びまわっていたのです。子どものいない猟師なのですが、実は父親から伝授されたことが山での猟師生活で生きているとのこと。ということは、この猟師が亡くなったとき、それを受け継ぐ人はいないということです。残念です。
 私は、とてもそんな勇気はありませんが、山奥でこんな生活をしている人を絶やしてはいけないと思いました。だって、たとえば、薬草栽培です。ぺんぺん草は血止めの効果があり、ヨモギには殺菌効果がある。蛇(ヤマカガシ)に著者が咬まれたとき、猟師は、手のひらでよく揉んで、傷口に塗りつけ、それで治した。同じように、もっともっとたくさんの薬草を集めて、栽培するというのです。大いに期待したいですよね。
 山に棲む赤蛇は、全身がバネで出来ているような生きもので、筋肉質のとれた身体は紡錘型をしている。その肉は地鶏に似て、とても美味しい。
 猪の肉は、ぶつ切りにして塩をまぶして、縄できつく縛って、囲炉裏の天井に吊しておく。煙で燻されて、3ヵ月くらい吊しておくと、いつまでも食べることができる。
 トイレは臭い。お尻を拭くのは干した蕗(フキ)の葉。これには消毒作用があり、お尻のまわりがきれいになる気がする。
 山での昼食にアルコールは厳禁。そんなことをしたら、命を落としてしまう。遠足ではないから、お酒は一滴もダメだ。うひゃあ、それは知りませんでした。もちろん、夜はたらふく飲むのですが・・・。
 セミの付け焼きも食べます。バットで木をぶん殴る。すると、セミは、突然の木の振動を受けて体がしびれ、脳しんとうを起こしてショック状態で飛べず、地上に落下する。それを拾って、串刺しにして、薪(たきぎ)の炎の上にかざす。
 口の中に入れると、サクリ、サクリとやや乾いた食感がして、ダ液とまじってネトネト、ネチャネチャという湿った下あたりに変わり、つぶれたセミから不思議な味の体液としょう油の塩っぽい味がしみ出してきた。イナゴの空煎りのような、カイコのさなぎのような淡いうま味とか、かすかな苦味と渋味もあって、かなりアクの強い味がする。
 虫を食うのには、焼くのに限る。煮たり、蒸したりするよりも焼くのが一番だ。
地蜂を捕るときには、赤蛙の肉をつかう。地蜂をやっつけるときには、火薬をつかう。黒いのは、桐の木でつくった木炭。黄色は硫黄の粉。白は硝石。黒7、黄1、白2の割合で混ぜて、火をつける。すごい煙が出るので、それで地蜂を麻酔させる。 地蜂は、炊き込み飯と甘煮にして食べる。
 赤蝮(まむし)を捕まえると、小さな心臓を指先でつかみ出して、口に入れて呑み込む。精力がつくという。そして、苦袋(胆のう)も呑み込む。こちらは異に効く。真っ赤な血も呑んでしまう。そして、赤蝮そのものはぶつ切りにして味噌汁にする。赤蝮の味噌汁は、まな板の上で皮をむいた赤蝮を三センチほどのぶつ切りにし、鍋に入れて水を張り、囲炉裏の自在鉤に吊して炊く。沸騰してしばらくして味噌を加えて溶かし、冬につくった高野豆腐を三枚、手でパチン、パチンと折って入れる。また、庭のヨモギをつんできて、さっと洗って、手でちぎって入れる。
地蜂の炊き込み飯は、秀逸な味がした。飯の甘く耽美な香りとしょう油の郷愁をそそる臭い。そして、地蜂のわずかな野生の匂いが混じる。地蜂は、かむと淡く優美な甘味と濃いうま味が重層してくる。
 著者は、ヤマカガシに手を咬まれたあと、アシナガバチに顔に刺されてしまいます。
 そのとき、猟師は、顔に歯糞を塗り込め、そして小便をかけるのです。どちらも、アンモニアが入っているので、毒を中和して散らしてくれるのでした・・・。
 猟師の道と工夫に思わず脱帽、というのが帯に書かれたフレーズです。いやはや、本当に、こんな知恵と工夫が消滅してしまうのは、あまりにももったいないです。
 著者と猟師に最大限の敬意を表します。本当に、いい本をありがとうございました。
(2014年7月刊。1400円+税)

沈黙を破る者

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  メヒティルト・ボルマン 、 出版  河出書房新社
 ドイツ・ミステリー大賞、第一位という小説です。
 ドイツでは、ヒトラーのナチス・ドイツ時代の幹部連中が今なお名前も変えて生き、栄えている現実があるようです。この小説もそれを背景としています。
 オビの文章を紹介します。
 「不可解な殺人事件を追う一人の巡査。50年の時をこえてよみがえる戦時下の出来事。気鋭の女性作家による静かな傑作」
 話は現代のドイツと戦中のドイツとが交錯して展開していきます。
 仲良し6人組の男女が戦争に突入するなかで、バラバラになっていきます。
 そして、戦後、死んだ父親の遺品の写真や証明書を手がかりに、聞かされていない過去を調べはじめると、協力者の女性ジャーナリストが惨殺されてしまうのです。
 戦前、一組の夫婦が行方不明となりました。それを担当していた刑事は、わずかな捜査で早々に打ち切ってしまいます。なぜか・・・。
 1960年生まれの著者が、知るはずもない戦前のドイツの状況をことこまかに描いています。
 戦時中の話を幼いころに母親から聞かされた経験が生かされているとのことです。
 著者の関心事は、ナチが政権を握っていた第三帝国時代に、ごくふつうの人間が、どのように暮らしていたのかを描き出し、その運命を読者にありありと感じとってもらうことにあった。その目標は達成していると思います。推理小説だと思いますので、ネタバラシはやめておきます。
 良質のミステリー小説です。
(2014年5月刊。2200円+税)

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